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短編小説

メイド・オブ・オナーの憂鬱

作者: 伊那

「あたしがビッチだって学校中の女子に嫌われてた時、ニッキーが言ってきた言葉はなんだと思う?」

 アマンダとニッキーが親友だと知って驚いた相手にするのは、アマンダいちおしのエピソードである。

 スタイルもよく顔も行動も派手で活発なアマンダと、やぼったい服装と眼鏡で引っ込み思案のニッキーは、正反対としかいえないが、高校時代からの古い友人だ。

「高校のクイーンだったのに、彼氏を何度も替えてたからヒドイ噂がたって、あたし、ホントの友達なんていなかったの。トイレで一人泣いてたわ」

 ニッキーもあの時の事はよく覚えている。学校の底辺にいる人物を人気者が知らないのは当然でも、その逆はありえない。ニッキーもアマンダの噂は耳にしていた。あの時アマンダは泣いていた。トイレの個室で泣くなんて、いじめられっ子しかしない事だと思っていたのに。

『別に遊びで付き合ってたんじゃないわ、合わないと思ったから別れた事の、何がいけないの?』

 ほとんどひとり言のような嘆きだった、とニッキーは記憶している。アイメイクのひどく崩れた瞳で、アマンダは裏切られた眼差しをしていた。その美貌、快活な性格、ブランド品、ホットな彼氏、取り巻きの女子たち、何ひとつ足りないものなんてないと思っていた学園のクイーンは、ただの女の子でしかなかった。アマンダに関する噂がどこまで真実で、彼女の言葉がどこまで本気なのかニッキーには分からなかった。

『それだけ人を好きになれるって事でしょう。片っぱしから人を憎むのより、いいと思うけど』

 当時、他者を嫌って過ごしてきたニッキーにしてみれば、アマンダの誰かを想う気持ちは悪いものではないと思えた。

 高校時代、ニッキーの世界は今よりとても狭くて、周囲に上手く溶け込めない自分が大嫌いだった。そしてそんな自分にいたわりの言葉ひとつくれない周囲の人間も、大嫌いだった。アマンダの恋の数は、誰かを愛すると決めた回数だと思えたのだ。自分にはとても出来そうにない事だと。言動や交友関係が派手だからといって、人を愛する気持ちに軽いも重いもないのではないか?

 だからニッキーはそう言ったのに、アマンダにはもっと泣かれてしまった。以来、なんとなく一緒にいる回数が増え、二人は親友になった。

「ニッキーがいなかったらあたし、学校どころか人生やめてたかもしれないの。それくらい感謝してる。ほんとに。メイド・オブ・オナーをお願いするなら、ニッキーしかいないわ」

 その友情は学校や仕事が別になった後でも続き、アマンダの結婚式を控えた今もなお、変わらないでいると、アマンダは信じている。ニッキーだってそうだ。

 だが、アマンダの結婚を知った時にニッキーは想像以上の衝撃を受けた。アマンダは昔からとにかくモテた。結婚するのも早いと思っていたが、ニッキーの予測を外れ、三十の今になって果たした。アマンダと付きあっている男の話はその度に聞かされてきたが、結婚の気配がした男はほんのわずかだった。

 あのアマンダですら、まだ結婚をしていないのだ。だからニッキーに恋人がいないのも、仕方のない事――ニッキーは心のどこかではそう思っていたのかもしれない。結婚適齢期にも関わらず浮ついた話ひとつない自分が、あんまりにもみじめだと知りたくなかったから見ない振りをしてきた。

 それに、本当にアマンダとは仲がよかったから、友達をとられてしまうようにも思えた。これまでアマンダは恋人と親友を秤にかけて親友を忘れるような事はなかった。だがこれからは違うだろう。恋人と親友なら同じ天秤にかけられても、夫と親友とでは話が違う。親友とは今までより疎遠になるだろうというさびしさもあった。

 結婚式までの種々の準備を手伝い、時にはサプライズだって用意するような、花嫁付添人の筆頭(メイドオブオナー)にニッキーが選ばれたのは光栄な事だろう。だがニッキーは、ひとことではとても表せない複雑な気持ちでいっぱいだった。

 こうして、花嫁と花嫁付添人がはじめて顔を合わせる場に来た今でも、戸惑いは薄れない。他の付添人たちはほとんど見も知らぬ相手で、未だに人見知りをするニッキーには自分が場違いの場所にいると感じられた。アマンダの従姉妹というキャスには何度か会った事がある。アマンダとニッキーの出会いの逸話を、キャスはもう聞き及んでいるためそっぽを向いているが、他の三人はニッキーの事を“まあそんなことがあったのね”という顔でニッキーを見つめている。

「ニッキーは頭もすごくいいから、余計にメイド・オブ・オナーにはぴったりだと思うの。みんなでニッキーを支えてあげてね」

 そうしてアマンダはしめくくった。他の付添人たちはにっこり微笑んでいたけど、それきり何も言わない。

 この日はアマンダのしきりで話が進められたが、今後はメイド・オブ・オナーが主になって動く事が多いはずだ。

 突然大任を賜って、ニッキーはどうしたらいいのか分からなかった。

「実は花嫁付添人ははじめてで……キャスはやったことあるの?」

 帰りに唯一の顔見知りである花嫁の従姉妹に話しかけると、アマンダに向けられていたキャスの笑顔が一瞬で消えた。

「じゃあ、メイド・オブ・オナー降りれば?」

 そうしてほしいと願っているような口ぶりでありながら、キャスは返事も聞きたくないのかすぐに立ち去った。ニッキーは思い出した。キャスはアマンダのふたつ年下で、女兄弟のいない家で育ったからアマンダを姉のように慕っている。彼女は自分がメイド・オブ・オナーをやりたかったのだろう。

 ニッキーの胸はちくりと痛む。キャスはアマンダと似て明るい性格だ。なにごとも後ろ向きに考えてしまうニッキーがメイド・オブ・オナーをやるよりは、彼女の方が適任かもしれない。

 けれど、ニッキーだってアマンダの親友だ。まだ戸惑いは消えないとはいえ、彼女の幸せを祝う気持ちは誰よりも強い。アマンダ自身がニッキーを選んだのだ。だから、他の誰かに何を言われようと自分なりに精一杯やるしかない。かえってキャスのさげすむような視線はニッキーの闘志に火をつけた。


 周囲の変化は重なるものなのか、ニッキーは職場でもひとつの驚きを与えられる事になる。ニッキーと時期を同じくして入社した同僚がキャリアアップの異動を命じられた。こちらだって一緒にがんばってきた同僚の栄転をよろこぶべき事だ。

 それなのにニッキーは、置いて行かれる、という思いにかられた。

 正直、今の仕事を好きでやっているのではない。ファッション誌の会社で働くという夢を叶えたアマンダとは違って、ニッキーの夢は他にある。それでも自分なりに誇りをもって仕事に取り組んでいた。同期の彼女とは、努力に大きな違いがあったとは思えない。それなのに、何故自分ばかり――。

 仕事に一心不乱に打ち込む事で、学生の時より社会に貢献できている気分になっていた。それで少しは自分の事が好きになれたと思っていたのに、ニッキーはまた自分の事が嫌いになれそうだった。

 そして異動した同僚の女性の代わりに、新しく異動してきた相手に教育をする事になって、ニッキーの仕事量は増えた。

 異動してきた新しい同僚のジェイクが、どこかニッキーを見下すような目つきをしていたのもいけなかった。新しい職場での仕事は、ニッキーの方がよく知っているため少しは教えてもらう側にふさわしい態度をとってほしかったが、彼はそうしなかった。そしてニッキーよりも要領がよく、“それってこっちの方が楽じゃないっすか”とか“なんでそんな無駄な事に時間かけるんすか”とニッキーを困らせては自信をなくさせた。

 家では結婚式に関する電話がアマンダから来たり、自分でも付添人の仕事内容を調べたり、とにかくやる事がたくさんだった。アマンダの未来の夫サムが自分の地元で式を挙げたいというので、式場はアマンダやニッキーが住む場所からは遠く、距離が離れた分手間もかかりそうだった。

 アマンダは昔から南国の島の雰囲気や海が好きなのに、式を挙げる場所はあまり暖かい地域じゃないし教会から海は見えない。せめて会場内の飾り付けは南国らしさや海らしい様子を演出してはどうかと提案したのはニッキーだった。アマンダはそれをいたく気に入ってくれて、やっとメイド・オブ・オナーらしい仕事が出来そうだとニッキーはほっとした。実際、調べものをして海がモチーフの素敵なオーナメントや海の色を思わせるカクテルを発見した時は、式は最高のものになると感じられてニッキーもワクワクした。

 しかしアマンダや他の付添人の持ってきた案の方がより素晴らしかったり、相変わらずニッキーに打ち解ける気配を見せない付添人たちの態度に、肩を落として帰宅する事も少なくなかった。一人の人間が人生で一番大事な時を過ごすための支度なのだから、そう上手くはいかない。何人かで相談した方がよりよいものが生まれる。そう自分に言い聞かせても、ニッキーのため息が消える事はなかった。


 ニッキーがはじめて新郎のサムに会った時も、最悪だった。自分が今までずっと封印してきたものを、こじ開けられてしまった。

「会うのがはじめてだなんて信じられないくらい、君のことはアマンダからよく聞いてるよ。イメージ通り、優しそうなアマンダの親友だ」

 サムは優しげな男性だった。

 アマンダの恋愛遍歴ならほとんど知っているニッキー。そんな中でもサムは、アマンダの恋人たちの中では特に平凡な容姿であるといえた。

 失礼ながら、アマンダならもっと格好いい男性を捕まえられただろう。それにサムも――自分に似た、もっと平凡な女性とお付き合いする方が楽だったろうに。顔のいい男と顔の平凡な男が好きになるのが顔のいい女だけなら、余った平凡な顔の女はどうしたらいいのだ? 顔のいい女は顔のいい男と付き合って、それで余った者同士で平凡な男女が付き合うのだったらまだバランスがとれるのに――。

 思って、ニッキーは醜い自分を恥じた。

 平凡な男が付き合うべきだと考えているのは、平凡な女じゃない。自分自身だ。サムぐらいのぱっとしない地味な男なら、わたしを選んだっていいじゃない――ニッキーはそう思ったと同然なのだ。

 この日は他の付添人もおらず、アマンダとサムと三人で食事をした。

 アマンダはよほどニッキーと過ごした高校生活の話がしたいらしく、高校時代からはじめ今にいたるまでの二人のやりとりをサムに語って聞かせた。もう既に何度か聞いている内容もあるようだが、それでもサムはうれしそうに未来の妻を見つめていた。

 これまでアマンダと過ごした時間は、本当に楽しかった。それは確かだ。

 だが改めて二人の人物を比較されてみると、ニッキーはあまりにも無様だった。

 高校で嫌われ者になってからのアマンダに女友達はニッキーしかいなかったが、大学生の彼氏やら、余所の州から来た年上の男やらが引きも切らなかった。

 アマンダはあまり成績のいい方ではなかったが、ニッキーと付き合うようになってからは教師に反抗的な態度をとるという事をやめた。そのためかニッキーがひそかにいい先生だと慕っていたバーナード先生――おじさんの先生で他の生徒からは空気のように扱われていた――の覚えも良くなり、ニッキー以上に気軽に話していた。

 大学に入ってからのアマンダは、人間関係を一からやり直せたし、男選びにも慎重になったので変な噂は立たなくなったし、生来の明るい性格から友達もたくさん出来た。当然新しい彼氏だって出来た。

 一方でニッキーは授業がない日にアマンダと会って“そっちの大学の話をしてよ”と言われてうれしかった事なんて一度もなかった。アマンダとニッキーの間では学歴の差ははっきりしていたが、交友関係の差もはっきりしていた。アマンダが心配するといけないので、特に親しくもない知人を友達だと偽ってアマンダに話した。

 高校時代も大学時代も、ニッキーにはただ勉強だけ。それなのに卒業後は自分の望む道が分からなくなって、さほど情熱を持てない仕事に就いている。大好きな事を仕事にしているアマンダと違って。仕事も恋も手に入れて、結婚という人生のハイライトにいるアマンダ。どちらも持たないニッキーは、いつだって彼女と正反対だった。

 いつもそうだった。アマンダと話していると楽しいし、意外なほど趣味も合う。二人で出かけるとどうだっていい事で笑い合えるし、何か話したい事があれば一番に顔を浮かべるのはアマンダだ。

 大好きだけど、その半分ぐらいは――彼女に嫉妬していた。

 ニッキーより、はるかに美しい美貌。化粧だって入念で、ファッションセンスだってばっちりだ。初対面では少し澄ましてみせるけど、打ちとければ誰にだって心の扉を開く。誰とでも気さくに話せて、笑うと実はかわいくて、身だしなみに気をつかう美しい女と――人になかなか打ちとけようとしない、眼鏡の奥の怯えた瞳の、化粧っけのまったくない女とでは、どちらが好かれるか一目瞭然。

 何の努力もしてこなかったくせに、いつだってニッキーはアマンダをうらやましがった。

 どうして彼女ばかり、いつもすべてを手に入れるのだろうと。

 胸の奥が煮えそうな嫌な気持ちだった。

 その気持ちに気づくと、その都度ニッキーは心に蓋をしてきた。それは考えてはいけない事だったからだ。アマンダの事は好きだ。大切な友達だ。でも、嫌ってしまえそうな自分もいる――。

 アマンダだって何も幸運や生まれ持ったものだけで今の生活を築いたのではない事ぐらい分かっている。

 サムに会って、今まで隠してきた気持ちがあふれてしまった。

 どうして、サムはわたしじゃなくてアマンダを選んだの?

 ずっと、恋愛なんて諦めてきた。自分なんて選ばれるはずがないと。言い聞かせてきたのは自分なのに、ニッキーは心の奥底ではサムみたいな平凡な男に選ばれる事を望んでいた。

 いつだって愛されるのはアマンダみたいなきれいで愛嬌のある女なのだ。

 どろりとした、熱い泥のようなものが胸の中へ流されていく。

 その日の半分は、結婚式準備についての話がされていたというのに、ニッキーはほとんど聞いていなかった。


 母から電話が来た時、ニッキーは二度まで無視したが、きりがないと三度目に電話に出た。

 彼女の話がアマンダの結婚についてのものだったと分かってから、やはり電話に出るのではなかったと後悔した。お決まりの“あなたの結婚はいつなの”攻撃だ。どこの母親だって自分の娘が一人さびしく暮らすより、よき伴侶を見つけて二人で暮らし、新しい家庭を築いてほしいと願うものだろう。二十代半ばからこの手の攻撃は大なり小なり受けてきたが、今のニッキーには重い打撃となった。

 そして締めくくりには「地元(こっち)へ戻っていらっしゃいよ、今の仕事だって気に入ってないんでしょう、新しい仕事はママの知り合いに頼んでみるから。あなたにはこっちで結婚してほしいし」と“都会に希望はない”攻撃だ。

 ニッキーの実家では両親が二人で暮らしている。長男も余所へと出ているし、将来的にはニッキーが地元に戻って両親の世話を、と考えない事もない。だが今はまだ違う気がするのだ。両親の元に帰れば自分を支える何かが弱くなってしまいそうなのだ。

 結局ニッキーは結婚式の支度で忙しいからと、はっきりした答えはせずに電話を切った。母が嫌なのではない。ただニッキーを未だに手のかかる小さな子供だと思いこんでいるような話し方に嫌気がさす。彼女の叱るような声に、結婚のひとつも出来ないダメな娘だと言われているような気がして、罪悪感すら覚える。

 またひとつ、アマンダの結婚を心からよろこべない理由が増えてしまった。彼女が結婚さえしなければ、あんな風に母に文句を言われる事はなかったのに。

 ニッキーは誰かに話を聞いてほしかった。

 人見知りのニッキーには、仲の良い友達など一人しかいない。彼女に、こんな事話せるはずがない。母親については言うまでもない。

 一人、考えるうちにニッキーの心臓はじくじくといたみ、黒い炭のように硬く暗くなっていった。


 そのきっかけは些細な事だった。

 花嫁と付添人全員とで会う事になった日、ニッキーは集合時間より少し早めにカフェに着いたつもりだった。だが彼女たちは既に集まっていて、底の見えるカップを机の上に並べていた。話の盛り上がった様子からも、彼女たちがつい数分前に集まったばかりだとは思えなかった。

「ニッキー! 遅かったじゃない」

 アマンダはすぐに立ちあがってニッキーを受け入れる姿勢を見せたが、他の者たちはまるで、各国首脳会議に遅れた大統領でも見る目をしていた。

「時間変更になったんだけど……電話壊れちゃった?」

 どんな時も待ち合わせ時間には遅れないニッキーをよく知るアマンダは、ニッキーに軽いハグをした後たずねた。

「キャスに連絡するよう頼んだんだけど」

「あたし、留守電入れたわよ」

 アマンダがちらりとキャスを見ると、その従姉妹はなんてことのないように言う。

 分かってしまった。キャスはちょっとした嫌がらせをしたのだ。ニッキーの携帯電話に伝言なんて入っていなかった。

「え……ごめん……」

 ニッキーは謝る必要などなかったのに、波風を立たせたくなかったので、つい口走ってしまった。

「あたしのコト嫌ってるからって、留守電聞かないのはどうかと思うわ」

 ニッキーが反撃に出ないためかキャスは追撃を繰り出す。さすがにニッキーも眉をひそめるが、苦笑を浮かべたアマンダが間に割りこんだ。

「別に事故に遭ったんじゃないからよかったわ。なかなか来ないから心配してたの。ニッキー、座って。今は式に呼ぶバンドの話をしていたの」

 彼女としては、話を変える事しか出来なかっただろう。だがニッキーはアマンダにかばってほしかった。キャスの嘘に気づいたかはともかく、アマンダはニッキーが遅刻などしない性格だと知っているはずなのに。

 体が重い。ニッキーは、もう俯く事しか出来なかった。

 胸に土嚢でも詰められているような感覚が、やまない。

 その日のニッキーはほとんど必要最低限の事しか口にしなかった。

 それなのに、式の準備の話は滞りなく進んだ。


 わたしなんて、いなくてもいいんじゃないか。

 そんなのは随分と昔から分かっていた事なのに、アマンダが親友だと呼んでくれたから、ニッキーはなんとか自分自身でも自分が必要だと思えるようになった。

 でもアマンダ自身が遠ざかって行くというのなら、ニッキーは彼女に必要ない。

 一度、きらいだと思ってしまうと、止まらなかった。

 次の式準備の会合を、ニッキーは仮病を使って休んだ。行けないと告げた電話を切った後、ひどい裏切りをしているような嫌な気持ちになった。でも、行ったら行ったでひたすら居心地の悪い気分を味合わされ、己の無力感に打ちのめされるだけだ。それに、ニッキーがいない方が場の空気が悪くなる事もない。

 これでいい。ニッキーは電話の受話器を睨んだまま、拳を握った。


 一度ずるをすると、後は転がり落ちていくように、止まらなくなる。さすがに二度目の欠席を伝えるとアマンダは訝しく思ったようで、本人がニッキーの家までやって来た。以前は行動的でかっこいいと思っていたその性格が、今のニッキーにはわずらわしく思えた。今回ばかりは放っておいてほしかった。自分はサムとあの付添人たちとで、楽しくやればいい。

「なにか悩みがあるのなら言ってほしいの」

 ニッキーの欠席の理由が体調不良にあるのではないと知ると、アマンダは問い詰めてきた。彼女は自分の結婚で頭がいっぱいで親友の事を考えてやる暇がなかったと自分を申し訳なく思ったそうだ。

 正直なところ、ニッキーにしてみれば彼女の訪問はうれしいものではなかった。顔を合わせて話していれば、いつかやらかしてしまうと思っていたのだ。

「メイド・オブ・オナーを辞退したいの。うまくやれる自信がない」

 今のニッキーは、心の底からアマンダの結婚を祝える立場にない。彼女をうらやみ、疎んでさえいる。そんな彼女が花嫁付添人なんて、やるべきではない。

「なに言ってるの、ニッキーは充分務めを果たしてくれてるわ。南国の海がコンセプトなんて、あたしあなたのこと天才かと思っちゃった」

「でもそれだけだよ、わたしが役に立ったのなんて。それに誰にでも思いつくわ」

 少しでも早く“そう、分かった”とアマンダが頷いて出ていってくれる事をニッキーは願った。これ以上彼女と話していると、言ってはいけない事まで言ってしまいそうだ。

「別に何もかも抱え込むことないの。あなたは真面目すぎるから……」

 アマンダが優しかったのも最初のうちだけだ。

 どれだけ言葉を尽くしても、ニッキーが「辞退したい」と言ってはばからないので、彼女もいらだってきた。

「どうしていつもすぐ自信をなくすの? あたしだって自信なんてないわよ。だからっていつまでもずっとうじうじしてる訳にはいかないじゃない。それにそういう時こそ親友に一緒にがんばってほしいの」

 アマンダは、ニッキーの後ろ向きで自信のない様子にいつも不満を抱いていたのだろう。そんな事、ニッキー自身が一番よく分かっている。

 何かにつけて、上手く出来るはずがないからとすぐに諦めてしまう自分が、嫌いだ。

「みんなで精一杯がんばって最善を尽くせば、きっとうまくいくわよ」

 ニッキーは、アマンダを精一杯祝える自信がない。アマンダは鏡のように、ニッキーの前に立ってニッキーの醜さを映し出すから。彼女といると、ニッキーは醜い感情に支配されてしまう。まともな付添人が出来るはずがない。

「ムリなの」

「ムリってなによ!」

 嫌な女、と思ってみてもニッキーには最後の言葉が言えなかった。ここまで来てもアマンダに嫌われたくはなかった。

「あなたのお守りはもうこりごりなの!」

 ニッキーは一番言いたくない言葉を避けたが、それでもなかなか辛辣な声をあげていた。

「はあ? 何よそれ」

「いつもいつも、誰かにお願いすればぜんぶ叶うと思ってる、傲慢なところもうんざり!」

 これまでニッキーはアマンダに対する嫉妬心や暗い気持ちを表に出さないように気を付けてきた。アマンダからしてみれば、突然罵られたようなものだ。アマンダの表情に強い苛立ちが見て取れる。親友の事はすべて知っている。ニッキーは、アマンダの顔色に怒りと戸惑いと、ほんの少しの悲しみが内包されているのを分かっていた。

「あんたにわたしの自信のなさは分からない。恋人も仕事もぜんぶ望みどおりのものを手に入れたあんたなんかに!」

「自分の仕事を自分で選んだのはあなたでしょ? 恋人なんて要らないって、あたしが男を紹介してあげるって言うたび断って孤独な老後を選んだのはあなたでしょ?! 何もほしがらない聖人みたいなフリして今更何を言うのよ!」

 アマンダが反撃しないはずがなかった。ニッキーの心はずきりと痛んだが、もう後には引けない。

「そうよ、平気なフリに決まってるじゃない! 最初っから、嘘だったの! 持つものと持たざるものが仲良くなれるはずがないじゃない!」

 ニッキーの言葉に、アマンダは顔の中心にぎゅっとしわを寄せた。

「ずっと、我慢してた。あなたに、わたしは――」

「もういい」

 傷ついた顔をしたアマンダを見た瞬間、ニッキーはもっと彼女をいためつけたくなった。それなのに、最後の言葉を使う寸前にアマンダの視線は逸らされた。

 しばし、ニッキーの住まいは静けさに包まれた。少しでも動いたら相手にそれを気取られて、そこを攻撃されると思っているみたいに、互いに黙りこくっていた。

 張り手のひとつでも来るかと覚悟していたニッキーだが、突然アマンダが踵を返した。体をこわばらせたニッキーは相手が本気で帰ると分かって驚いてもいた。

 アマンダは何ひとつ言わないで、ニッキーの部屋を去った。

 分かりやすい、交渉決裂の言葉ひとつも告げずに。

 お互いに何かを恐れているように、決定的なセリフを避けての幕引きとなった。

 いっそ「あんたなんか大嫌い」と子供の口げんかのように言えていたら、どんなによかったか。

 何も持たない何も出来ない消極的な自分にはこれが似合いなのかもしれない。ニッキーは本音をぶつけ合う事さえ出来ない自分をみじめに思った。

 それでもアマンダはニッキーが言いたかった事を理解しただろう。

 もうこれまでのようには出来ないだろう。お互いに。

 これでいい。これでいいんだ。

 本当はずっと前からこうなる気がしていたのだから。いずれ来るべきものが今来ただけ。

 最初から上手くいくはずがなかった。

 だからこれでいい。

 ニッキーの頭は、ひどく痛んだ。


 親友との亀裂。人生の半分近くを占める人物との不和で、ニッキーの気持ちに整理などつくはずもなく、仕事でもミスを重ねてしまった。それを挽回しようと焦るあまり、更なるミスをやらかしてしまう。負の連鎖だった。

 ニッキーは職場で親しく話す相手なんていなかった。世間話や軽口なら叩けるが、人生相談を出来るほどの相手などいない。いつだってニッキーの友達は、アマンダだけだった。だから、彼女のいない人生はむなしかった。

 どこに吐き出したらいいのか分からないままに自分のデスクに座り続けるニッキー。例のニッキーを軽んじる様子の多い同僚ジェイクは、夜遅くになっても帰らない彼女を見て、不思議そうな顔をした。

「どうしてそんなに要領悪いんすかねえ。おれには簡単な事に見えるのに」

 嫌味な口調、というのではなかった。だがそれでニッキーの張りつめていた糸はぷつんと切れてしまった。

「わ、わたしだって、要領よく、なれるものなら……っ、なりたいわよ……っ」

 三十の大の大人が、会社でわんわん泣く様はさぞ滑稽だったろう。さすがのジェイクも、自分の一言で相手が泣き出したとあって、たじろいだ。

 ニッキーだってこんなところで泣きたくはなかった。けれど爆発した感情は止まらない。ジェイクがコーヒーメーカーのところにある紙ナプキンを持ってきたが、ニッキーは手の中でくちゃくちゃにするしか出来なかった。どうして彼が水気を吸い取るものを寄越したのか、ちっとも分からないくらいに混乱していた。

 その後、トイレにこもってまた泣いたニッキーは一時的にでも自分を落ち着かせる事に成功し、大量の仕事を持って帰る事にして会社を去った。

 これでいいはずがない。

 やっと分かった。


 会社で大泣きした時、居残っていた社員が少なくなかった事が、退職の理由にまったく関係ないかというと嘘になる。だがニッキーは以前から今の仕事を辞めたいと思っていたのだ。新しい仕事を上手く見つけられるか不安だったし、新しい事にチャレンジする大変さに怯えてもいた。だからいっそ、いいきっかけになった。ちゃんと、ジェイクに最後まで教育を終えた後、退職日を迎えた。

「仕事はたいして出来ねーなーと思ってたけど、あんたの性格とか、がんばってる感じとかは別に嫌いじゃなかったよ」

 部下ではなかったが上司でもなかった相手に偉そうに言われて、ニッキーは眉を寄せた。

「仕事じゃないところで話すんだったらむしろ楽しかったっていうか」

 ジェイクはこれまで見せてこなかったような、優しげな表情を浮かべた。この日で最後だからいい話にしようとしているのかもしれない、と思ったニッキーだったが、彼以外にもニッキーとの別れを惜しんでくれる人はいた。

 接点は少ないがニッキーがひそかにいい人だなと親しみを覚えていた同僚に「君のひたむきな姿勢は周りのいい刺激になっていたのに残念だよ」と言われたり、周囲に心動かすものなどなに一つないという態度をしていた上司に「寂しくなるな」と言われたりした。

 大学の時、ニッキーの人生で一度だけ出来た恋人が別れを切り出してきた時を思い出した。

『俺の方ばっかり好きみたいで……』

 ニッキーは相手を好きだったが、相手が想うほど強く気持ちを返せなかった。自分に自信がなかったから。まだ少し世界を嫌っていたから。そんな自分を好きになる人間なんていないと、相手の言葉を疑っていたのだ。今の職場でもほとんど同じように思っていた。

 そんな事はなかったのかもしれない。

 ニッキーは確かに引っ込み思案だが仕事では自分の意思を伝える努力はしたし、いつだって最善を尽くそうとしてきた。そんな事は社会では当たり前で、評価以前の問題、ニッキーがいてもいなくても、この会社では何の影響もないと信じ、真面目にやりつつも心のどこかでは職場の人間と距離を置いてきた。

 でも、ニッキーが一歩、足を踏み出していたのなら、もっと変わっていたのかもしれない。

 ニッキーがもっと、彼らを愛せたのなら。

 今頃気づいても遅いのだけれど。

 かつての職場に別れを告げて、ニッキーはビルの出入口に向かう。大荷物を手に歩いていた廊下で、メール係の男性に声をかけられた。少し太めの男性だが気のいい明るい男で、ニッキーの部署にも、ニッキー自身にもよく手紙を配達してくれた。

「そっか……辞めちゃうのか……」

 大荷物の理由をたずねられて答えれば、手紙の手渡し以外にほとんど交流のなかった相手でも残念がった。

「君、最初はつれなかったけどさ、何回か話すうちににこって笑ってくれただろ。なんかそれ、うれしかったんだよね。だから残念だな」

 ニッキーの覚えていない事だったが、人見知りの彼女なら最初はそっけない素振りをしてしまう。

「新しい職場でも元気で」などと言うメール係の男の言葉も、途中から遠くなった。思い出したのだ、アマンダと仲良くなったきっかけを。

 退職に際してふたつの発見があった。ひとつめがニッキーの態度が悪かったという事。もっと、職場に親しみをもって接すればよかった。ふたつめは、自分がアマンダに救われた日を思い出した事。

 アマンダがニッキーとのなれそめを話す時、『あたしがビッチだって学校中の女子に嫌われてた時にニッキーが言ってきた言葉はなんだと思う?』と言うのなら、ニッキーは何と言ってきたか。

『わたしが暗くて無愛想なやつだから場を白けさせる、って言ったらアマンダはなんて言ったと思う?』

 アマンダは、こう言ったのだ。

『そんな子が仲良くなって見せてくれた笑顔って、とびっきり嬉しい! レアな笑顔見せてくれたのよ、いつも笑顔の子より自分に心を許してくれたってすぐに分かって、すごく嬉しいわ』

 お互いに、自分のコンプレックスを気にするなと別の視点を見せた。アマンダは、ニッキーの良いところを優しく呼び起した。

 こんな自分でもいいんだ、って思わせてくれた。もしかしたら、アマンダにしか見つけられなかったかもしれないもの。アマンダには、もう随分たくさんと勇気をもらっていたのに、嫉妬で目が曇って、ニッキーは忘れてしまっていた。

 はじめて話したあの頃から、アマンダの事をうらやましく思っていた。でもアマンダはいつだってニッキーの味方でいてくれた。自身を嫌うニッキーからも、ニッキーを守ろうとしてくれていた。

 あの言葉で、はじめてニッキーはアマンダとちゃんと友達になりたいと思ったのだ。彼女が認めてくれた自分だから、もっとしっかりした人間になりたいと思った。自分の醜い感情にも、呑まれないように。

 最初から、“すべてを持った女王アマンダ”と友達になりたいと思ったのではなかった。ニッキーの、自分でも知らない他者をよろこばせるようなところを見つけてくれる、そんな人物と一緒にいたいと思ったのだった。

 大人になって、自分との違いを思い知らされ、ニッキーが自覚しないままでもほしがるものを全部持っているアマンダ。彼女が持つものすべてに気をとられ、ニッキーは親友の本質を見失っていた。高校時代から、ニッキーの中身を見ようとしてくれたアマンダを、自分の事が理解できるはずないと拒絶しようとしていたなんて。自分に自信がないからと、彼女もニッキーを信じてくれないと、思いこんでしまったのかもしれない。

 いつの間にか忘れていた。自信のないニッキーを誰よりも信じてくれたアマンダの言葉を。

「ありがとう」

 メール係の男が、それを思い出させてくれた。彼は「そんなお礼を言われるようなことじゃ……」と否定したが、自分が何をしたのか分かっていないのだ。

「本当にありがとう! あなたのおかげで、思い出せた!」

 ニッキーは荷物なんてすべて放り出して、走り出したい気分だった。代わりに小走りになって会社のビルを出る。「なんか知らんがよかった」と苦笑するメール係に、ニッキーは振り返って手を振った。その拍子に荷物が一部落ちてしまい、メール係がかけつけようとしたが、手で制した。

 そうして、短くない間働いた会社をあとにした。


 ニッキーは前の会社を辞める前から、少しずつ転職活動をはじめていた。今度は少し、夢に近づいた職種を目指して。

 本当はアマンダに連絡をしたかったが、あれ以来何のやり取りもしていない。気まずくもあったし、新しい仕事に就けていない今の状態じゃ、まだ彼女に胸を張って会えそうになかった。だからと思い、せめて転職活動に力を入れた。

 アマンダの結婚式はもう随分と間近に迫っている。最後にニッキーが式のための集まりに参加した時には、最終決定ではなかった式の日取りだが、そう大幅な変更があるとは思えない。もう一度メイド・オブ・オナーに戻れるとは思えないが、参列くらいはしたいと思えるようになった。それすらもニッキーの都合のよい夢だろうか。もしかすると、招待状すら来ないかもしれないのに。


 招待状は届かないまま――予定ではアマンダの結婚式が数日以内に行われるだろう、という時期に、ニッキーは新しい職を求め余所の州に旅立った。飛行機に乗らなければ簡単には行けない場所だが、ニッキーはその会社にかなりの魅力を感じていて、遠く離れていても赴きたいと思わせるほどの熱意を向けていた。

 飛行機に乗ってまでした会社の上役との面接に手ごたえがあったかどうか、ニッキーには正直よく分からない。その日の空が荒れ模様で、ひどい雨が降っていた帰り道を思えばよくない兆候かもしれなかった。

 傘をさしても無意味に終わる横殴りの風雨で、ニッキーはひどくびしょ濡れになってしまった。どこかホテルで休みたい気分だったが、とにかく近くの店の軒下に避難した。

 母から携帯電話に着信があったのはその時だ。こんな時に面倒な、と思ったニッキーだが、最近転職活動を言い訳にして母親からの電話を無視してきた事を思い出した。仕方がなしに出ると、キンキン声が耳に響いた。

『どうして電話に出ないのよ! あなたの力になりたいのに!』

 いきなり何を言い出すのかと思ったが、ニッキーが口をはさむ余裕もなく彼女はまくしたてた。いわく、大の親友であるアマンダの結婚式を間近に控えたニッキーが自分のメイクや衣装の相談を母親にしてこないのはおかしいし、そもそもメイド・オブ・オナーの心得を母親にたずねないのも問題で、今は式の前日である花嫁をちゃんと支えられているのかどうか心配だという事らしい。

「……式の前日?」

『何寝ぼけた事言ってるの? あなたまさか花嫁の傍にいないんじゃないでしょうね? 独身さよならパーティーで遊び過ぎてない?』

 ニッキーはうるさい母親にアマンダとの不和もメイド・オブ・オナーを降りた事も伝えてなかった。どうせ彼女が地元から出てくる事はないのだし、電話口でごまかせばなんとかなると思っていた。今回もなんとか言い逃れてやり過ごすと、ニッキーは電話を切った。

 腕時計を見ると、午後五時過ぎ。今から空港に行って飛行機に乗れば式に間に合う時間だ。招待状ももらっていないし、アマンダはニッキーの顔も見たくないかもしれない。だが、ニッキーは式がもう明日に迫っているという事に焦りを感じた。

 今の自分のままでいいはずがないと思って、変わりたいと思って、転職活動をはじめた。アマンダとの仲がこじれてしまった事だって、いいと思ってなんかいなかった。結婚式には呼ばれていなくても、せめて一言おめでとうと言いたかった。

 やまない雨の中、ニッキーはタクシーを呼び寄せ、空港へ向かうよう頼んだ。雨雲は途切れる事を知らず、空はどんどんと暗くなっていった。


 空港の建物内はどこも人でいっぱいだった。悪天候ですべての飛行機が欠航しているからだ。ニッキーは青ざめた。フライト再開の目途はたっていないというアナウンスがロビーに流れる。ニッキーは開いた口がふさがらない。濡れた体が寒かったが今はどうだっていい。

 なんとか別の方法で家に帰れないかと思案するが、思えば結婚式会場はニッキーの住まいのある州で行われるのではない。かつてはメイド・オブ・オナーため、会場がどこだかぐらいははっきり分かっている。一度家に戻りたかったが、たとえ飛行機が飛んでいてもそんな時間もないかもしれない。現状飛行機は飛んでいないのでもっと間に合わない。飛行機がなければ自動車という手もあるが、車なんてニッキーには運転出来ないし、道だって分からない。バスか何かもあるかもしれないが、時間がかかりそうで仕方がない。

 とにかく、いくら空港のロビーで待ってみても天気はよくならず、欠航の表示は変わらないまま。午後八時になってからやっと、ニッキーはホテルに泊まる事を決めた。


 ホテルでは濡れた服の洗い物を頼み、熱いシャワーを浴びた。間に合いそうにないと思いながらも、なんとか方法はないかと探したが、朝になって飛行機が飛ぶのを待つ方が一番いいと分かった。

 自分の部屋のベッドに飛び込むと、また後ろ向きな気持ちがどっと押し寄せる。最初から、悪いのはアマンダじゃなくてニッキーだけだった。勝手に自分を嫌って、そんな自分を見たくないからと友達を邪険に扱って。

 でも、今は変わろうとしているのだから、せめて結婚式には間に合わせてほしい。声をかけられなくてもいい、一目アマンダの姿を見られるだけでいいから。ニッキーは半ば本気で祈りながら夜を過ごそうと思ったのだが、疲れていたのかそのうち眠ってしまった。


 携帯電話の着信の音で、ニッキーは目を覚ました。

 あまり眠ったような気がしなくて重い頭を動かすと、携帯電話のランプが光っている。目をこすりながらそれを手にとると、何故かセンターで止まっていたらしい昨晩のメールが届いていた。前の職場で一緒だったジェイクからだった。仕事を辞めてから、数回彼からメールが来ている。一度目は前職場にニッキーの忘れ物があったという業務連絡的なものだったが、二度目は職場の人でパーティをするから一緒にどうかという誘いだった。パーティは断ったし、今も内容を確認するような気分にはなれない。

 すぐに空港に電話をかけ、コール音が続く中ニッキーはカーテンを開けた。空は雲が多く残るものの、晴れていた。電話がつながるよりも早く、ニッキーは荷物をまとめはじめた。昨日着ていたスーツはすっかりクリーニングが終わっているし、飛行機は再開したしと電話で確認したし、大急ぎでチェックアウトすると、隣にある空港に飛び込んだ。


 間に合わないと思ったから家には寄らなかった。直接、アマンダの結婚式会場へと向かう。飛行機を降りて、すぐにタクシーを拾った。血走った目と大声でひとつの教会の名前を告げる乗客を、タクシーの運転手は面倒くさそうにミラー越しに見たが、変な客には慣れているといったふうにすぐに車を走らせた。

 会場までの道中、ニッキーは気が気じゃなかった。ニッキーがメイド・オブ・オナーだった頃は、式の具体的なタイムスケジュールまでは話が進んでいなかった。だが調べたところによるとやはり、式は昼間にやるものらしい。下手すると午前中に式自体は終わり、午後は披露宴になってしまう。今はもう、午前十一時過ぎ。なんとか間に合ってほしい。

 その制限速度を守ったタクシーの運転はニッキーにはとても遅く感じ、何度運転手の座席を叩こうと思った事か。

 だが幸いな事にタクシーは渋滞に捕まる事なく、運転手が道に迷う事もなく、通常であればスムーズといえる速度で先へと進んでいた。


 走る。ニッキーはただひたすら駆けた。教会が小高い丘の上にあり舗装された道路がないから降りろと言われ、顔をしかめながらニッキーはなかなかに高い料金を払わされた。空港からは遠かったのだから仕方ない。

 教会までの間、結婚式が終わったかどうか分かるようなものはなにもなかった。人が出歩く様子もないから式の真っ最中だと思えるが、式が既に終わってしまったから誰もいないようにも思える。

 見えた、教会の敷地に飛び込むと、ニッキーは後先考えずに扉を開け――ようとした。大きく重い扉は、なかなか開かない。しかし中から聞こえてきた声は、まぎれもなく結婚式真っ最中の神父のセリフ。

「この結婚に異議がある者はありませんね?」

 いきおいよく扉を押したら、予想に反して意外にも簡単に開いた。ニッキーは地面に転がりこむように会場に飛び込む事になる。

 突然の闖入者に、会場は騒然となる。振り向いたアマンダは美しい花嫁になっていたが、あんぐりと開けた大きな口は間抜けに見えた。

「……まさか異議がおありで?」

 神父の声が自分に向けられたものとは思わず、ニッキーは立ちあがった。

 会場全員の目が自分に向けられているという事だけは分かっていた。恥ずかしかったが、もう、今を逃したら機会はない。ニッキーは大きく息を吸った。

「アマンダ、以前の事ごめんなさい! でもおめでとう! 花嫁姿すっごくきれい!」

 途端アマンダがくしゃっと泣きそうな顔になる。ニッキーは隣でまばたきしているサムに意識を向けると、指をさした。

「それからサム! アマンダを悲しませたりなんかしたら許さないから! つらい目に遭わせたりしたら、どこに隠れても見つけ出していためつけてやる!」

 睨まれたサムは目を見開いた。

「でも彼女を幸せにして守れるのなら! 異議はなし!」

 ニッキーが黙ると、会場はしんとなった。

 花嫁は微笑んでいたが、他はみな、あまりの事に頭がついていかないようだ。

 誰だってそうだろう、粛々と進んでいたはずの結婚式が、まさか新郎の昔の女ではなく、新婦の元親友によって妨害されるなんて、思ってもいなかったはずだ。新郎側の席、最前列にいるサムに顔の似たマダムなどただひたすらまばたきを繰り返していた。

 突然、ぶはっと何か噴き出すような音がした。突然誰かが爆笑しはじめたのだ。その声は新郎の近くに控える新郎付添人のいる場所から聞こえてきた。彼はあっはっは、と大声で笑い、そして思い出したように拍手をした。

 拍手はぱらぱらと、次第に大きくなって会場中に響き渡った。

「さいっこー。何あの子、新婦の知り合い? 連絡先知ってたら教えてくれよ、サム」

 ニッキーの奇行に一番早く反応した新郎付添人は、新郎に耳うちをした。そのささやきが近くにいた新郎にしか聞こえないくらい、拍手の音は大きかった。


 ブーケトスの際、アマンダの「ニッキー、いいわね、あんたに向かって投げるから!」という暴言のせいでニッキーは会場中のブーケを狙う未婚女性たちの敵になった。結局ニッキーはブーケを受けとれなかったけれど、披露宴でアマンダと和解出来たのでそんな事はどうだってよくなった。

「スーツで! 誓いの言葉の前で! 割り込んできて! 映画かと思った!」

 アマンダはまるで仲がこじれた事などなかったかのように、ニッキーに感動を伝えてきた。花嫁からは笑顔がたえなかった。

「あんたって最高の親友!」

 花嫁は花婿を放り出してニッキーに飛びついた。

「あなたも! 最高の親友!」

 教会の庭ではバンドが演奏をし、青い幕を引いたテントの下、魚介類の軽食と、青い色の飲み物が並べられていた。

 時々誰かがシャボン玉を吹いて花びらを散らした。

 空はとても青く、海のようにきれいだった。




 完

 ニッキーの将来の彼氏候補

 その1:前職場の元同僚(同僚じゃなくなってもニッキーにメールを寄越していた男)

 その2:親友の夫の親友(ニッキーの珍登場に爆笑して拍手した新郎付添人の男)



 友情の話が書きたかったはずが、よく分からない事に……。

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