16-2 ふたりの死者
「ああ、聞こえてたよ」
テーブルの上にセットされた携帯端末に向かって返事をする。
話しながらも手は止めずに、頭にラップを巻き付けた。
染髪料特有の匂いに顔をしかめる。まさかこんな短期間で黒髪に戻すことになるとは思わなかったぜ。
ひととおり早乙女社長の胸ポケットに仕込んだ小型カメラで見ていたが。念のため確認しておく。
「幽霊工作、いろいろやってくれたか?」
『ええ。といっても、私は軽いポルターガイストと人魂くらいしか作れないけど。受付の人の足をつかむ位はしておいたわ。虹鉈が乗ったガラスエレベーターでは、外から西牧くんが血だらけの早乙女くん幽霊を出したはずよ』
どんな幽霊を出すかはふたりに任せていたが、結構エグいことをやっていたみたいだ。虹鉈の反応がよかったのも、西牧のおかげだろう。
東京ドーム爆破事件から一夜明けた今日。
早乙女社長、律花、西牧の三人でレピオス社に乗り込み、簡単なお化け騒ぎを起こしてもらっていた。
もちろんバレたら悪質なイタズラとみなされ、ただじゃすまない。魔法を使ったイタズラは罪として罰せられる。バレたら停学になるかもしれないのだ。
最初は新入社員に扮した俺が幽霊工作を担うつもりでいたが、みんなにスーツを着ても子どもにしか見えないと言われて諦めた。
代わりに秘書としてなら自然に潜り込めるということで、律花がその役を引き受ける。
髪をまとめ上げ化粧をすると、どっからどうみても有能な美人秘書に大変身だ。
こんな秘書がいたら逆に仕事が手につかないんじゃないだろうか。女の子はメイクすると一気に年齢わからなくなるからいいよな。
『ちゃんと聞こえていたかい? 無事立食パーティーへの出席をこぎつけ、虹鉈に幽霊の存在を植え付けることができたよ。私の演技もなかなかだろう?』
がっはっは、と豪快に携帯端末の向こうで笑う。
早乙女は恥ずかしそうに端末を睨みつけたが、俺は「完璧でしたよ、社長!」とその功績を称えてあげた。
魔法使いが死ぬと幽霊になり、恨みを持った人に復讐しに来る。
それが、今回俺が立てたシナリオだった。
人が正常な判断をできなくなるときというのは、恐怖を感じているときだ。
自分が殺した幽霊が出るとなれば、虹鉈の思考は鈍るに違いない。
西牧に過去の幽霊騒ぎが魔法粒子によるものだと聞いてから、逆もできるのではないかと考えていた。
普通ならこんなバカバカしい作戦に引っかかりはしないが、虹鉈の性格を考えるとある程度は有効だと推測する。
幽霊なんて、普通の人は信じない。
けれど視野が狭い虹鉈なら。
奴の周りで幽霊が出るのは普通だと演じてやれば、そういうものなのだと信じ込ませることができる。
露ちゃんから虹鉈には懇意にしている友人がいないことも聞いて確信していた。
詐欺だとバレる原因の大半は、周囲の人間による指摘だ。
騙すのに適しているのは孤独な老人。詐欺師のセオリーはいくらでも応用が利く。
信憑性を増すために、うそのなかに晶川の事件という本当を混ぜ込んで話す。
一部分が本当だと、人は残りの部分も本当ではないかと勘違いしてしまうからだ。いまのところ仕込みは上々と言ったところか。
もちろんそれだけでは心許ないので、もう一つ罠を仕掛ける。こちらを決定打として、証拠をつかむつもりでいた。
恐怖と同じくらい相手の判断力を奪うのが『欲』だ。
早乙女建設という大手企業が手に入るというチャンスをちらつかせ、早乙女社長にICレコーダーを持たせる。
建設会社欲しさに奴が脅迫、もしくは粒子瓶の秘密を口にすればそれで終了だ。早乙女社長の証言と音声データという動かぬ証拠があれば警察も動いてくれるだろう。
正常な判断力を奪い、虹鉈が犯行を自分から白状する環境を作り上げる。
欲と恐怖。そのふたつで人は自由に操れるのだ。
『そういえばなにやら老人ホームのことを気にしていたようだが……』
「社長、大手柄ですよ。虹鉈の次の狙いがわかりました」
少しばかり興奮しながら返すと「次の狙い?」と早乙女が不思議そうに問いかけてくる。
「次の材料はお年寄りだ。老人ホームなら人が自動的に集まってくる。葬儀まで請け負っちまえば誰にも気づかれずに瓶を作ることができるだろ」
高齢化社会とまではいかないが、昔より長生きできるようになったためお年寄りの数が増えていた。
そういえば最初のバス事故も年金受給者が多く乗っていたな。かなり前から目を付けていたのだろう。
「だから虹鉈は工場付きの老人ホームを作るために、早乙女建設と業務提携を結ぼうとしたんだ」
工場を建てるのとは違い、老人ホームとなると居住空間のデザインや居心地の良さが求められる。大手建設会社が建てたというネームバリューも人を集める材料として欲しいだろう。
「しかし次の狙いがわかったところで、今日の作戦には役立たないだろう」
「いいや、これは使えるぜ」
シオンの指摘にニヤリと笑みを返す。
幽霊騒ぎだけじゃいまいち決定打に欠けると思っていたんだ。
だがこれなら『アイツ』さえいれば確実に行ける。
「お疲れさまでした早乙女社長。後はまた立食パーティーの時に」
『ああ、それと知り合いの会社もパーティーに参加することが分かったから、協力してもらえないか打診してみるよ』
それは心強い。だけど軽い詐欺罪になるので大丈夫かと問いかけると、今度飯でも奢って礼をしておくと豪快に笑った。
『うちの大事な息子を手に掛けようとしたんだぞ? やるなら徹底的にやらんとなぁ!』
大事な息子という単語に思わず早乙女のほうを見る。
本人は気恥ずかしいのか眉をひそめながら「用が終わったなら切るぞ」となかば強制的に通話を終了させた。
いきなり仲良しこよしとはいかないだろうけど、これで親父さんが早乙女のことをどう思っているのか伝わったはずだ。次第に関係は良くなっていくだろう。
「……なんだ」
うれしさのあまり少し見つめ過ぎてしまったか。俺の視線を疎むように早乙女が睨み返してくる。
「大事な息子だって」
ニヤついた顔を納めることができずにそのままおじさんの言葉を反芻する。
からかったつもりはなかったが、早乙女は不愉快そうに口を歪め、ボソリと小さくつぶやいた。
「康太も青柳も、なんでこんな不良と仲がいいんだ……」
おい、聞こえてんぞ。
確かに髪染めてたり服装だらしなかったりで不良っぽいかもしんねーけど。授業態度はいたって真面目だっつーの。
セットしておいたタイマーが鳴る。頭に巻いていたラップを取り除くと、シオンがティッシュで髪の一部を拭い、色を確かめてくれた。
「うまく染まった?」
「ああ。もう流してきていいぞ」
洗面台を借り、薬剤を洗い流す。
顔を上げて一番に目に入ったのは、やはり髪だった。
艶を帯びた漆黒。水に濡れているせいかキラキラと光を反射している。
一応、二週間ほどで自然に色が落ちる薬剤を使ってみたが。
オレンジにしたり黒に戻したりと、まわりの人からの突っ込みは避けられないだろう。クラスメイトになんて言い訳をしようか、なかなか難しい問題だ。
特徴的な薬剤の臭いに軽く酔いながらも、ドライヤーでセットを終え。洗面台に置いてあった整髪料をひととおり持って、リビングへと戻る。
「早乙女ー、ワックスとジェルと普段どっち使ってる? 洗い流さないトリートメント剤も置いてあんだけど、もしかしてこれも使ってるとか?」
おじさんの育毛剤まで両手に抱えた俺を見て、険を含んだ目で見てきた。
「ワックスしか使っていない。僕が育毛剤や露のトリートメントを使うように見えるのか」
「トリートメントは使ってるんじゃないかと思ったぜ。髪サラサラだし」
露ちゃんの私物がこっちに置いてあるなんて思わないし。
シャンプーのCMに出られそうなほどキレイな髪質だから、意外と気を使ってるのかと思った。
「使っていない。おまえが使いたければ勝手に使え」
「匂いまでそろえたいから早乙女が使ってないのは使わねーよ。つか、おまえってゆーな。ちゃんと名前があんだからさ」
トントンと自分の首もとを指先でたたく。俺の言葉に早乙女はむっとしたように口調を強めてきた。
「そんなことを言われても僕はおまえの名前を知らない。自己紹介もまだだろう」
予想外の言葉に一気に毒気を抜かれる。
慌ててわずか一日ほどの記憶を遡った。
「あれ、そーだっけ?」
「そうだ。呼びたくても知らないのだからしょうがないだろう」
腕を組み、軽くふんぞり返る。
いやいやいや、威張って言うことじゃねぇって。
「でも散々周りの奴が呼んでんじゃん。聞いてりゃ分かんだろ?」
そう返すとぐっと唇を引き結び、視線をためらいがちにそらした。
「……タケトと下の名前でしか呼んでいないだろう。初対面で下の名前では……馴れ馴れしいかと……」
おい、頬を赤らめるな。
うつむき、困惑した表情で声を絞りだす。おまえって呼ぶよりはるかにマシだとは思うけどな。
もしかしてコイツ、ふてぶてしい嫌な奴だと思ってたけど、ただ人との接し方に慣れていないだけなのか?
「そりゃゴメンな。双木健人っていうんだ。あらためてよろしくな、早乙女」
勢い余って右手を差し出す。
別に握手する必要はないかと思ったが、早乙女はなんのためらいもなくその手を握ってきた。
「よろしく頼む」
「なんかそーやってると鏡越しに握手してるみたいだね」
俺たちを見て横から実羚がそんな感想を述べる。
着ている服こそ違うが、髪形も体格も早乙女と俺は似通っていた。おっさんとシオンが実羚の言葉にそれぞれ同意する。
「双子だと言われても違和感ねぇな」
「背は健人のほうがわずかに低いがな」
「背のことは言うな。いいんだよ、遠くから見て早乙女に見えりゃ。露ちゃんのほうは準備OK?」
「大丈夫です。一度拓哉にメイクを施したいと思っていたので楽しみです」
大中小さまざまなブラシを指の間に挟み、うふふと楽しげに笑う。
お願いしたのは簡単なメイクだったが、露ちゃんはフルセットそろっているんじゃないかと思うほど巨大なメイクボックスを持って現れた。
「……必要外のメイクはするなよ」
不安を滲ませて早乙女と露ちゃんが奥の部屋へと向かう。その背中に向けて俺はわざと大きな声で露ちゃんに指示を出した。
「露ちゃん、時間までにでき上がってれば途中でどんなメイクしてもいいから。写真撮っといてね」
やった、と声を弾ませる露ちゃんに「ふざけるな!」と噛み付かんばかりの勢いで早乙女が吠える。
今日はさすがに露ちゃんも空気を読むだろうから、また別の時に早乙女で遊んでやろうっと。
不良呼ばわりされたならば、ご期待に添うよう悪ふざけをしてやらないとな。「パウダーだけだ。マスカラとかはやらないぞ」と隣の部屋から聞こえてくる必死な声にニヤニヤと笑みを引く。
俺は用意した伊達メガネをかけて鏡で確認すると、想像以上のできに、さらにいやらしい笑みを浮かべた。
どっからどう見ても、早乙女拓哉。死んだはずの人間がふたり。
さぁ、パーティーの始まりだ。