15-8 衝突
ちょうど空いているとのことだったので、遠慮なく二度目の風呂を借りる。
昼間はシャワーだけだったからな。広い湯船にタップリと張られた湯は、パソコンで凝り固まった筋肉をじわりとほぐしてくれた。頭に詰め込んだ知識を脳内再生しながらゆっくりと手足を伸ばす。
風呂からあがるとタオルでガシガシと頭を拭きながら、人が居ない場所を見繕って家に電話をかけた。母さんと話したあとに姉ちゃんに替わってもらう。
どうして今日帰ってこられないのかと厳しい口調で問いただされるが、友達と話が盛り上がってしまい帰りたくないのだと適当にごまかした。
ひととおり捏造した近況を話すと、人様に迷惑をかけるな、危ないまねは絶対にするなと厳重に釘を刺される。
なにかあったら母さんは半狂乱を起こすからな。俺だってもう今日みたいな危ない目には遭いたくない。東京ドームの事は話していないが、家でも不調を隠せていなかったし、ある程度はなにかあったと感づいているのだろう。
外泊を許すのは今日一日だけ、明日には必ず帰ってこいと耳にタコができるほど電話口で繰り返される。
姉ちゃんにいい報告をするためにも、作戦を一発で決めてやらないとな。
部屋に戻ろうと廊下を進んでいると、少し開けた空間が見えた。
お、この吹き抜けからエントランスが見下ろせる。こういう開放感のある作りっていいよな。
一度無意味に深呼吸してみると、ぼそぼそと人の話し声が聞こえてきた。エントランスの音が響いているのだろう。
開放された空間ってのは防音も気を使わなければならないんだな。将来豪邸を建てることがあればその点にも注意しなければ。
……つーか、もしかしてこれ、夕方の実羚との会話が筒抜けだったんじゃ……
変な汗が額を伝う。あの時間ここには誰もいなかったことを願う。西牧もシオンも律花も外出してたはずだし、大丈夫だよな?
細かな装飾が施された手すりに腕をかけて見下ろす。声の主は実羚と露ちゃんだった。
話しかけようと手を上げて、なにやら険悪な雰囲気に言葉を飲む。
「いま、あなたの顔はあまり見たくないんです」
いつものほわほわとした声の調子とはまったく違う固さで露ちゃんが言う。
「敬語じゃなくていいよ。年上でしょ? 何でそーやって自分を偽るの」
「こうしたほうがなにかと便利だからですよ」
上からだと表情をハッキリと見ることはできないが、仲良く談笑とは言いがたい空気だ。
え、何で。さっきまで仲良さそうにしてたじゃん。状況を理解しようと身を潜めながら聞き耳を立てる。
「私、あなたの態度嫌い」
実羚らしからぬ言葉に俺は自分の耳がおかしくなったかと疑った。
それは目の前の露ちゃんも同じらしく、遠くから見ても分かるくらいに目をぱちぱちと瞬かせている。
「面と向かって嫌いなんて言われたの初めてです」
「私も人のこと嫌いって言ったの初めてだよ」
にっこりと笑う。まるでいつも「好き」と伝えているときのような気軽さで。
「そーやって欺いていれば誰からも嫌われずに済むかもしれない。でも」
一度言葉を区切り、キッと真正面から露ちゃんのことを睨みつける。
「本当の自分を出さなきゃ、誰からも好かれないよ」
「……愛されてる女の余裕ってやつですか」
一触即発とも言える緊迫した空気に息をのむ。
人のことを嫌いだと口にする実羚も、嘲るように笑った露ちゃんも。俺が知っているふたりの姿とはかけ離れていて頭が混乱する。
いったいなにがどうなってこんな状態に?
「盗み聞きなんて感心しないわね」
「うわっ、律花?!」
突然声をかけられて驚くが、幸いにして下のふたりには気づかれずに済んだみたいだ。
しっ、と唇に指を当てて牽制してくる。
俺は一度出した音がもう戻らないことが分かっていながらも慌てて口を覆った。
「珍しいわね。実羚があんなこと言うなんて」
いつも一緒に居た律花でさえそんな感想を抱くのだ。大分珍しいことなのだろう。
……ってか、会話の内容が分かるってことはおまえも盗み聞きしてたってことじゃんか。下のふたりには聞こえないようヒソヒソと会話を交わす。
「ちょっとクスリが効き過ぎたかしら」
「クスリ?」
意味深な言い方に眉をひそめて律花を見つめる。
すると彼女は軽く首を傾けながら困ったように笑って言った。
「この前険悪になったときに言ったの。本音で向き合おうとしないで、上っ面だけの"好き"を言われてもなにも返せないわよ、って」
「おまえそんな酷いこと言ったのかよ……」
律花のことを好いている実羚にしては死刑宣告にも近いものだっただろう。俺がもし同じ言葉を実羚に言われたら三日間は泣いて過ごす自信がある。
そういえば噴水前でのやりとりのとき、律花になにか言われて約束を決意したと言っていたな。それがこのことなんだろうか。
「好きだったらこの先も一緒に居たいと思うじゃない? でも実羚にはそれがなかった。その場だけの一時の感情で、関係性をこれからも作り上げていこうっていう気が感じられなかったから」
実羚が言っていた『いつも人の死を前提に接している』とは現在だけで完結しているってことだ。未来の約束をしないというのが典型的な例だろう。
これから先のことは考えず、いまだけ良ければそれでいい。
それは現在を精一杯生きるという意味ではいいことだろうが、これから先も一緒にいたいと願うものに取っては冷たい仕打ちだ。
「自分を隠して人と付き合い続けるのってつらいわ。だから実羚は露子さんと本当に友達になりたくて……ああいう言い方をしたのかもしれないわね」
本当の自分を曝け出すのは怖い。
拒絶されたら、人格から存在まですべてを否定されたような気分になる。纏う鎧がない分ダメージがでかいのだ。
――俺も少しは自分をさらけ出したほうがいいんだろうか。彼女を見習って。
「なぁ律花……ちょっとだけ自分語りをしてもいいか?」
ここで彼女が「忙しいから」とこの場を後にしたら、きっと俺はほっと胸を撫で下ろしていただろう。
誰だって自分の内奥を曝け出すのは怖い。ましてやそれが手放したくない友人ならば。
だが、親しくありたい友人だからこそ話すべきなのだろう。
律花はその場から去ることなく、うなずいて俺の話を待っていてくれた。
「ここまで準備しといてアレだけどさ……すげぇ怖い」
ぎゅ、と震えを見せないよう組んだ指に力を入れる。
顔を上げているのもつらくなって額をその手に付けたら、祈っているかのような格好になった。
「早乙女社長の協力も得られたし、いまのところ全部うまく行ってる。だから大丈夫だと思うけど、もし失敗したら……みんなを危険に晒しちまうのが怖い」
正直、みんなと過ごす時間が楽しくてしょうがなかった。
人なんていつかは必ず離れていく。そうわかっていても、同じ時間を共有したかった。
できることならこのままずっと一緒にいたい。
でもそう願うからこそ、失うのが怖かった。本音を言えばレピオスのことなんてこのまま見て見ぬふりをしたいくらいだ。
けれどもそれじゃまたいつ魔の手が実羚たちに襲いかかるか分からない。
このままだと実羚の父親がターゲットになる可能性があるのだ。みんなと一緒にいるためにも、レピオスを食い止める必要がある。
「大丈夫よ。もし失敗しても私たち全員でフォローするわ」
いざとなったら力業で逃げればいいのよ。敵相手なら容赦しないわ、と物騒なことを言い出す。
彼女の魔法の腕は身を持って味わったので、静かに苦笑を返した。
「情けねえよな、言いだしっぺがこんなにビビってるなんて」
かっこわりぃ、と左手で顔を覆う。
彼女は首を左右に振ると、ゆっくりと聖母のような柔らかさで言葉を続けた。
「健人がそれだけ私たちのことを大事に思っているということだから。逆にうれしいわ」
膝の上で握りしめていた右手に、おずおずと律花の手が重ねられる。
「どんな健人でも、私は好きだから」
きゅっと握りしめられ、じんわりと胸が暖かいもので満たされる。
――ああ、自分をさらけ出すのは相当怖いけれど、認めてもらう安心感といったら。目に涙が浮かびそうだった。
「ありがとな」
礼を言い、重ねられた手を解く。
見れば律花の頬も赤く染まっている。こーゆーのってちょっと気恥ずかしいよな。わざと明るい調子で続ける。
「友達に本当の自分を受け入れてもらうのって、怖いけどいいもんだな! 露ちゃんももっと本音で話してくれるといいんだけど」
早乙女も、露ちゃんも。きっといい友人になれるに違いない。
そう思うから実羚もあえて厳しい言葉を口にしたのだろう。
真正面から向き合って、これからも一緒にいたいから。
――頑張れ実羚。俺も頑張るから。
「よし、じゃあ部屋戻ろうぜ? 明日に向けて少しでも睡眠取んねぇとな!」
ニッカリと笑い、エントランスからふたりの姿が消えたことを確認して下に降りる。とんとんと階段を下りる足が軽く感じられた。
「……これだけ直接的な言葉で言ってるのに伝わらないのは、一体なぜなのかしら」
「え、なんか言ったか?」
「なんでもないわよ!」
うまく聞き取れなかったが、たいしたことじゃなかったんだろう。気にせず廊下を歩いて行く。
決戦は明日。
選別を止めるために、できるとこまでやってやろーじゃねぇの!




