14-6 大脱出
「早乙女、氷の魔法得意なんだよな。ここにある粒子だけで氷作ることってできる?」
「できるが、どうするんだ?」
「それでガラスの向こう側だけ冷やしてもらいたいんだ。ガラスを隔てて氷作るのってムリかな」
「瓦礫の隙間から回りこむようにすればできなくもない」
あくまで向こう側だけでこっちは冷やさないように頼むな、と念を押す。ガラスに手をかざしてみたが、まだ触れないくらいの熱を持っていた。さらに熱することでガラスの耐熱温度を上まわるかもしれないが、この狭い空間で炎を使うのは勇気がいる。
早乙女が氷の魔法を使うのを横目に靴下を脱ぐ。瓦礫の中からできるだけ尖っている石を選び、それを靴下の中へと入れていった。破片がキラキラと光るような、できるだけ鉱物を含んだ石を選ぶ。
建物の外にまで爆弾がしかけられていたのか、ドーム内では使われていないであろう砂利の塊まで見かけることができた。おかげで中に入れる材料には事欠かない。ブラックジャックと呼ばれる、推理小説でおなじみの簡易武器のでき上がりだ。
「これが限界だ」
魔法粒子が尽きたのだろう。悔しそうな顔をしてガラスの前から離れる。
本当は早乙女の魔法だけで割れてくれればよかったんだけどな。まぁVIP室で使われていたガラスだ。質も良く大事に使われていたのかもしれない。
魔法粒子が尽き、不安が皆を襲うなか。俺は靴下を大きく振りかぶる。
――神様仏様ご先祖代々様。どうか俺に力を貸してくださいっ!
祈るように深呼吸をすると、そのまま勢いをつけ。
思いっきり靴下をガラスの端のほうへと打ち付けた。
バァン、と激しい爆発音をあげてガラス全面が白く染まる。
……いや、染まったのではない。一瞬にしてすべてにヒビが入ったのだ。
「いよっしゃ!!」
たまらずガッツポーズを取る。他の皆はなにが起きたのか分からず、突然の大音量に呆気に取られているようだった。
とにかくヒビさえ入ってしまえば後は軽く突くだけで崩すことができる。あー緊張した。ダメだったらどうしようかと思ったぜ。
「どういうことだ」
冷やすのに協力してくれた早乙女が驚きながら問いかける。俺は靴下に詰めていた石をバラバラと下に落としながら、先ほどの現象の解説をした。
「熱したガラスの片方を冷やすと、膨張する力と収縮する力が半分ずつ働いて、小さな傷で割れるようになるんだ」
特に強化ガラスは結びつきが強いため、小さな傷がつくと歪が大きくなり一気に割れる。細かいヒビが一斉に入ったから白く染まったように見えたのだ。
「よくそんなことを知っていたな」
感心したようにシオンが声を上げる。
「昔、魔法粒子が見つかる前に、手品ってゆー見せ物があったらしくてさ」
魔法を用いずに数々の不思議な現象を起こす。いまはすべて魔法でできてしまうが、当時はもの凄く面白いものだったに違いない。
「もし魔法が使えなくてドロップ扱いされるようだったら、その手品で乗り切ろうと思っていろいろ調べてたんだ」
「おまえは前向きなのか後ろ向きなのかよくわからんな……」
呆れながらシオンがつぶやく。しかしその一呼吸後「よくやった!」とぐしゃぐしゃと俺の頭を手でこねくり回した。
ちょ、痛いって! そんな力入れて押したら身長縮む!
このなかで一番力が強いだろう西牧が、コンクリートの破片を使って強化ガラスを割っていく。人が通れるだけの穴を開けると、弱くなった壁を崩さないよう注意しながらそこから脱出した。
周りはいたるところが崩れていて歩きにくかったが、回り込めばなんとか先に進むことができて。皆で協力しながら外の明かりを目指す。
肩の高さまである瓦礫を乗り越えると、野次馬でごった返す外の景色が見えてきた。やった! 脱出成功だ!
「やったな」
シオンが手を掲げてくるので、それに手のひらを打ち合わせる。
振り返って崩れた東京ドームを見てみれば、半地下に作られたせいか大きく陥没しているように見えて。まだ崩壊が終わらないのか、ガラガラと大音量を上げて周りの壁が崩れていった。
「生きているのが不思議なくらいだな……あのまま居たら危なかった」
早乙女が崩れる瓦礫をじっと見つめながらつぶやく。外から見てその現状にいまさらながら恐怖が蘇ってきたみたいだ。
それを振り払うべく、わざと明るい調子で笑ってみせる。
「俺の機転の勝利ってね。それで露ちゃんの自殺も止められたしぃ?」
露ちゃんが胸を隠して俯き、顔を赤らめる。
中学生だからと期待してなかったが結構いい感触だった。洋服でごまかされているが、結構クラスでもデカい部類に入るだろう。おそらくブラジャーだと思われるレースの感触と、豊かな弾力がしっかり手に伝わっていた。それをあんなに揉み揉みできたなんて、役得というしか……
「……って! 何で殴るんだよ?」
「なんとなく」
西牧が不機嫌そうな顔で俺から視線をそらす。
ったく、なんとなくで人を殴んなよなぁ。
「健人! 早乙女!」
遠くの人混みを掻き分けておっさんが駆け寄ってくる。よかった、無事だったんだ。
「あれ、実羚?! なんでここへ!」
おっさんの後ろから私服姿の彼女が現れる。やっぱり私服もかわいい……って、それどころじゃなくて。見れば後ろから律花も駆け寄っていた。
走ってきた彼女に両手を伸ばす。それを実羚は息が上がったままおそるおそる触れて。
冷たく冷えきった手が、俺の手を確かめるように強くつかんだ。
「生きてた……」
震える彼女の手に雫が落ちる。どさくさ紛れに伸ばしてしまった手をつかまれ動揺したせいで、彼女の表情に気づくのが遅れてしまった。
「みんな、生きてた……!!」
ボロボロと実羚の目から涙がこぼれ落ちる。
それを見て俺もようやく自分が生きているという実感を得ることができた。
「あの全米が泣いても泣かない武藤が……」
珍しい、明日は槍でも降るんじゃないか? とシオンにしては珍しい軽口をたたく。これでおまえも泣いたら「全米泣いても泣かないふたり」がそろって泣くことになって面白かったんだけどな。
ふ、と息を抜いてほほえむ。この珍しい軽口は空気を軽くしようとして言ってくれた言葉だ。張り詰めていた緊張が解ける。
片手をつないだまま顔を覆って泣き出す実羚を、俺はただおだやかに見つめていた。
後ろを振り返ると西牧が無表情で鼻をすすっていた。目を赤く潤ませて。コイツもしかして何気に涙もろいんじゃねぇ?
他の様子はどうだと視線を巡らすと、早乙女はバツの悪そうに端っこのほうで俯いていて。それを慰めるようにおっさんが豪快に肩をたたく。
咎めるでもなく、頭をグシャグシャと撫でながらなにかを話していて……。
しばらくすると早乙女がメガネを外し、手で顔を覆う。それを優しく見つめながら、おっさんが頭をポンポンと数回たたいた。
なんだかんだであのふたりもしっかり和解できたみたいだ。よかった。
露ちゃんもふたりを見ながら涙を零していた。シオンからハンカチを渡され、そのまましゃがみ込み顔を覆う。
シオンも片膝をつき、敵対していたのがウソのように優しく頭を撫でてあげていた。妹がふたりいるって言ってたからな。兄妹のようなしぐさにほほえましい気持ちになる。あと、律花は……
いつの間に後ろに立っていたのか。
俺が振り向いた途端にパァンッ、と律花が頬をぶったたいてきた。
痛ってぇ!!
実羚もびっくりして、俺をつかんでいた手を離す。
「よくも騙してくれたわね」
たたいた自分も痛かったのか。手をさすりながら俺を真正面から睨みつける。
「わ、悪かったって! だって実羚のことも心配だったんだよ。律花が居てくれれば大丈夫だと思ったからさ」
本当は危ない場所に女の子を連れて行きたくなかっただけなんだけど。
けれど魔法力などで言ったら俺より律花のほうがはるかに頼れるわけで。そんなこと言ったら男女差別だ、と本気で叱られかねない。
「一緒にいるって約束したじゃない。もう勝手なことしないで……!」
強い口調ながら涙を溜めて怒る。
すげぇ心配してくれたみたいだな。結果的に彼女を騙すことになってしまったので、素直に謝罪する。
「ごめんな。もうしない」
俺の言葉に気が済んだのか、安心したのか。わぁと声を上げて律花が俺の胸に飛び込み泣きじゃくる。
俺はこんなに泣かれるとは思わなかったので、服をつかまれながらオロオロすることしかできなかった。
え、そんな泣くほどのことですか?! そんなに俺悪いことしましたか?!
助けを求めて周りを見回す俺に、シオンが「気の済むまで泣かせてやれ」とアドバイスをくれる。
俺はしばらく手を所在なさ気に宙にさまよわせた後、子どもをあやすように律花の頭をポンポンと撫でてやった。
いまさらながらたたかれた頬がジリジリと痛む。これ、冷やさないと明日絶対腫れるやつだ。
「とりあえず一度戻るか。大団円といきたいところだが、まだ問題が残っている」
シオンの提案で、律花に抱きつかれて身動きが取れない俺の所にみんなが集まってくれる。
実羚は女の子同士すぐ打ち解けたのか、涙が止まらない露ちゃんの肩を優しく抱いていた。なおも泣き止まない律花は、俺の腕を強くつかみ力を込める痛い痛い痛い。
野次馬もさっきから珍しそうに俺たちを遠巻きに眺めている。泥と埃にまみれた格好は、一目見てこの瓦礫と化したドームから逃げ延びたと分かるからな。写真を撮られないだけマシと言ったところか。
「うちへ案内しよう。僕たちが生きていると悟られないほうがいい。着替えもしたいしな。露、車を用意してくれ」
早乙女が学校へ戻ろうと相談する俺たちを引き止めて家へ招いてくれる。この状態で電車に乗りたくなかったため、車で移動できるのは有り難かった。
携帯がまだ通じなかったので、無事だった公衆電話を使い、露ちゃんが会社の車を手配してくれる。
警察やマスコミに見つからないよう喧騒を抜け、裏にある庭園へと回った。移動の最中も律花は俺の手を握ったまま泣き続けていて。
車の到着を待つ間。彼女を安心させるためにも、俺はぎゅっと頭を抱き寄せ、両腕で強く抱きしめてやった。