14-4 再会
狙いを定めると一気にそれを突き立てる。
男の目と鼻の先。彼には傷ひとつ付けずに。
「は……ははっ、さすがに人を殺す勇気はないようだな」
乾いた声で俺を嘲る。これ以上なにもできないと思ったのか、先ほどまで見せていた怯えた表情とは別人のようだ。
「そんなの勇気なんて言わねぇよ。最初から狙いはこっちだ」
ナイフが潜る床の上でひとつのケーブルが寸断されていた。機械へ電気を供給する電源ケーブルだ。
「こんくらいじゃ気がすまないと思うけど。せめてものってことで見ててくれよな」
意識を集中すると、水を作り出すべく魔法の構成を始める。
途切れた電源ケーブルめがけて。男を巻き込むように。
「おまえまさか……やめろ、やめ……っ、ギャアァァァァァァッ!!」
バチィ、と凄まじい音を立てて火花が飛び散る。根元のコードが耐えられなかったのか、それは俺のコントロールを外れてすぐに消滅した。
心臓に電流が流れなければ死ぬ確率は低いはずだ。わずかな時間だったし大丈夫だろう。感情のまま行ってしまった、罰を与えるような行為に少しだけ嫌悪感を抱く。
でも、律花から釘を刺されていなければ、俺は躊躇うことなくナイフを男の心臓に突き立てていただろう。
自分を正義だと信じて。それに比べればまだマシなもんだ。
「誰も殺さねぇよ。みんなとこれからも一緒に居たいから……」
床を突き刺したときの鈍い衝撃が手に残っている。これが人だったら、一生その感触を忘れることができなかっただろう。
ぐっとこぶしを握りしめ、一連の流れを見つめていた人を振り返る。
手を伸ばしかけるが、目を見開いたピンク髪の男を触る勇気は出なくて。俺は上着を脱ぐとその男の顔を覆うようにかけてやった。
本当は目を閉じさせてやったほうがいいんだろうけれど。
助けてやれなくてゴメンな。仇はちゃんと取るから。ちょっとだけ力を貸してくれな。
手を合わせた後、魔法使いの男が見せびらかしていた粒子瓶を手に取る。その瓶はいままで手にしたものよりはるかに重く感じた。
ひととおり観客席や周りの通路を駆けまわる。正面ゲートにいたふたりを魔法でやっつけると、他に敵と思われる人物は見当たらなかった。
後はフィールドで戦っている早乙女と……露ちゃんだけだ。
シャッターが下ろされた売店などを通り抜け、フィールドに舞い戻る。ふたりの激しい戦いの跡を物語るように、ドームのあちこちが焼け焦げたり傷ついたりしていた。
ふたりとも服のいたる所が破け、血がにじんでいる。額には大粒の汗が浮かんでいて。
力が均衡しているため決着がつかないのか、肩で息をする西牧はつらそうだ。
シオンのほうもどう攻めていいのか苦戦しているようだった。拘束をメインに放った魔法も露ちゃんによってかき消される。
こっちのふたりも息が上がっている。露ちゃんは遠慮なく魔法を放ってくるため、傷つけないと誓ったシオンは防戦一方になっていた。
だけれどもまだ西牧よりかは余裕があるだろう。そう判断すると西牧のほうに駆け寄り、大声で叫ぶ。
「西牧!!」
粒子瓶を西牧に向かって投げる。力量が一緒ならば魔法粒子量の多いほうが有利だ。
西牧が俺を見てうなずくと、魔法の構成を少し変える。いままで見てきたどの魔法よりも長い集中。
パリンと音を立てて瓶が割れると、一呼吸後に手が打ち鳴らされて。激しい炎が早乙女へと襲いかかった。
「拓哉……っ! キャアッ」
いままでにない勢いに、露ちゃんが加勢に行こうとして宙に舞い上げられる。炎の勢いだけじゃあんなに飛ばされない。炎の周りをまた風で覆っているんだ!
吹き飛ばされた彼女が壁にたたきつけられる間一髪のところで、シオンが身を挺して抱き止める。かなり強く背中を打ち付けたが、眉を顰めただけで呻き声すら上げなかった。
いまの結構痛かっただろうに。「大丈夫か?」なんて露ちゃんのことをいたわってみせたりする。やっぱ自分でフェミニストだって言ってるだけあんな。かっこいいぜおまえ。
バツが悪そうにシオンを見上げる露ちゃんの近くに立つ。
二対一。彼女も変な気を起こしたりしないだろう。俺ら三人でドームの天井に届く勢いの炎を見つめる。
早乙女を囲むようにして張り巡らされた炎の壁。かなり離れているというのに、顔の表面にちりちりと熱を感じた。
この威力の魔法だとヘタに手を出すことはできない。心配ではあるが西牧を信じて見守る。
中からは早乙女が氷を作って炎をかき消そうとしているようで。時折炎が揺らいでは氷の塊が現れ、互いに打ち消し合いながら水蒸気を生み出していた。
「……前に健人さんに話した、私が友達を奪ってしまった男の子……それが拓哉なんです」
地面にへたり込んで手をつきながら、露ちゃんがぽそりと話し始める。
「え、確かそれ弟って」
「小さいときからずっと一緒に居ましたから。弟みたいなものです」
こんな小さな子に弟扱いされ、心配されているなんて。
おっさんも友達居ないことを気にかけてたもんな……どんだけ周りに迷惑かけてるんだよ、あの野郎。
「私のせいで拓哉は友だちができず、孤独な思いをしてきました。挙げ句の果てにこんな恐ろしいことに手を貸すように……。説得がダメならどこまでも一緒に堕ちようと、そう思ったんです。それがせめてもの罪滅ぼしだと……」
ボロボロと涙を流しながら。でも言葉はつかえずにそう独白する。白くなるほど握りしめた指先が痛々しくて、俺はかける言葉を失っていた。
「間違っていると思うなら止めてやれ。無理に付き合って『おまえのせいで不幸になった』と言われても困るだろう」
ふん、と腕を組んでシオンが壁に背を預ける。露ちゃんは涙を止めることができず、服の袖で顔を拭った。
「大切な者が間違った道に進もうとしていたならば、全力で止める。いまの西牧のようにな」
あれだけ巨大な炎を制御するのは難しいのか。腕をつきだしたままで西牧が歯を食いしばる。
「……私は間違っていたのですか」
露ちゃんの問いに「知らん」と言葉短に吐き捨てる。その乱暴な言い草に文句を言おうかと思ったが、続くシオンの答えは納得できるものだった。
「なにが正解だなんて分からん。人によって正解とするものが違うからな。俺たちは俺たちの意志で動いただけだ」
なにが正しくてなにが間違ってるだなんて、誰にも分からない。後になって失敗したと悔やむことはざらにある。
でも、将来がわからないからこそ。後悔しないため、ただがむしゃらに自分の信じた道を進むしかないんだ。
自分が思う行動を。自分の責任でもって。
「だが、対話も試みず。思想が違う相手を力で排除しようとするのは、決して正義などではない」
「僕が正義だ!!」
こちらの会話を聞いていたわけではないのに、タイミングよく早乙女が吠える。炎の壁を突き破るようにして、中からいくつもの氷の柱が出現した。
「不要なものを排除して! 悪を退治してなにが悪い!」
「それが独善的だと、言ってる!」
地中を這うようにして現れた氷の刺を避けながら西牧も叫ぶ。中からせり出してくる氷の量がだんだんと増していた。
「無駄だ! この程度の炎なんて氷で……、っ?!」
突然早乙女の声が途切れる。西牧を襲う氷の刺の勢いも少し弱まったように感じた。西牧が額に大粒の汗を浮かべながら言う。
「火と氷じゃ、決着、つきにくい。でも、酸素を同時に、は!」
そうか、酸素を遮断するために、外に風の膜を張ったのか。
炎は酸素を消費するため、たとえ氷で熱を防げたとしても、囲まれている早乙女は酸欠に陥る。
風で炎の勢いを増すと同時に空気の流れを操るなんて。つくづく魔法スキルの高い男だ。
炎を打ち消そうと氷が一段と多く生成される。けれども風で煽られた炎は氷を溶かし、さらに勢いを増して。時間が長引けば長引くほど、中の酸素を消費していった。
最後の抵抗とばかりに氷が外にせり出すが、そのうちガラガラと音を立てて崩れていく。わずかに残っていた氷もすべて西牧の炎によって溶かされていった。
勝負有りだ。
西牧はそのまま炎で早乙女を焼きつくすことはなく、手を振り炎と風の魔法を消した。
中から地面に膝をつき、息を荒らげた早乙女が現れる。
彼は深く息を吸い込むと、数度激しく咳き込んだ。ゼエゼエと荒く呼吸を繰り返しながら、途切れ途切れに西牧に向かって問いかける。
「……なぜ、殺さない」
「殺すしか方法、ないのか」
早乙女に近づき、片膝をついてしゃがみ込む。
「拓哉は恩人。ずっと会いたくて、魔法、続けてきた。殺しに来たんじゃ、ない。もう一度、話がしたかった」
呼吸の苦しさで顔をしかめながら西牧を仰ぎ見る。西牧はそんな彼に向けて右手をそっと差し出した。
「拓哉の敵じゃ、ない。友達だから……一緒に、行こう」
眉尻を下げながら真摯に早乙女に向かって懇願する。散々魔法を放つときに打ち合わせたからか、その手は真っ赤になっていて。
早乙女は目を見開いたまま、しばらく西牧の顔を呆然と見つめていた。
あまりにもボーッとしてるもんだから野次でも飛ばしてやろうかと考え始めた頃。同じくたたきすぎて赤くなった手を西牧へと重ねる。
重ねられた手をしっかりつかんで、西牧は早乙女のことを助け起こした。
「よかった。また会うことが、できて」
真正面から早乙女の顔を見つめ、うれしそうに笑う。
気まずいのか早乙女がそろりと視線をそらして……つくづく西牧はお人よしだよな。こんな騒ぎを起こしたんだから文句でも言って一発ぶん殴りゃあいいのに。
なにはともあれ、一件落着だ。
裏で行われていた選別を止めることができた。そこら辺で伸びてる奴らを捕まえて吐かせれば、レピオス社の陰謀もすべてが白日のもとに晒されるだろう……
「いやぁ、実に残念だよ。まさかこんな邪魔が入るとはねぇ」
パチパチと手をたたきながら観客席から声がかけられる。キンキンと高くしゃがれた声は広い東京ドーム内でも遠くまで響き渡った。
「そのまま殺してくれればよかったのに。不正受給者たちを生かそうとしたぐらいだから、相当正義感が強いんだねぇ」
声が聞き取りやすいよう慌ててバックネットのほうへと駆け寄る。会うのは初めてだがその顔には見覚えがあった。
虹鉈繚。レピオスの社長だ。
白髪交じりの短い髪にこけた頬。童話に出てくる魔女のように大きな鼻に、銀色のメガネが乗っている。
本能的に嫌悪感を抱いてしまうような顔。性格の意地悪さがそのまま表面へにじみ出てきたようだ。
「早乙女社長の居場所を知っているのは、確かキミと露子くんだけだな? ということは、ふたりが死ねば自動的に早乙女社長も消せるというわけだ」
にぃ、と口端を引き上げ笑みを浮かべる。
目が遠くからでも分かるくらいギラギラと光っていて。その表情を見ているだけで怖気だった。
「さようなら、拓哉くん。キミが殺人を犯してまで守りたかった会社は、いいように私が操ってあげるよ」
言うとさっきまでの緩慢とした動きがうそのように、カマキリのような早足でゲートへと消えていく。
「待て虹鉈! 貴様なにを……!」
追いかけようと魔法の構成を始める早乙女の後ろでなにかが赤く光る。いままで気づかなかったが、座席の下や壁に沿うような形でスーツケースがいくつも置かれていた。それに取り付けられている赤いランプが、早乙女の後ろだけでなくいたるところで点滅を始める。
これってまさか……うそだろ?!
「伏せろ!!」
シオンの鋭い声が上がる。彼の手が俺らの頭を問答無用で地に押さえつけて。
けたたましい轟音とともに、熱風が頭上を吹き抜けていった。