13-2 守るべき約束
「……教室戻りたくない」
「諦めろ。もう後の祭りだ」
ひととおり屋上を転げまわり、これは夢だと現実逃避で眠りに落ちる。
10分後に起こされ、よかった夢かぁ~と胸を撫で下ろす俺に、シオンが容赦なく現実を突きつけてきた。
めそめそと顔を覆って泣く俺を通りすがりの人たちが何事かと眺めていく。きっと屋上におかしい人がいるとクラスで話題になるに違いない。
「……ごめん」
何度目になるか分からない謝罪の言葉を西牧が口にする。
最初のうちはふざけんなと相手にもしていなかったが、こう何度も心から謝られたんじゃ許さざるを得ない。
皆にバレバレだった俺も悪いのだ。今度から人を好きになったら徹底的に隠さねば。
「もうそろそろチャイム鳴るけど……とりあえず明日の予定は、午後に打ち合わせをするということでいいのかしら?」
律花が時計を気にしながらそう切り出す。そうだ、もうひとつやることが残ってたんだ。
目をこすり、気持ちを入れ替えて顔を上げる。
「どこに集まるかまだ決めてねぇし、迎えに行くよ。1時くらいに行くから、それまで実羚の家で待っててくれる?」
「わかったわ」
そろそろ戻るか、と荷物を片付け始める。俺が暴れた痕跡を残すかのように牛乳がありえない色の水たまりを作っていた。きっと雨できれいに流されるだろう。そのままにしてゴミをひとつの袋にまとめていく。
「……おい」
律花が他に注意を向けている隙にシオンが小さく話しかけてくる。なにが言いたいのかは分かっていたので、俺も小声で手短に返した。
「ゴメン。勝手なわがままだけど見逃してくんない?」
なにか言いたげな目でこっちを見たが、シオンだって自分のことをフェミニストだと言っているくらいだ。彼女を危険に晒すのを良しとしないだろう。
説明会は日曜日じゃなく土曜日だ。迎えに行くとうそをついて実羚の家で待機してもらう。
律花のことだ、正直に話したら絶対に一緒に行くと譲らないに違いない。うそをついたことがバレたら怒られるかもしれないけれど、なにが起こるか分からない場所に女の子を連れて行きたくない。おっさんにも、律花のことは話していなかった。
正確な待ち合わせの時間と場所を、西牧とシオンだけにこっそりメールで回す。
実羚を好きなことがバレバレだったこともあり緊張したが、どうやらうまく騙せたみたいだ。
俺はゴメンなと小さくつぶやいて、階段を下りていく律花の背中を見送った。
*****
放課後は明日に備えて早めに帰ろうということで話がまとまった。けれども俺は魔法の完成度に不安を抱いていたので、最終調整として一時間だけ自主練習に励む。
思いつきでちょっとした小道具を用意してみたが、思いのほか使えそうだ。確かな手応えを感じ、練習場を後にする。
グラウンドでミニゲームをしているサッカー部を横目で眺めながら西門へと向かう。わーわーと歓声を上げながらボールを夢中で蹴りあう姿が、平和な日常を強く意識させた。
彼らの誰ひとりとして、裏で大量殺人が起きていることを知りはしない。
校長こだわりの一品だという噴水がちょうど定時で水を噴き上げ始めていた。細かい粒が光を反射し、後ろのバラ園を白く覆い隠す。ちょうど季節を迎えたバラは赤だけではなく薄いピンクや黄色がかった白など、さまざまな色で緑のアーチを彩っていた。去年散々見たのだけれど、少しだけ足を止める。
こうしてあらためて眺めるとキレイだ。こんもりと花弁を重ねた花は緑の絨毯の上に鮮やかな赤い帯を作っていて。ミツバチが香りにつられたのか、いたるところで縞々の体を上下に揺らしている。
ざああという噴水の水音がしばしの時間を忘れさせた。時折風に乗って鼻孔に届く香りが上品で。年に数日しか出会えないやわらかな香りに瞳を閉じて酔いしれる。
「ねぇ、どこに行くの」
突如かけられた声に振り返ると、実羚が噴水の横に立っていた。
気持ちがバレてしまっていることもあって顔が合わせづらかったが……彼女の目がそんな甘酸っぱい感じではなく真剣味を帯びていて。異変を感じ、逃げ出したい気持ちを堪えて対峙する。
「タケトも律花も松岡も……みんな怖い顔してるよ。覚悟を決めたみたいな……ここからいなくなっちゃいそうな、そんな顔」
律花にはなし崩し的にバレてしまったが、彼女にはなにも話していない。それでも俺たちの様子がおかしいと気づいてしまったのだろう。
「どこにも行かないよね。これからも一緒に居られるよね……?」
近づき、ちょこんと服の裾を引っ張られる。俺はそれに答えることができずにいた。
もちろんなにも起きなければそれでいい。だけどもし「選別」が本当に行われていたら――
放っておいたら今度は実羚たちが対象になるかもしれないのだ。それだけはなんとしてでも阻止したい。たとえそれがどんなに危険なことだろうとも。
答えない俺に不安を抱いたのか、つかんだ服の裾をしっかりと握りこまれる。
「話してくれないんだ……」
「ごめん」
ごまかすことなく、素直に謝る。実羚はぎゅっと、服の裾をつかむ手に力を入れた。
「タケトのこと好きだよ。結婚したいとは思わないけど。これからも一緒に居たい」
「ありがとう、俺も好きだよ。結婚したいほどだけど」
彼女の言葉に優しく返してやる。俯いているせいで実羚の表情を見ることができなかった。
でもそれで好都合なのかもしれない。生まれて初めての告白を果たした俺は、声の落ち着きとは対照的に顔が火傷したかのように熱くて。酷くカッコ悪いだろうから。
「律花にね、実羚はいつも別れを前提に接しているよねって言われたの」
昼に言っていた「言い過ぎちゃった」ことの話だろうか。黙ったままで話の続きを促す。
「後悔したくないから。そのときに伝えたかったことすべてを伝えようって。もし明日いなくなったとしても後悔しないよう接しようって」
彼女は好きなものに対して積極的に「好き」と伝えていた。なぜそんな素直に口にできるのかと不思議に思っていたが……。
後悔しないように。いつ相手が消えても悔いが残らないように、伝えていたのか。
それはいいことではあるのだろうけれど、終わりを見据えている分、少しだけ悲しい。
「でも、だから。先の約束なんてできなかった。約束を叶えられなかったらつらいから。未来に期待しちゃうのが怖いから」
彼女の家で交わした会話を思い出す。「約束な」と言った途端に表情が曇っていた。
俺はそれをずうずうしいお願いをしたからだと思い込んでいたが……約束。その言葉が彼女の胸を刺していたのか。
「いつ誰がいなくなっても傷つかないようにしてた。その場限りの付き合いってやつ? 律花の言うとおり、私がしてたのは表面的な仲良しごっこだよね……」
自嘲めいた笑いを浮かべる。初めて見る、彼女のつらそうな内奥。口元だけで笑うその表情は見ているだけで俺の胸を締め付けた。
彼女は母親を事故で亡くしているから、大切な人を失う痛みを恐れたのだろう。それは俺も親父を亡くしているからよく分かる。
「でもいまは。みんなとこの先も一緒に居たいから」
顔が上げられ、まっすぐに俺の目を見つめる。少し目元が赤く見えるのは気のせいなんかじゃない。
「前に他の料理、食べたいって言ってくれたよね」
静かにうなずく。料理上手で、俺が心から惚れている女の子。実羚。
彼女の飯を食べたくないだなんて、誰が言うものか。
実羚はひとつ息を吸い込んで、はっきりとした口調で言う。
「また作るから、食べに来て。約束」
右手に彼女の指が触れる。
俺はそれに自分の小指を絡めると、胸元に上げ目を瞑った。
「約束、な」
俺と彼女が交わした初めての約束。
小さく震える指が物語っている、彼女の精一杯の勇気。
噴水がさらに水の勢いを増し、高く噴き上がる。風に乗った細かい霧が光を反射し、七色の虚像を高い空へ向かって生み出した。未来へとつながっていそうな、儚げな橋の下。
俺は固く指を結びながら。必ずその約束を果たしてみせると心に誓った。