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12-2 価値

 店が近づくにつれ炊きたてのご飯の匂いが風に乗って漂う。

 くあぁ~っ、食欲そそるよなぁこの匂い。きゅううと腹が待ちきれないと文句を漏らす。


「やっぱり、健人じゃねぇか」

「おっさん」


 俺たちが来たほうとは逆の角から、思いがけず声がかけられた。


「学校が近いからもしかしたら見かけるかとは思ったが。偶然だな」


 意外なところで意外な人と会うというのはなんか特別な気がして楽しい。数歩ではあるがおっさんのところへ駆け寄る。


「おっさんは何してんのこんなとこで。サボリ?」

「バーカ、家庭訪問だよ。受給者にはお年寄りも多いからな。大変だぜ」


 そこでようやく実羚の姿に気づいたのか。おっと小さく声を上げると、ニヤニヤ笑いながら彼女にも聞こえる声で問いかけてきた。


「隅におけねーなぁ、彼女か?」

「違います」


 きっぱりと。俺が一言も発する間もなく実羚が否定する。

 俺はそのあまりの早業に浮かれる暇なくたたき落とされる羽目(はめ)となった。


「そ、そうか……」


 その潔い否定にはおっさんも虚を突かれたのか。(いささ)かたじろぎ気味だ。


「クラスメイトの武藤実羚(むとう みれい)です。はじめまして」


 にっこりと笑顔で自己紹介をする。

 俺はいつまでも地面に()いつくばっているわけにはいかないので、気力を振り絞って数秒前のできごとをなかったことにした。


「すぐそこの区役所で働く青柳さん。最近知り合って仲良くなったんだ!」


 にこやかにおっさんを紹介する。ちょっと涙目かつ声が裏返ってしまったが気にしない。気にしないったら気にしない。


青柳和志(あおやぎ かずし)だ。よろしくな嬢ちゃん」


 軽く手を上げてあいさつをすると、ちょうど後ろから「いらっしゃい、どうぞ中入って~」とお店の人が声をかけてきた。それに促されるようにして西牧と実羚は狭い店内へ入っていく。


「……なんつーか、その、悪かった」


 ひとり残された俺に小声でこっそり謝ってくる。どうやら心情を察してくれたみたいだ。

 それはそれでむかつくので力任せに背中をバシッとたたく。


 ちくしょう、こう見えてもガラスハートなんだ。しまいには泣くぞ。

 幸い他に客は居なかったが、一応場所取りとしてテラス席に持ってきた弁当を広げる。

 俺は朝のうちに買っちゃってたからな。店内でキャッキャと楽しげに弁当を選んでいるふたりをできるだけ意識しないようにする。


「明るくてかわいい子だな」


 たたかれた背中をさすろうと腕を伸ばし、体の固さに断念しながらおっさんが俺の弁当をのぞきこんできた。


「だろー? おっさんも昼ここにすれば。ふたりの間に割り込んできてくれたら、さっきのことは水に流す」


 露骨な俺の言い方に苦笑を漏らす。


「武藤実羚って言ったっけ? どっかで会ったよーな気がするんだがな」


 お望み通り邪魔してきてやるよ、と体を伸ばしながら店に突入する。

 言葉通り入ってすぐふたりの間に陣取って、実羚と楽しげに会話を始めた。西牧は間におっさんがいるせいで話をすることができない。けっ、ざまぁ。

 そしてしばらく話した後、実羚だけ先に弁当を持って店から出てきた。


「青柳さんって面白い人だね~」


 クスクスと笑いながら俺の隣の席に座る。

 なぜ隣に座ったかというと、彼女が出てきたのを確認するやいなや、俺が場所取りに見せかけ他の席にこっそり荷物を置いたからだ。ナイス小細工、俺!


「気が利くし、すっげえいい人だよ」


 おっさんはなにやら西牧と話し込んでいて、なかなか店から出てこない。

 もしかして俺と実羚が少しでも長くふたりで居られるように気を使ってくれたのだろうか。おっさん、あんたマジでいい人だよ……!!


 たっぷり実羚との会話を楽しんだ後に、思い思いの弁当を手に店から出てくる。

 おっさんはまるで普通のクラスメイトのように話になじんで、年齢差を感じずに楽しく時間を過ごすことができた。

 天気はいいし、飯はうまいし。なんかすげえ幸せだ。


「ごちそうさまでしたー! おいしかった!」


 楽しい時間はあっという間に過ぎ、皆が食事を終える。ここの弁当は実羚の口にも合ったようだ。


「俺もうちょっとおっさんと話してくから。先帰ってていいよ」


 昼休みはまだ半分くらい残っていた。学校に戻ろうとするふたりを、手を振りながら送り出す。実羚の前では話せないことだから待っててもらうのも悪いしな。


「おいおい、ふたりっきりにさせちまっていいのかよ」

「いいよ、ちょっとくらい」


 正直いつもなら少しでも長く実羚と一緒に居られるよう小細工の限りを尽くすのだが、今日はたくさん楽しい時間を過ごせたことで心の余裕ができていた。

 これ以上欲張ったら逆に悪いことが起きそうな気がして怖い。それだけ充実した幸せな時間だったのだ。


「余裕こいてるとアイツに取られちまうぜ?」


 ニヤリと意地悪く笑ってみせる。


「大丈夫だろ。西牧そーゆーの興味無さそうだし」

「いや、わかんねぇぞ~? さっき弁当選んでるときに意味深なこと聞いてきたからな」

「意味深なこと?」


 その不穏な言い回しに、自然とペットボトルのフタを閉める手に力が入ってしまう。


「健人の好きな人、わかりますか? だとよ。そりゃさっきのおまえの態度みてりゃ誰でも分かるよなぁ。嬢ちゃんを狙うのにおまえがライバルかどうか確かめたかったんじゃねぇか?」


 ……うそだろ、西牧。

 いまさらながらにふたりが去っていった方向を見つめる。


「追いかけねぇのか?」

「い、いや大丈夫。西牧が実羚のこと好きだって確定したわけじゃないし……」


 平静を装ってみせるが動揺したのか、ゴミをまとめていたビニール袋が手をすり抜け地面へと落ちる。

 俺はあたふたとそれを拾い上げようとしてテーブルの裏に頭を打ち付けた。その様子を見ておっさんがケラケラと笑い声を上げる。


「青春だなぁ。楽しそうでうらやましいぜ」


 楽しくない。

 ぜんっぜん楽しくない。


 仏頂面で頭を(さす)りながらも、ざわざわと不安感が胸を占めていく。

 ……いや、まだそうだと決まったわけではない。友達の好きな人が気になるという、ただの好奇心かもしれないし。

 気にしだしたら止まらないので、無理やりにでも思考からそのことを追い払った。


「おっさんは? あれから変わりない?」


 話題を変えるべく率先して話しかける。もともとおっさんの話を聞きたくてここに残ったんだ。本来の目的を果たしてしまおう。


「ああ。早乙女があれ以降職場に来てねぇから、その分仕事が楽になったぐらいだな」

「早乙女来てねぇの?」


 てっきりおっさんの監視役として見張っているものだと思っていたのに。


「来てねぇ。休みの理由を部長に聞いても教えてくれねぇし、相変わらず名簿は障り放題だ。……早乙女の奴、俺のことを部長とかにはチクってねぇみたいだな」


 それも意外だ。監視されてたり、圧力をかけられたりしてないか聞くが、一切ないらしい。

 どこまで関わったらアウトなのか試したいぐらいだ、とか恐ろしいことを言うので、頼むからおとなしくしていてくれと今度は俺が頼む番になった。


「仮にも敵地なんだからさぁ。あれから動いてねーだろうなぁ?」

「ああ。おとなしーくしてるぜ? 大人しすぎるくらいにな」


 にやりと不敵に笑いながら言うので、どういう意味だと問いかける。

 「前に下っ端の警察に相談したっていったろ?」と過去に話したことを覚えているか確認された。


「あれからもちょくちょく会って、雑談がてら簡単に報告はしてたんだ。次に会う約束までしてな。それを急に『会えなくなった』って放置し続けて……向こうがどう思うかまでは、俺はわかんねぇなぁ~」


 ニヤニヤとわざとらしく言ってのける。

 そんな分かれ方したら、向こうは心配するだろうに。たとえ下っ端だったとしても、できる限り調べてくれるだろう。


 一応動けないなりに、それなりの手は打っていたらしい。ほんと、抜け目のないおっさんだよな。安心して、肩の力を抜く。


「いまのところ命を狙われてる感じはない?」

「ああ。アイツが来る前と何一つ変わんねぇよ」


 早乙女の行動が気になるが、律花の言った通り、生かしておいたほうが害がないと判断しているのかもしれない。

 よかった。ほっとして深く息を()く俺を見て、おっさんは困ったように苦笑を浮かべて言った。


「なにも変わらねぇよ。相変わらず不審死は起きているし、受刑者は減り続けてる」


 再び息が詰まる。

 そうだ。おっさんに危害は加えられていなくても瓶の製造はいまこの瞬間も進められているんだ。

 俺とは直接関係がない人だとしても後味が悪いことには変わりない。


 俺が言葉を失っていると、食後の一服として缶コーヒーを(おご)ってくれた。温かい缶に手を温めながらテラスの椅子に体を預ける。


 たばこが嫌いだと言っていた俺に配慮して、一声かけてから煙がこちらに来ないように風下に座りなおした。

 かちっと百円ライターが無機質な音を上げ、白い先端をじりじり焼き焦がす。その煙に誘われたわけではないだろうが、一羽、また一羽と(はと)がおこぼれをもらいにテラスへと集まってきていた。


 なにもないように見える地面を適当につついた後、ひだまりが気持ちいいのか。ふくふくと羽を膨らませてその場に留まる。横から突いたらそのままころんと転がりそうな、かわいらしい丸さだ。


「どちらかというと、俺もあいつらと同じ考えを持ってたんだがな」


 意外な言葉に視線を向ける。するとおっさんは(ほほ)をかきながら気まずそうに、バレたイタズラを白状する子どものような顔で話を続けた。


「仕事を増やすくらいなら、役に立たない人間は死んだほうがいい。まっとうな人間だけが生き残ればいいってよ。……でも」


 ふう、と白い息を()く。

 それは周りの景色をほんの一瞬(かす)ませただけで、すぐに風ににじんで消えていった。


「まっとうな人間ってどうやって決めるんだ」


 温かい缶を握りしめたまま、たばこを(くゆ)らす彼を見つめる。

 持ち歩いている携帯灰皿を取り出すと、慣れた手つきで灰を振り落とした。


「まだ芽が出なく、影でコツコツ頑張っている人かもしれない。散々頑張ったあと、次のために少し休んでいるだけかもしれない。結果が表に出ていなかったら、判別は難しいんじゃないか」


 ここでおっさんを見かけたとき、俺は一番先にサボりじゃないかと疑った。

 でも実際は、面倒くさい家庭訪問の最中で。遊んでいるように見えて、必至に働いていたんだ。


「価値観の違う奴も多い。自分が大事にして頑張っていることでも、他の奴から見たら無駄な労力だと思うかもしれない。そんなとき、俺はまっとうじゃないって切り捨てられるんだろうか」


 バサバサと。さっきまで羽を休めていた鳥がけたたましい羽音を立てて一斉(いっせい)に飛び立っていった。抜け落ちた綿毛のような羽が、おっさんの背後でふわりと漂う


「逆に俺が選ぶほうだったら。俺はピカソを評価できたか。あの絵を見て、何世紀も語り継がれる絵だと思えたか」


 人によって違う価値観。

 芸能人なんかでもよくあるが、皆が褒め(たた)えるアイドルも人によってはそれほどまでに(けな)さなくてもと思ってしまうほど嫌われている。

 国を(また)げばその差はさらに激しくなる。戦争を率いる憎らしい指導者も、現地の人たちにとっては偉大なる革命家だ。

 なにが正しくてなにが間違っているか。そんなのは人によってまったく違ってしまうのだ。


「自分の価値を他人に決められるのは、怖ぇな」


 静かに。おだやかさすら感じる声でおっさんがそうつぶやく。

 俺はうまくまとまらない言葉をコーヒーとともに喉の奥へ流しこむことしかできなくて。

 (うつむ)いた顔は陰っていて。彼の表情がよく見えなかった。



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