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10-4 満月の夜

 和やかにシオン達と別れたあとも、俺はすぐに帰る気にはなれず、周辺をブラブラ歩いた。

 特に行く当てもなく、知らない道を探索する。


 すっかり周辺の道を覚えきった頃、さすが(さすが)に疲労を感じたので近くにある公園のベンチへと移動した。

 木を模した冷たいプラスチックに腰かけて空をぼうっと眺める。


 風が葉をサラサラと揺らす以外、音のない夜。少し肌寒いが深く息を吸い込むと冷たい空気が体中を浄化し、悪いものを追い払ってくれるように感じた。


 しばらく背もたれに体を預け、星空を見上げる。明るい月が流れる雲の縁を照らし、形を強調していた。遠くから電車の通る音が反響して聞こえる。

 しばらく空を眺めていると分厚い雲が月をすっぽりと覆い隠す。ただでさえ暗い公園がよりいっそう暗くなったように感じた。

 どんなに月明かりを望んでも、流れる雲は容赦なくその光を遮ってしまう。

 それが人の命などたやすく途切れるということを象徴しているような気がして……。


 早乙女に裏切られ、傷ついたおっさんの顔が脳裏に浮かぶ。

 あんな嫌な男さえ見捨てず、世話を焼いていた優しい人。


 おっさんはこれ以上深入りしなければ大丈夫だと言っていたが、罪のない老人まで瓶の材料にする非道な奴らだ。いつその矛先が彼に向くか分かったもんじゃない。

 区役所全体が敵ではないとしても、直属の上司がヤバい奴であることは確かだ。その気になったら人ひとり誰にも気づかれずに消すことができるだろう。

 嫌だ。それだけは絶対に駄目だ。


「健人さん……?」


 突然声をかけられ、慌てて顔を起こす。


「あ、れ? 露ちゃん。こんな時間にどうしたの」


 こっそり目を擦り、笑顔を作る。街灯があるとはいえ暗い。声さえ震えなければごまかしきれるだろう。


「気分転換にお散歩です。健人さんこそどうしたのですか?」


 とてとてと俺が座っているベンチに近づく。彼女は隣に腰かけずに俺の真正面で立ち止まった。


「俺? 俺は月がキレイだからさ。月光浴」


 声だけで笑う。(こら)えていた涙が鼻へ回ったが、(そで)でさり気なく(ぬぐ)い消した。


「今日は満月みたいですね」


 目の前に立ったまま空を振り仰ぐ。俺より頭ひとつ分くらい小さい彼女だったが、ベンチから見上げる彼女の顔は俺より上にあった。


「満月の日は月の光が強いです。夜なのに影が落ちるくらいに」


 手を地面に向け、ひらひらと揺らす。それに合わせるように地に落ちた薄い影もひらひらと揺れ動いた。


 本当だ。夜でも影ってできるもんなんだな。

 感心していると、いつの間にか伸びていた手にぽんぽんと頭を()でられる。

 驚いて見上げると、彼女は優しい笑みを浮かべて俺を見ていた。

 月を背にしている彼女の表情さえ見えるってことは……


「だから、健人さんが泣いているのも丸見えですよ」


 ――なんだよ、全然隠しきれてないじゃんか。


 「我慢は良くないです」との言葉に(うなが)され、俺は自分より年下の少女の前だというのに耐えきれずボロボロと涙を流してしまった。


「やっべ、だっせ……」

「ダサくないです。泣きたいときに我慢すると体にも心にも良くないですよ」


 顔を手で覆い、涙を止めようとするが次から次に(あふ)れてくる。頭を()でる手がやさしいのも相まって、一度(せき)を切った感情は留まりそうになかった。


「死なせたくない……今度こそ絶対に助けたい」


 父親とおっさんの姿が重なる。

 親父(おやじ)は離婚後、俺たちの知らない間に病に冒され、人知れず死んでいった。

 俺は九歳のガキだった。夏休みの宿題と称して父親の居場所を強引に突き止め、そこで死を知った。

 そのときの状況を思い出し体に震えが走る。


 あんな思いは二度としたくない。

 もっと早く父親の行く先を突き止めていれば、助けられたんじゃないかと後悔が襲う。

 もう乗り越えたトラウマだと思っていたが、まだ根強く心に蔓延(はびこ)っていたらしい。


「死なせたくない大切な人がいるというのは、幸せなことです」


 彼女は深く追求することもなくそのまま頭を()で続けてくれる。こんな小さな子にまで心配をかけてしまうなんて。しっかりしろよ、俺。


「ありがとう露ちゃん。……はは、俺カッコわりぃ」


 鼻水をズズっとすすりながら無理に笑う。


「話して楽になるようなら聞きますよ。カウンセラー露にお任せなのです」


 とんっと拳でたたき、頼もしげに胸を張る。それに俺は心から笑顔を返すことができた。


「大丈夫だよ。ありがとね」


 そこまで好意に甘えてしまっては年上として恥ずかしいし、何よりも事が事だけに話すことができない。

 礼を言うと露ちゃんも話したいことがあるのか。少し表情を曇らせながら言葉を唇に乗せた。


「私も助けたい人が居ます。他になにを犠牲にしても絶対に助けたい人が」


 小さい子がそんな言い方をするなんて深刻だ。

 「俺でよければ聞くよ?」と声をかけたら、スカートを押さえながら隣にちょこんと腰をかけた。


「幼い頃から一緒に育ってきた、弟のような存在です」


 後ろに手をついて空を見上げたので、つられて俺も一緒に空を仰ぐ。


「私のつまらない嫉妬で友達をなくしてしまいました。それ以来彼はひとりぼっちで……償っても償いきれません」


 傷ついた顔でそう告げる。彼女のそんな顔は見たくなくて。お節介かもしれないけれど、話にクチバシを入れさせてもらった。


「よく分かんないけどさ、それって本当に露ちゃんのせいなの?」


 聞き返すと言いにくい話なのか、足を所在なくぶらぶらさせて(うつむ)く。


「私ではなく他の子と遊ぶのが気に入らなくて。おじさんに告げ口してしまったんです」


 その子は厳しい家の子で、家庭教師である父の縁で仲良くなった自分以外、遊ぶ相手を制限されていたらしい。

 そんななか、おじさんの目を盗んでできた初めての友達。


「私がつまらない嫉妬なんかしなければ、ずっと一緒にいられたのに。私が彼の友達を奪ってしまったんです」

「それってさ、露ちゃんのせいじゃなくてその厳格な親父(おやじ)さんのせいじゃないの?」


 目をまあるく見開いてこちらを見上げる。

 その現場に居合わせたわけじゃないけど。話を聞いて露ちゃんが悪いのではないということを確信していた。


「隠しててもそのうちバレるもんだしさ。露ちゃんが言わなくても気づかれたと思うよ」


 悪いのは自分の認めた相手以外許さないっていう親父(おやじ)さんのほうだ。

 遊ぶ友達まで制限されるってのはたまんないだろうな。子どもを心配するがゆえだとしても、どんだけ過保護なんだ。


「その後友達ができないってのもさ、友達は人に作ってもらうもんじゃなくて自分で作らなきゃいけないものだし。露ちゃんのせいじゃないよ」


 つい最近まで友達が居なかった俺がなにを言うって感じだが。

 だけど、西牧とシオンという友人ができたからこそ。自信を持って言えることだ。自分から歩み寄らなければ、友達なんて一生できない。


 さっきのお返しとばかりに頭を()でる。露ちゃんは優しい子だねと言うと恥ずかしそうに(うつむ)いた。


「今度会わせてよ、その弟みたいだって子に。俺が友達になるよ」


 露ちゃんより年下というと小学生くらいだろうが、友達に年齢は関係ないだろう。俺とおっさんだって年は離れているが友人みたいに接しているしな。


「健人さんが友だちになってくれるなら心強いです」


 話している最中は下がりっぱなしだった眉尻がほんの少しだけ上を向いた。やっぱりかわいい子には笑顔でいてもらいたい。


「送ってくよ」


 話していたら結構いい時間になってしまった。これ以上遅くなったらいくら家が近くだとしても家族が心配するだろう。


「大丈夫ですよ。レシャがいますから」


 肩口からぴょこりと黒い毛玉が顔を出す。顔を見るまですっかり存在を忘れていた。


 肩の周りをくるくる回るその動きは軽やかでとても人形とは思えない。この子を動かすために相当練習を積んだのだろうな。もしかしたらその弟みたいな子を励ますために身に付けた技なのかもしれない。


 魔法生物じゃないということを指摘してしまうのはかわいそうだ。彼女を傷つけないよう配慮を重ねて言う。


「俺が露ちゃんともっと一緒に居たいだけなんだ。ダメかな?」


 近くまでていいから、と頼み込む。

 魔法生物がウソである以上彼女はひとりだ。やっぱこんな夜中に女の子をひとりで歩かせるのは心配だからな。


「……ダメじゃないです」


 レシャに半分顔を(うず)めながらもごもごとつぶやく。俺はにっこり笑いながら「手つないでいい?」と彼女に右手を差し出した。


「健人さんは将来とんでもない女たらしになりそうです」

「なんだよそれ。露ちゃんそんな言葉どこで覚えたの」


 かわいい子にそんな言葉覚えさせるなんて。悪い奴がいるなー、と笑っていると小さな手が俺の指をつかんだ。(やわ)らかい手を親指でしっかり握りこむ。


「ありがとね露ちゃん。露ちゃんのおかげですっごく元気出たよ」

「私も健人さんのおかげで元気が出ました」


 ぶんぶんと子どもがするようにつないだ手を前後に振る。それにぶら下がるようにレシャが飛びついてきたりして。うそだと分かっていてもそのほほえましい光景に笑みがこぼれる。


「もうちょっと。もうちょっとだけ諦めずにがんばってみます」


 暗い通りをまっすぐに見つめながら彼女が誓う。

 それは暗闇の中でも分かるくらいに強い意志を秘めていて。

 俺は頑張れ、と声をかけながら強く手を握りしめた。


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