10-2 亀裂
建物周辺を人目を気にしながら探索する。閉庁時間を過ぎているが、以外と庁舎内に人は多いみたいだった。大きな窓からちらちらと中の様子を探る。
あの角を曲がれば生活部の窓口だ、と足を速めると、シオンに手で動きを制された。耳を澄ますと、突き当たりの角からおっさんのおどけた声が聞こえてくる。
「どうしたよ拓ちゃん。俺になんか相談事か?」
早乙女と一緒か。だったら早く正門に誘導してくれればいいのに。
下手に近づき過ぎないよう手前の植え込みで聞き耳を立てた。早乙女の声が小さくて聞き取りにくいが、おっさんの声はよく通る。片方だけでもなんの会話かギリギリ分かるだろう。
「……を見た。……は……を調べている?」
「べぇっつにたいした意味はねぇって。ただ厄介な申請者が来ちまってさ。過去はどうしてたのかなーって気になっただけだ」
「……に気づいたのだろう」
おっさんが沈黙し、会話が途切れる。詳細はわからねぇけど、これってもしかしてヤバイ会話なんじゃね?
シオンと顔を見合わせ、より耳を集中させる。
「『選別』って何。おまえ何に関わってんの」
いつもと違う、低く押し殺した声。底に怒りが含まれている気がして胸がざわついた。
「……には………い」
「関係なくねぇ! おまえ、なにを隠してる?!」
荒らげられた声に体がびくつく。
ちっ、と小さく舌を鳴らす音が聞こえ、なにをしているんだとシオンを振り返ると、その音を使って小さな鏡を生み出していた。
向こうからは気づかれない位置に生成した鏡を使って、ふたりの様子をうかがい見る。
なにやら言い合いをしながら、おっさんが早乙女の手をつかみ、詰め寄っていた。
「僕に近づいたのは、それを知るためか!」
「っ……」
いままでにない強い口調で早乙女が叫ぶ。離れているのにしっかり言葉が聞き取れた。
躊躇するおっさんをよそに、つかまれた腕を乱暴に払う。
おっさんは払われた手をそのままに、静かに早乙女を見据えていた。
しばし互いに睨み合った後、早乙女が踵を返す。
「もう僕に関わるな」
そう冷たく言い残して。
血管が浮き出るほど拳を握りしめたおっさんを、無慈悲に置き去りにした。
シオンが魔法を解除する。
話しかけるべきか迷ったが、このままではどのみち居られない。
意を決してうなだれているおっさんに話しかけた。
「おっさん」
俺の声に弾かれたように顔を上げると、目を見開いて。
本当に言うこと聞かないガキだな、と苦く笑って見せる。
その顔はいつもより明らかに元気がなくて。なんて声をかければいいか分からなかった。
言葉を探していると、おっさんのほうから話しかけてくれる。
「区役所には入るなって言っただろ」
「ちょっとぐらいなら大丈夫だって。それよりいまのって」
「ああ……」
いつもの飄々とした調子と違い、疲れたような……いや、傷ついた顔をして力なく答える。
「『選別』って言ってた。アイツは確実に、なにかに関わってやがる」
早乙女が来てからブラックリストの人たちの死亡率が上がった。そう聞いたときから怪しいなとは思っていたけど。
「やっぱり早乙女が『御曹司』……?」
「まだ分からねぇが、可能性が高い。西牧に謝っといてくれな。正門まで連れてけなかった」
「いや、そんなのしょうがないし。それより大丈夫なのかよ?」
『御曹司』かどうかは分からないが、確実に敵方にバレたってことだ。
いままで何人もの人を容赦なく殺してきた奴ら。
そんな奴らと同じ職場で働いていて、目をつけられたなら……
「大丈夫だ。関わるなってのは『これ以上深入りしなければ見逃してやる』っていう忠告だろ。おとなしくしてりゃきっと命までは取らねぇさ」
力なく笑ってみせる。
裏を返せばなにか動きを見せたら容赦しないということだ。
本当に大丈夫か心配に思っていると、おっさんが自嘲するように吐き捨てる。
「そりゃ最初は怪しいと思ったけどよ……そんなやつじゃねぇって、信じてたのに……」
握りしめた拳が小さく震えていた。
あんな奴信じること自体間違ってたんだと言ってやりたかったが、おっさんの落ち込みようを見て、黙っているのが最善だと思い直す。
一緒に働くうちに、早乙女に対して気を許していたのだろう。
人のいいおっさんだから。必要以上に面倒を見ていたに違いない。
「悪いな。もうおおっぴらに協力はできなさそうだ。……区役所の奴らに見つかる前に、早く帰りな」
おっさんを残していけなくて、足が動かなかった。
戸惑う俺を諭すようにシオンが背中を押し、仕方なく重い足を引きずる。
「待て、言いそびれてた」
背中に声をかけられて、体ごとおっさんに向き直る。
反対に彼は完全にこっちを向かず、視線を外したままで続く言葉を放った。
「来週の土曜、不正受給の疑いがある奴らを集めて説明会が行われる。なにか起こるとしたらそこが確率高いぜ」
告げるとそのまま一度も振り返らずに奥へと歩いて行ってしまう。
ポケットに手を突っ込んだその姿勢は背中が丸まって見えて、いつになく小さく感じられた。
「サンキュな、おっさん」
職員に見つからないよう注意しながら、区役所から抜け出る。
おっさんのためにも。俺たちがなんとかしなければ。
*****
外で待機していた西牧と合流すると、すぐに近くにあるファミレスへと場所を移す。
注文を済ませ、さっき見てきたことを伝えたら、楽しいはずの食事の時間が一気に暗いものへとなってしまった。
「『選別』……拓哉、優しくて正義感、強かった。信じられない……」
詳細は分からないが「選別」という言葉の響きからすると瓶の材料となる人の絞り込みとみて間違いないだろう。
早乙女の魔法力はどうだったかシオンに聞いてみたが、距離がありすぎて判別できなかったらしい。結局、彼が西牧の探していた人かどうか、分からずじまいだ。
奴が事件に関わっている以上、探していた人でも、人違いでも。どちらにしても西牧にとっては悪い話でしかないが。
「もう青柳さんは動けないな。俺たちで探っていくしかあるまい」
シオンの言葉にうなずきながらぎゅっと拳を握りしめる。敵の全容が見えない分不安が胸を覆い尽くしてしていった。
おっさんはいつでも消される立場にあるのだ。本人はこれ以上手を出さなければ大丈夫だって言ってたけど……万が一のことが起こる前に、早めに決着をつけたい。
「来週の土曜日に不正受給者を集めた説明会が開かれるって言ってた。事故を起こすならおそらくそこだと思う。食い止めて、奴らが犯人だっていう証拠を得たい」
不正受給者をわざわざ集める計画をしているのだ。「選別」と呼ばれるなにかを行っているならば、その場で事故に見せかけて大量殺人を起こすに違いない。
「場所や詳細……おっさんにメールしても大丈夫かな」
ネットで検索してみたが、公にされていない情報なのか見つけられなかった。
……魔法使いの俺たちが、おっさんと連絡を取っていたら怪しまれるだろうか。
「早乙女に釘を刺されただけだ。まだ決定打となるような証拠もつかんでいない。個人の携帯までのぞき見できるはずがないし、そう簡単に殺されはしないだろう」
だからそんなに心配するな、と真正面からシオンに顔をのぞき込まれる。隣に座った西牧も励ますように肩を優しくたたいてきた。
いつの間にか手が震えていた。うっすらと滲んだ涙を隠すべく額に手を当て、「悪ぃ」と小さく零す。
俺がおっさんに話さなければこんな危険な目に合わせずに済んだのではないかと、いまさらながらに後悔していた。
「学生とメールしていたぐらいで消そうとはしないはずだ。ましてや近いうちに大仕事を控えているのならな。土曜日に俺たちで奴らを捕まえて、決着をつけてしまえばいい」
おっさんに手が伸びる前に、すべてを終わらせる。それが今できる最善の一手だろうと、シオンが言う。俺も西牧も、それには同意だった。
「土曜日に向けていまは体力をつけろ。おまえ、もう少し肉を食ったほうがいいんじゃないか?」
シオンがステーキのページを開いてよこしてくる。最近なんだかんだで外食しているから、そろそろ小遣いヤバいんだけど。
「これ、オススメ」と西牧が一生懸命説明してくれるので、それを頼むことにする。
結局シオンも西牧もおなじものを頼んだ。学生が三人してステーキだなんて豪勢だよな、と思いながら。
注文が届くまでの間、ドリンクバーで最上の組み合わせはなにか、とふたりが突然勝負をし始める。審査員は俺で。
どっちもイマイチだったので俺のオススメを教えてやれば、悔しがりながらもそれを定番の飲み物とした。さらに上の味を追及しようと、比率にまでこだわり始めて。
注文が届いてからも、この時間を少しでも楽しい時間にしようと、西牧が率先していろんな話を振ってきてくれた。
それは気を使ってくれているとまるわかりな話し方で。
いつまでも暗い顔をしていてはせっかく頑張ってくれている彼に悪い。無理にでも笑顔を作って笑った。
そんな作り笑顔をしているうちにだんだん心が晴れてくる。笑っていると暗いことは考えにくくなるものだ。
西牧だけでなくシオンまで気を使ったのか、最近流行っているお笑いのギャグを会話に混ぜ込んできたりして。
その使いどころと意外性がツボに入り、危うくコップを倒すくらい大笑いをする羽目になった。
笑うことが許されているかぎり。笑わせてくれようとする人がいるかぎり俺は大丈夫だ。
言葉の端々に彼らのいたわりが見えて。
うれしく感じながら、俺は純粋に会話を楽しむことができた。




