10-1 うれしい再会
授業を終え、近くの公園のトイレで持ってきた私服に着替える。
おっさんに散々心配されたので、服の傾向を前とは正反対にしてきた。この前追われたときはTシャツにパーカーとスポーティーな感じだったが、今日はシャツとニットジャケットでフォーマルに決めている。
服の印象がまったく違うと、第三者は同じ人物だと気づきにくくなるからな。髪の色もまったく違うし、遠目から見ただけじゃ気づかれないだろう。
「区役所へいくのは初めてだな」
シオンのつぶやきに西牧がうなずく。あまり用がなければ訪ねない所だもんなぁ。区役所へ続く並木道を通り、新緑の若葉を楽しむ。
あんまり早く着いてもあれなので、周辺を探索しながら五時ぴったりに正門の前へと着いた。木々が多く、隠れ場所には困らなそうだ。念のため、一番安全そうな駐輪場の影へと身を隠す。
正門から一歩踏み出した瞬間、シオンに咎められたが、「門の前よりこっちのほうが目立たないだろ?」と言うと納得してくれた。
早速約束破ってんじゃねーよ、とおっさんの声が聞こえてきそうだが、この場に居ないので無視をする。
「あ、飲み物買ってくる」
「おまえ、区役所内には入るなと……」
「端っこのほうだから大丈夫。建物内には入ってないし」
少し行ったところに自動販売機を見つけ、声をかけて離れる。まだ時間に余裕があるから、ちょっとぐらいなら平気だろう。
今日は五月にしては暑かった。最近異常気象が騒がれているが、季節感がめちゃくちゃだ。
重ね着していたニットジャケットを早々に脱ぎ、腰に巻いてしまう。ちょうど心地よい風が吹いてきたので俺は目を細め、髪を風に靡かせた。
おお、普通の場所で買うよりちょっとだけ安い。何にしよっかな~。
右下のほうに設置されたはてなマークのボタンに好奇心を刺激されていると、建物の横。生い茂る木々の間からパンッと手を打ち鳴らしたような音が聞こえた。
なにかとのぞいてみると、木々を縫うようにして一枚の紙が蝶のように羽ばたきながら上っていく。
それはビルの上階までたどり着き、窓から突き出た手に捕まえられた。
おお、あれいいなぁ。校庭からあんなふうにラブレターを渡したらロマンチックかもしれない。
まねさせてもらおうと放った人を見ると、その姿に見覚えがあった。
昨日着ていたものとは違うがレースたっぷりの華やかなドレス。膝丈の薄い水色のスカートは重力に逆らうようにしてふわふわと広がっている。
あれ、構造どうなってるんだろう。頭には大きなリボンを付けて、毛先に少し色を入れた明るい髪が風に煽られ揺れる。
もう一度会いたいと願っていただけに、思わぬ再会に胸が高鳴った。
「レシャちゃんのお姉ちゃん、偶然ー」
声をかけるとばっと勢いよくこちらを振り返る。
ありゃりゃ、びっくりさせちまったかな。
「ごめんね、名前聞いてなかったから。昨日の夜会ったんだけど覚えてる?」
よく犬の散歩の時に用いる、だれそれのお姉ちゃんという呼び方を使わせてもらった。
普通にこんにちはと声をかけるより親しみやすいかと思ったんだけど、よく考えたら魔法生物の名をいきなり呼びつけるほうが不審かもしれない。
昨日もそうだけどレシャちゃんはどこかに隠れてて表には出ていない。魔法生物は珍しいので普段は隠れているのだろう。
「覚えてます。触り方のしつこいお兄さんです」
レシャちゃんが肩口から現れ、顔の上半分だけをのぞかせてこちらをじとりと見つめる。
うぐ。そんなしつこく触ったつもりはないんだけどなぁ。
「俺、健人っていうんだ。こうして会えたのも縁だし、名前教えてもらっていい?」
近くに住んでいるならまた会うこともあるだろう。何よりもっとレシャちゃんをもふりたいという下心もあって縁を繋げるべく自己紹介をする。
「露子です。みんなは露って呼んでます」
露ちゃんか。明るいところで見るとますます美少女だな。
レシャちゃんと一緒にかわいいかわいいと撫でくりまわしたくなる。もちろんそんなことしたらあらぬ誤解を受けそうなのでやらないけど。
「さっきの魔法いいねぇ。レシャちゃんがやってくれたの?」
親指を交差して重ね、蝶が羽ばたく動作をやってみせる。彼女は一瞬動きを止めた後、コクリと大きくうなずいた。
「お父さん区役所で働いてるの? だからこの辺で会うんだ」
「そんなところです」
昨日会ったのもここからそう離れていない場所だったからな。窓から突き出た手はスーツを着ていた。おっさんの知ってる人だったりしねぇかな。
「なにをしている?」
遅いぞ、と不機嫌をあらわにした声が近づく。あ、そーだ。飲み物買いに来たんだっけ。
「西牧、昨日の! 露ちゃんっていうんだって!」
早く早くと急かすように手を振り招く。シオンは少し驚いたように目を見開いてからしぶしぶこちらへ近づいてきた。
こんにちはとあいさつを交わす西牧の横で、興奮気味に彼女たちのことを紹介する。
「すげぇんだぜ。本物の魔法生物! ちょーかわいいの」
レシャちゃんと紹介するといつの間に下に降りていたのか、露ちゃんのスカートの中からひょこりと顔を出した。
もしかして普段そこに隠れてるのかな。だとしたらなんてうらやましい……いや、なんて破廉恥な隠れ場所だ。
地面に降り、後ろ足で立ち上がった後ペコリと頭を下げる。おなかの肉がつかえてあまり体を曲げられなかったが、それも愛嬌があって愛おしい。
「ほら、シオンもあいさつしろよ」
「くだらん。なぜそんな茶番に付き合わねばならんのだ」
全米が泣いても泣かない男は感受性に乏しいのか。こんなに愛くるしくてたまらないというのにまったく興味を示さなかった。
「おっまえ、露ちゃんの友達に失礼だろ! たとえ種族が違ってもこーやって意思の疎通ができる以上、相手を認めてだなぁ……」
「そういうことではない。後で説明する」
そろそろ時間だろう行くぞ、と言ってさっさと入り口のほうへ歩いて行ってしまう。
「ごめんね露ちゃん」
「いいんですよ」
レシャちゃんは目尻を肉球で押し下げべーっと舌を出したが、露ちゃんはおだやかに笑ったままで許してくれた。
腕時計を見ると確かにそろそろ時間だ。慌てて自販機で飲み物を買う。
「じゃあまたね!」
律義に待っててくれた西牧の背中をたたくと大慌てでシオンの後を追う。それを彼女と一匹は俺たちの姿が見えなくなるまで手を振ってくれて。
次会えるという保証はなかったが、また会いたいと強く願った。魔法生物って何食べるんだろ。叶うなら今度餌付けもしてみたい。
シオンに追いつき軽い小言を食らったあと、ちょうど定時を告げるチャイムが鳴った。
駐輪場の影に不自然にならないよう身を潜め、おっさんの姿を探す。
他にもちらほら人の姿が有り、一カ所に留まっていても不審がられずに済んでいたが……約束の時間から30分経っても現れる気配がない。
おかしいな。遅くても10分後ぐらいには正門を通ると言っていたのに。早乙女のわがままに付き合わされて帰りが遅くなっているのだろうか。
このまま待っているのは少々リスクがでかい。あまりに長居すると、警備員さんに怪しまれてしまうだろう。
「仕事でも押してんのかな。ちょっと俺見てくる」
「おまえは区役所に入るな」
青柳さんとの約束を忘れたのか、とシオンに首根っこを捕まれる。ちょっと、シャツが締まって苦しいんですけど。
「ちょっとぐらい大丈夫だって。生活部を窓の外から眺めてくるだけだから」
「どうしてもと言うなら俺も行くからな」
こうなったシオンは面倒くさいので、従うしかないだろう。それに俺だってまた追いかけられて怖い思いはしたくない。
いざとなったらシオンの魔法に頼れるので心強かった。俺ひとりじゃ自分の姿を隠すような魔法は使えないからな。
「じゃ、ちょっと見てくる。おっさん来たら携帯に連絡して」
念のため携帯をマナーモードにして、西牧を正門へ置いていく。
開庁時間は終わっているため、散歩を装って遊歩道へと足を進めた。庁舎から吐き出される人の波を横目で眺める。
昨日約束したんだからうまく調整してくれればいいのに。何やってんだよおっさん。




