8-3 シオンの喝
「じゃあ、何で!!」
耐えきれずに叫ぶ。
何でこんな躊躇いもなく魔法が使えるんだよ。
魔法粒子を。命を使った、魔法を……!!
「おまえが普段、口にしているものはなんだ?」
ガッと肩を押され、壁へと縫い止められる。
押し返そうと手をつかみ返すが、先ほどの痛みのせいでたいした力は入らなかった。
「答えろ。おまえが生きるために食べているものはなんだ? それとなにが違う」
後ろが壁のため、力が入らないいまでは逃げることすらできない。至近距離から浴びせられる怒号は、俺を少しだけ怯ませた。
「生きていく以上、命を奪わず過ごすことは不可能だ。それのなにが悪い?!」
なにかを食べなければ生きていけない。菜食主義者だって服や便利な生活を求めるかぎり、何らかの命を奪っている。ただ歩くだけでもアリや微生物を踏みつぶしていることだろう。でも。
「でも魔法は……人の……」
「人の命だからなんだというのだ。動物も人も命という点では同じだろう。それに粒子はもうそこにあるのだから、使うのを控えたところで人が蘇るわけでもない」
ぎり、と歯を食いしばる。
わかってっけど。けどそんな割り切って考えられるもんじゃ……
「おまえがいま魔法を使うのをやめたら。いままで消費してきた魔法粒子がすべて無駄になるということだぞ」
ビクリと体が震える。シオンは肩をつかむ手にさらに力を入れながら続けてきた。
「おまえがこれから魔法を人のために使い、社会に役立てるなら、いままで消費してきた魔法粒子は無駄にならない。だが、魔法を使うのをやめたら、いままで使ってきた粒子すべてが無駄になる。おまえはいままで努力してきた時間と粒子、すべてを無駄にするつもりか」
なにも言い返すことができなかった。それでも納得できずに「でも……」と小さく呻く。
「おまえが粒子を使わなくても他の誰かが使うだけだ。それこそくだらない、無駄な使い方で」
ぐ、と首もとを捕まれ顔が近づけられる。俺は視線をそらすこともできずに真正面からシオンの鋭い目に射抜かれた。
「無駄に命を奪いたくないというならば、それに見合うだけの成果を上げろ。自分が使ってきた命の分、なにかを成し遂げろ。それが俺たちにできる、最大の礼の返し方ではないのか」
有無をいわさぬ勢いでシオンがまくし立てる。
使ってきた命の分なにかを成し遂げろなんて。それは才能に溢れてるおまえだから言えるんじゃねぇの。隠してた卑屈な思いが一気に湧き上がってくる。
「……使った命に見合うだけの価値なんて、俺にはねぇよ。いっそ死んでこれ以上命を奪わねぇほうが、世の中のためになるんじゃねーの」
魔法が得意でもない俺は、命に報いるだけの成果を上げられるとは思えない。努力はしているがそれでも限界ってもんがあるのだ。どう頑張ったってシオンには追いつけない。
あんなに頑張ったのに。毎日練習に励んでいるのに、特進科へは上がれないのだ。
学年一の成績を誇り、酔狂で普通科へと降りてきてしまうような男に、俺の苦悩なんて分かるはずもない。
勢いで言っちまった言葉だけど、死ぬってのもいい案かもな。
ドロップになれば周りから蔑まれ、生きにくくなるんだ。
誰にも迷惑をかけないうちに自分で命を断ったほうが楽かもしれな……
ひゅ、と鋭く息をのむ音がした後。
シオンは俺の胸ぐらをつかんだまま、逆の手で耳横すれすれの壁を激しく打ちたたいた。響いてきた衝撃と音に驚いて目を見開く。
目の前の彼はもはや殺気を帯びるほどに柳眉を逆立てていて。さっきよりもいっそう、声を荒らげて叫ぶ。
「おまえに価値がないなどと、一体どこの誰が言った?!」
これだけ至近距離にいる相手に向けたとは思えないほどの声量。鼓膜でも破るつもりか。
硬直する俺を睨みつけるのをやめないまま、数度荒い呼吸を繰り返す。
息が整うと俺の動きをさらに奪うかのようにぐっと胸ぐらをつかみなおす。襟が首を圧迫して痛い。
「価値がないと思うのなら、その価値を高めればいい」
苦しかったが、鋭い目と気迫に押され、声を失う。ただシオンの言葉を顔に浴びた。
「価値のないものなど居ない。生きているだけでさまざまな可能性を秘めている。現におまえは会ったときより数多くの魔法を使えるようになっただろう。それだけじゃ足りないというのなら、さらに努力して価値を高めればいい」
まっすぐに。どこまでもまっすぐに俺の目を見て言う。
訴えかけるように。導くように。それはもはや懇願にも似たような真摯さで。
少しだけ、胸ぐらをつかむ手の力が緩んだ。
「自分の可能性を信じていたからこそ、あんなに努力して魔法練習に励んでいたのだろう。違うか?」
初めてシオンの目が不安に揺らいだ気がした。
首元を圧迫する手が緩み、ようやっと深く呼吸ができる。
肺へと取り込まれた新鮮な空気は、自己否定に陥っていた自分の脳を、ほんの少しだけクリアにしてくれた。
――なんだかんだで練習場が一緒になったシオンは、俺の努力を間近で見ていて。呆れながらもずっと練習に付き合ってくれていた。
天才で女子の人気も高く努力家なシオンは、俺にとってやっかみの対象でしかなかったが、魔法練習に向ける姿勢は劣等生の俺となんら変わりなくて。
練習を重ね、できることを増やしていく。その地道な手順は俺もシオンも変わらなくて。次第に見つかる共通点に、いつの間にか気を許していた。
俺の努力を間近で見て、一番評価してくれた人。
それが、目の前で俺のために息を荒らげている男。シオンだ。
ぐっと歯を食いしばる。体を動かすとあちこちが痛んだが、我慢して彼の腕を強く握り返した。
「……違わねぇ」
俺のつたない魔法も彼は褒めてくれていた。
落ち込んだときも、彼だけは俺の価値を認めてくれた。
だからいつまでたっても特進科へ上がれないのに、腐らずに努力を続けてこられたのだ。
彼が俺の可能性を信じてくれたから。
俺も、自分の可能性を信じることができた。
いつかコイツみたいなすげぇ魔法使いになる。そう信じて。
俺の返事に気が済んだのか。胸ぐらをつかんでいた手が離れたので、ずるずるとその場に崩れ落ちる。
シオンの容赦ない攻撃によって、心のなかで渦巻いてた迷いや悪いもんがすべて落ちたみたいだ。体が痛くてしょうがないのに、なんだか心地いい。
目の前の彼はフン、と鼻を鳴らすと乱れていた髪を手櫛で整え直す。
イケメンはほんの少しでも身だしなみが乱れるのを許せないらしい。こっちは風であおられ打ち付けられてボロボロなのに。グシャグシャになった髪を整え直す気力はまだ戻っては来なかった。
「俺はいま、腹を立てている。なぜだか分かるか」
腹を立てていると言った割にはおだやかな声で問いかけてくる。
声を出すのもだるくて、首を左右に振った。
「おまえがなんの相談もしないからだ」
壁に体を預けながら見上げると、逆光で視界が悪いのにもかかわらず、一目で分かるくらい顔を不機嫌そうに歪めていた。
「くだらないことはペラペラしゃべるくせに。魔法を使えなくなるほど思いつめるなら、さっさと俺に相談すればいいものを。なぜ話さなかった」
くだらないってなんだよ。
少しムッとしたがシオンの顔は真剣だ。言おうかどうか迷ったが、視線を外しぶっきらぼうにつぶやく。
「おまえが……傷つくと思ったんだよ」
くしゃりと。片膝を抱え、髪をつかみ頭を抱える。
シオンは黙って俺の言葉の続きを待った。
「派手な魔法ばっか使うだろ? 魔法粒子が命だと知ったら、ダメージがデカいと思ったから」
下を向いてしゃべっているせいで声がくぐもったものになる。
ちゃんと聞こえているかどうか心配だったが、聞き取れないならそれはそれでいいような気もしていた。俺が話そうとしていることは、深く考えると照れくさいことだったから。
「それがきっかけで西牧みたいに魔法を控えるようになったら嫌だから。だから話せなかったんだよ」
なんだかんだでコイツの魔法を見るのが好きだった。
「いつかこんなふうに魔法が使いたい」という憧れだったから。
それが俺のせいで見られなくなってしまうなんて、嫌だ。
「俺はアイツほど軟弱な精神ではないぞ」
片膝を立ててしゃがみ込む。
伺うように見上げた俺と視線が合えば、彼は困ったように苦笑してみせた。
「悩みがあったら話せ。たとえそれが俺の致命傷になるようなものだったとしても。勝手に悩んで倒れられるよりはるかにいい」
心配したのだぞ馬鹿め、と。小さな声で続けられる。
その言葉は俺の胸をじんわりと熱くさせた。
「……わかった」
そういうとホッとしたように破顔してみせる。つられて俺も笑みがこぼれた。
いままでこんなふうに俺を心配してくれる奴なんて居なかった。
友人になったっていつかはどうせ離れていく。だったら仲良くなってもしょうがない。
特にシオンは、俺とは住む世界が違くて。
面倒なことが起きたらすぐに離れていくと。そう思っていたのに――。
「待っていろ。いま治療を……」
「いい。ほっときゃこんくらい自然に治る」
まだ魔法を使いたくないのか、なんて思われたくないからさらに付け加える。
「いまはこの痛み、大事に味わっていたいからさ」
痛みを感じるってことは、生きているってことだ。
いままで使ってきた命の分、俺が大事にしなきゃいけないもの。
二度と馬鹿な考えに陥らないためにも、痛みとともに強く記憶に残しておきたい。
特に熱を持つ脇腹に手を当てる。
ぐだぐだと考えていたのが馬鹿みたいだ。
申し訳ないから授業以外で魔法を使いたくない? できることをやらずに放棄するほうが申し訳ないだろ。
最大限努力して、限りある粒子を人の役に立つように使う。それがいままで奪ってきた命への、使ってきた魔法粒子への恩返しだ。
そして、できるならレピオスの悪事を止めてやる。
大企業相手にできることなどないと思っていたが、俺ひとりでもなにかやれることがあるはずだ。
これ以上無駄な犠牲者を増やさないことが、瓶の材料とされてしまった人たちに向ける最大の餞となるだろう。わずかでも自分の可能性に賭けていきたい。
決意を新たに力強く拳を握る。
ふと顔を上げると、シオンが呆れと困惑と哀れみを一緒くたにしたような、形容しがたい表情でこっちを見ていた。
「……おまえ、マゾなのか?」
「違うっ!!」
とんでもない勘違いに叫ぶと、腹が引きつるように痛む。耐えきれず体を縮めて地面へと転がり直した。
うわー、マジで痛え。シオンのことだからアバラ折るなんて加減のミスはしないだろうけれど、でも結構強いの食らわされたみたいだ。
うなりながら地に伏せる俺に手が伸ばされる。
夕日を背負ってほほえむこの男は、さっき自分で言った「価値」を高めようと、ものすごい努力を重ねてきた。
だからこそあの言葉に力があるんだ。あらためてコイツのようになりたいと憧れる。
「ありがとな、シオン」
手を借り引き上げてもらう。ついでに肩まで貸してもらった。服が汚れるのも厭わないそのしぐさに、感謝の気持ちでいっぱいになる。
「かまわん。おまえにはいつも力をもらっているからな」
「俺なんかしたか?」
思いもしない言葉が返ってきたので驚いて聞き直す。シオンを励ました覚えなどない。力を与えるような特別なことをした覚えも。
俺にとって、彼はあくまでクラスメイトのひとりでしかなかったから。
「さぁな」
軽くはぐらかす。あれか。俺がいつもふざけてはしゃいでるのが明るくて飽きないとか。そんな感じか。特に追求することもなく話を続ける。
「一気に心軽くなったよ。やっぱおまえスゲーな」
しみじみと。心からの尊敬を込めて礼をいう。
するとシオンは、噛みしめるように口角を引き上げて笑った。
「まぁな!」




