7-2 恐怖
一気に鳥肌が立つ。
周囲の温度がぐんと下がったように感じた。
「まさか……さすがにありえなくない……?」
「二代目社長が激安瓶を販売し始めたのと、受刑者の数が減り始めたの。同じタイミングだったとしてもか?」
とんっと。前に見せてくれた受刑者数の集計データを表示して、指先でたたく。
笑い飛ばそうとした口が引きつったまま、かすれた息が漏れた。カラカラに渇いた喉でむりやり唾を飲み込み、少しでも反論しようと試みる。
「ブラックリストの人たちの事故は? アレは部長が、仕事を楽にするために仕組んだ事故だろ? 無関係じゃん」
静かに、おっさんが俺を見据える。
その瞳がわずかに、俺を哀れむようなものに変わった。
「関連性はあるぜ」
しずかに。ゆっくりと。
しかし言いにくそうに視線を外しながら、おっさんが告げる。
「……バス事故が起きた結城峠の下に、レピオスの工場がある」
頭が真っ白になる。一瞬おっさんがなんのことを言っているのか分からなかった。
だが次の瞬間にすべてを理解する。
……金儲けのために、すべて仕組まれていたんだ!
体の奥から灼熱のような感情が湧き上がる。俺は口元を覆い、かろうじてそれが悲鳴となって出るのを押さえ込んだ。ふさげなかった両目から熱い液体がボロボロと落ちる。
何考えてるんだ、何考えてるんだ、何考えてるんだ……!
犯罪者だけでなく、不正受給者まで……!
生きていたのに。難はあったかもしれないが、同じ人間なのに。無関係な人まで巻き込んで材料にするなんて! それをビジネスとして続けていたなんて!!
ガタガタと体が震える。体を縮こまらせ、叫び出したい衝動を抑える。
人が少ない場所で良かった。こんな天気のいい日にベンチで泣いているなんて、見られたら不審にも程がある。
「……ふ……うっ………!!」
目を固くつむっているのに涙がこぼれ続ける。胸の奥でなんだかよく分からない感情が渦巻いていた。
ああもう、本当よくわかんねぇ。何でだよ。何でそんなことするんだよ。人の命をなんだと思ってるんだよ!
悔しさか、悲しさか、同情か。自分がいまなんの感情で泣いているのか分からない。
とにかくいまは叫び出しそうな口を。身を縮めて、必死に押さえることしかできなかった。
*****
「……大丈夫か?」
内臓を焼き尽くしそうな熱が収まり、ようやっとまともに呼吸ができるようになった頃。おっさんがいたわるように優しく声をかけてくる。
小さくうなずくと、ポケットからハンカチサイズのミニタオルを渡してくれた。それを受け取ると火照った顔に押し付ける。
「ごめ……なんか、俺……」
「いや、無理もねぇ」
ちょっとまってろ、としばし席を外す。
気持ちを落ち着かせるのに必死になっていると、おっさんがペットボトルの水を買ってきてくれた。ありがたく水分補給していると、いったん返したミニタオルを水で濡らして、もう一度渡してくれる。
気が利くな。そういうところが頼れる大人の男って感じだ。ありがたく、赤くなっているだろう目を冷やすのに使わせてもらう。
「レピオスが黒幕だとしたら、すべてが納得いく。瓶の材料として犯罪者を使っていて……次のターゲットとして、不正受給者を狙ったんだろう。区役所の部長を引き込んでな」
これで動機がふたつ判明した。
ひとつは区役所の部長。仕事の評価を上げるため、ブラックリストの人たちを消している。
もうひとつは株式会社レピオス。安価な瓶を製造するために、犯罪者たちを殺している。
区役所は個人情報の宝庫だ。他の情報も提供している可能性がある。
「もしかしたら、ブラックリストの人たちだけじゃないかも」
「おい、無理すんな」
ひとつ思い当たることがあって、慌てて携帯で検索をかける。
結城峠のバス落下事件。あれには、実羚が世話になった近所のおばあさんが乗っていた。
巻き込まれた乗客自体に非はない……が、ある共通点があるとしたら。
表計算ソフトを起動し、被害者一覧を貼り付る。おっさんはただじっと、無言で俺のことをみつめていた。
指先が震えて操作しにくかったが、なんとか年齢が高い順に並び替える。
誰が不正受給者で誰が巻き込まれた人か、名前だけでは分からないけれど。これだけ一致する人が多いなら、可能性が高いはずだ。
震える唇で、なんとか自分の仮説を訴える。
「年齢が65才以上の人がこんなにいる。もしかしたら年金受給者まで対象に入れてるかもしれない。この人より下が全員ブラックリストだったら……」
「もういい」
携帯を手から取り上げられる。
取り返そうと手を伸ばしたら、有無をいわさずその胸に引き寄せられた。突然のことに軽いパニックになる。
「もう十分だ。あとは俺に任せておとなしくしてろ」
言葉をすべて奪うかのように、力を入れて抱きしめられる。鼻先にあるシャツはたばこの煙を吸い続けたせいで微かとに煙くて。
同じ男からの、ましてや中年オヤジからの抱擁だ。
気色悪くてしょうがないはずなのに、伝わるぬくもりに思考が鈍る。
……あったかい。俺は抵抗をやめてそのままおとなしくした。
震えによって鈍く感じていた指先の感覚が戻ってくる。
「ホントやめろよそーゆーの……びっくりすんじゃん」
軽口をたたく声が震える。ああ、駄目だ。全然隠せてねぇな。
正直、心細くてしょうがなかった。知らないところで大きなことが起こっていて恐怖を感じた。
力強い腕に父親を思い出す。親父は俺が小学生の頃に亡くなっていた。
記憶にうっすら残る親父の腕と、青柳のおっさんの腕を重ねる。
小さく鼻を鳴らす俺に気づいたのか。彼は服がぬれるのも構わずに俺を抱きしめ続けていてくれた。
恐怖ですっかり冷えきっていた体がおっさんの体温によって暖められる。ポンポンとたたかれる背に「ガキ扱いすんなよ」と文句を言いながら。
頼れる大人がいるということを、非常に心強く感じた。