7-1 恐ろしい事実
抜けるような青空が気持ちいい土曜日。まだ五月だというのに、すっかり初夏の雰囲気を醸し出していた。
じっとしていればそんなでもないが、動いていると暑く感じる。半袖で風があればちょうどいい季候。
この時期が一年の中で一番好きだった。
おっさんはそれに同意してくれないのか、「なんでわざわざ外で……」とぶつくさ文句を言っている。
俺は公園の端にある木のテーブルセットを指さし、おっさんの背中を強めにたたいた。
「店だとゆっくり話せないし、せっかく太陽出てるんだから外出たいじゃん」
「ピクニックなんざ、小学校以来だぜ……」
レジャーシートを下に敷いたピクニックスタイルでもよかったが、せっかくの弁当が食べにくかった。やっぱり食事をするなら段差があったほうがいいだろう。
東西に延びる大きな池が有名な公園なので、少し離れた芝生ゾーンは人が少ない。途中に設置されているベンチもほとんどが空いていて、人目を気にせず過ごすことができた。そのなかでも屋根付きの一等地に持ってきた弁当を広げる。
一面に広がる芝生のおかげで、見通しがよく開放感があった。新緑の緑が目に心地いい。風が吹く度にさらさらと優しく葉鳴りが聞こえる。
「クラスメイトが教えてくれた弁当屋でさ。めちゃめちゃうまかったからおっさんにも食べさせてあげようと思って」
「ありがとよ。いくらだった?」
「いいって、いっつも奢ってもらってるし。それにここ、量多いのにお値段良心的でさぁ」
土曜日はやってるか心配だったが、不定期ながら店を開けているという。
人のいいおばちゃんにたっぷりオススメしてもらい、さらにオマケまでしてもらったので結構な量になっていた。食べきれなかったら持って帰ればいいだけだ。一応保冷剤も持ってきている。
いただきます、と食事を始めれば、おっさんは「確かにうまいな」と絶賛してくれた。半分くらい食べ進めたところで、本題へと移る。
「魔法粒子の正体。予想通り、人の命だって」
「やっぱりな……信じたくはなかったが」
苦い顔でおっさんがつぶやく。ついでに、西牧から聞いた補足情報も付け足してやった。
昔は火葬で粒子量が少なかったこと。子育て税により死者の数が増えていること。
魔法粒子を目で見ることができるという、西牧以外気づけないであろう真実。
「言っても信じてもらえねぇってのは納得だな。俺も突然言われても信じられねぇ……ってか、いまでもまだ信じ切れてないところがあるぜ」
正直なところ、俺だって半信半疑だ。西牧が真剣に言っているから、そうだと思うだけで……これが別の奴から聞かされた話だったら、信じていないだろう。
確認しようにも方法がない。人が死んだ瞬間に粒子が放出されるのだろうが、たとえ魔法使いでも粒子の存在は目で見ることができないのだ。
いまはただ、西牧の言葉を信じるしかない。
「おっさんのほうは進展は? 早乙女って奴の年とか聞き出せた?」
「ああ。今年16だってよ。おまえと同じ年だな」
「一個下。俺、今年17だから」
すかさず訂正する。高二だって言っただろ、とおっさんを責めると、どうしても一年坊主のイメージが抜けないんだよと笑われる。
16も17も対して変わんねぇだろと言われるが、この年での一年は大きな差だ。たった一年で先輩と後輩という上下関係ができてしまうのだから。
「でもそうなると、やっぱり今年魔法学園へ入学してるはずだよね」
「一緒に働いていても、魔法のことなんざ一言も話さねぇからな。それに……なんつーか、ちょっと見直したっていうか……」
ぽりぽりと頬の横を掻きながらおっさんが言いにくそうに口にする。「見直した?」とオウム返しに問うと、詳しく説明してくれた。
「仕事で生活保護受給者の家庭訪問に行くんだけどよ。そこでケガで働けなくなっちまった人に『希望を捨てないでください。あなた方がまた笑顔で暮らせるよう、精一杯サポートをしますから』って言ったんだよ」
彼の声をマネしたのか。実に特徴をうまくとらえた口調でそのセリフを言う。中途半端に似ているせいでそれがおっさんの創作だとは思えなかった。
「最初聞いたときは耳を疑ったぜ。普段の尊大な態度からは想像もできなかったからな」
俺だって信じらんない。外から話を聞いていて、そんな優しい言葉をかけられるような男には思えなかったから。普段から辛辣な言葉を浴びていたおっさんなら、なおさらだろう。
「ムカつく奴だけどよ、仕事は真面目にやろうとするし。ただ単に人との接し方が分からねぇだけかと思い始めたんだ。親の方針で友達も居ねぇみたいなこと言ってたからな」
あの態度だと親の方針じゃなくても友達いねぇと思うんだけどな。
話を聞くと、過剰なほどミスを恐れていて。常に完璧に仕事をこなそうと、尋常ではない努力をするのだという。だからこそ、他人のミスが許せないのだろう。
「いろいろ話してくれりゃ相談に乗れるのに。どうも人の好意には裏があると勘ぐるクセがあるらしくてな。まぁ、懲りずに話しかけてやって。世の中おまえが思うほど悪い奴ばっかじゃねぇってことを教えてやるつもりだ」
にっと笑うおっさんに対して、複雑な感情を抱く。あんな奴でさえ気にかけるのかよ。
早乙女って奴には嫌な印象しか抱いていなかったために、少し気分が悪かった。ほんっと、お人よしだよなこのおっさん。
「そんなこともあって、部長らの言う御曹司ってのが、アイツじゃないような気がしてきたんだ。魔法使いであるメリットを捨ててまで区役所で働く理由もねぇしな」
そうなると「御曹司」と呼ばれるまた別の人間が関わっているということになるのだけれど。
敵たちの正体に一歩近づいた気がして、また離れる。もういっそ「俺たちが敵でーす☆」と名乗り出て欲しいぐらいだ。
「犯行グループの洗い出しに時間かかりそうだね」
「あー、別方向で進展はあったけどな。調べれば調べるほどやばそうで、正直見なかったフリしてぇよ」
テーブルに肘をついて、がっくりと頭をうなだれる。俺はそれに苦笑しか返せなかった。おっさんの様子からすると、さらに厄介ななにかをつかんだみたいだ。
「やばそうななにか、見つかった?」
「ああ。脱獄犯、出てるかもしれないぞ。しかも魔法使い」
ぐったりと口にされ、驚きを隠し得なかった。
え、テレビとか一切報道してないと思うけど?
疑問を口にすれば、まだマスコミには公表していない情報だと言われる。脱獄犯の元愛人が住んでいた家が区管理の建物前にあり、張り込み場所として貸して欲しいと申請があったらしい。
「本当に脱獄したか不明だけどな。隠れているだけで敷地内にいる可能性も、と内外問わず捜索中らしい」
そんなことまで教えてくれたのかと驚くと、設備の管理担当職員にお願いして、備品貸し出し役として建物に紛れ込み、聞き耳を立てた、とあっけらかんと話される。あっぶねぇことしてんなおっさん!
危険な行動を咎めると、おまえほどじゃねぇよと言い返された。だが続けて、もうしねぇ、とも約束してもらう。
なんでも、管理担当職員に作った借りが面倒くさい上、勤務時間中に職場を離れるために時間単位で有休を取ったりと大変だったらしい。
体調不良を理由にしたため、早乙女にもチクチクと小言を言われたという。
とにかく、脱獄犯が出たかもしれないということは公にはなっていない。だがそのうちニュースになるだろう、と教えてくれた。
凶悪犯の脱獄に、世間はきっと騒がしくなる。その関連で、区役所の部長たちまでたどり着いてくれればいいのだが。
ひととおり話したあと、いまさらだが、と前置いておっさんが続ける。
「脱獄脱獄って言ってるけど、本当に脱獄なんてできんのか? 魔法使いを収監する刑務所は、粒子を制限して魔法が使えないようになってんだろ。普通の囚人と同じで、簡単に逃げられるはず……」
「刑務所のなかで人を殺したら?」
俺の言葉に、おっさんが口をつぐむ。気持ちのいい青空の下だというのに。俺らを包む空気は重いものとなっていた。
「なかで人を殺して、発生した粒子を使えば。看守の目をくぐって魔法を使うことは可能じゃない?」
魔法粒子がなければ魔法を使えない。それが皆の共通認識だった。
外は無理だが、屋内ならば空調やフィルターを使って粒子の流れを制御することができる。いわゆるクリーンルームの応用だ。
魔法使いを収監する刑務所は粒子量が厳しく管理されていた。魔法を使うのに必要な粒子量はおよそ0.1グラムだといわれている。
粒子があふれている屋外でも0.1グラム集めるのにかなりの集中を必要とするのだ。魔法粒子が限りなくゼロに近い空間で、魔法を使うのはほぼ不可能。
だから刑務所では魔法使いと一般の受刑者を一緒に収容できたのだが。
「罪が重くなるだけだから、刑務所内で人を殺そうだなんて普通思わない。でも、死者から魔法粒子が発生すると知っていたら……」
魔法粒子目当てに殺人を犯すことは、十分あり得るだろう。目の前のおっさんが珍しく、慌てた声を出した。
「おいおい、これ早いとこ刑務所に伝えてやったほうがいいんじゃねぇか?」
「死体から粒子が発生するってみんな知らないんだから大丈夫だよ」
それに、この脱獄方法だってあくまで仮説だ。本当はもっと別の方法で脱獄したのかもしれない。
たとえば、協力者がいたとか。敵の全貌が見えないというのは、なかなかに恐怖だった。
この世のすべてが敵じゃないかという疑心暗鬼に囚われそうになる。
過去に大量殺人を起こした殺人鬼が、野に放たれている可能性がある。
調べれば調べるほどヤバくなっていくこの状況に、おっさんが弱音を吐くのも当然だろう。
「区役所の部長なら、そいつらがどこにいるか知ってるんじゃないの?」
「かもな。かくまっている可能性が高い。いまはどこにでも監視カメラがあるし、協力者の存在なしに逃げ切れるわけがねぇ。そう見込んで警察も元愛人を張り込んでいるんだろうしな」
そうなると、脱獄が判明したあと。その犯人をかくまっていたという線で捜査をすることができる。
うまいこと脱獄犯から辿って、区役所や病院に行き着いて欲しいのだが……
「魔法粒子がなくても、人を殺せば生み出せる……」
ぼそりと。おっさんが独り言のようにつぶやいた。
そしてそのまま下を向いて黙り込む。
「おっさん?」
「いや……まさかな。でも……」
口を指先で覆い、虚空を凝視したまま考えに耽る。
その表情は真剣で。なんだか胸がざわざわとした。
一陣の風が、ペットボトルで押さえているビニール袋をガサガサと鳴らす。
嫌な予感がしていた。話を聞いたら後悔するような、そんな予感が。
なにも言えないでいると、おっさんが俺をうかがうようにちらりと視線を上げる。
少し怖かったが。ここまできたら引き返すことができないので、勇気を出して問いかけてみた。
「なにか思い当たることあった?」
「ああ……結城峠と桶広の事故は部長の点数稼ぎだとしてもだ。受刑者殺しは動機が見当たらねぇから別口か、と思ってたんだが……とんでもねぇ動機に、思い当たっちまってよ……」
自信がないのか、戸惑いがちだ。言ってみてよ、と促すがおっさんは首を左右に振る。
「いや、さすがに……ありえねぇだろ……ちょっと調べてみていいか?」
携帯端末を取り出し、なにやら検索し始める。俺は食べ終わった弁当を片付けながら、静かにおっさんの調べ物が終わるのを待った。
スクロールを繰り返すたび、眉間の皺が濃くなっていく。心地いいはずの風が微妙に寒く感じた。
「おっさん、何に気づいたんだよ?」
携帯を操作する手が止まったので、あらためて問いかける。
話すのをためらっているようだったので、強い口調で促してやった。ここまで一緒に調べを進めてきたんだ。いまさら隠し事はなしだろう。
おっさんは歯を噛みしめてしばし逡巡したあと。観念したかのように、ゆっくりと話し始める。
「レピオス、いたろ……粒子瓶製造会社の。おまえが怪しんでた病院と関わりの深い」
「うん」
素直にうなずく。心のどこかで先の会話を予想していた。
……いや、もしかしたらもっと前から気づいていたのかもしれない。粒子の発生源を聞いたときに、一度は考えたことだ。ただ、口にしたくなかっただけで。
「その会社が刑務所や病院の近くに工場を作っている。偶然とは思えない数のな」
ぞっと身の毛がよだつ。
情けないことに手が少しだけ震えてしまった。
おっさんの情報と俺が言った情報、判明した事実をつなぐ糸がおぼろげながら見えてくる。
さすがにおっさんの顔が青くなっていた。俺だって血の気が引いて寒気が止まらない。言葉にしたことでさらなる実感が湧いてくる。
「偶然じゃ……」
「俺もそう考えたいがな……会社のホームページで、各工場の周囲を調べてみたんだが……」
キャーキャーと、遠くの芝生で子どもたちの騒ぐ声が聞こえる。平和でうららかな公園。同じ空間にいるはずなのに、世界が隔離されたような。そんな違和感を覚えた。
おっさんは押し殺した声のまま、淡々と言葉を紡ぐ。
「食肉工場などのいわゆる屠殺場。その近くにも工場がある。もしかしたら人以外が死んでも粒子が発生するんじゃねぇか?」
「レピオスは魔法粒子の正体を知ってたって? だからって別に、今回の事件とはなんの関係も……」
「後を継いだ息子が激安粒子瓶の製造に成功し、一気に大手企業へと成り上がった。おまえが調べてくれたことだろ?」
心なしか、おっさんの口調が固くなっていた。認めようとしない往生際の悪さを責められているような気がして、唇まで震えてくる。
粒子瓶の製造は通常、雇われた魔法使いが周辺の粒子を集め、機械を使って瓶に封入する。
ただでさえ高給取りな魔法使いを大量に雇わねばならず、レピオスが現れるまで、粒子瓶は高価な物として有名だったのだが……
「部長らの協力者に『社長』って人物と『工場』ってのがあったな。レピオスの社長に粒子瓶工場。条件に一致するだろ。問題の病院も粒子瓶工場の隣にある」
なにも言えないでいる俺を置いていくかのように、おっさんが言葉を繋げる。
呆然とおっさんを眺めることしかできない俺に向かって、きっぱりと。有無を言わさぬ強さで言い切った。
「レピオスは人を殺して、瓶の材料にしてるんじゃねぇか?」