6-2 彼女のお宅訪問
「男?! 実羚が男を……! ど、どどどどっちが彼氏なんですか!?」
「もう、お父さん!!」
俺が持参したエコバッグと、用務室でもらった段ボールに本を詰め、和やかに雑談をしながら実羚の家へたどり着くと、実羚のお父さんがテンション高く俺たちを迎えてくれた。
一瞬ハーイと手を上げたくなったが「どっちも違う!」と力いっぱい否定され、すっかり心を打ち砕かれる。
……いまは違うけど、そのうち彼氏として紹介させてやるからな。
テンションの高いおじさんとは対照的に、西牧がその姿を見て硬直する。
気持ちは分かるが実羚が嫌な気分になると思うので、軽く肘で突いてその硬直を解かせてもらった。
おじさんは家の中でも比較的動きやすい、小さな車椅子に座っていた。事故の影響で腰から下の感覚がまったくないらしい。
上半身は無事なためなんとか自分たちだけで生活できているらしいが。それでも並大抵の苦労ではないだろう。
父親がこの状態じゃいろいろと大変だろうに、そんなことを微塵とも感じさせない明るさが好きだった。
実羚が愚痴や悪口を言っているのを聞いたことがない。
足を壊死させないために行っているらしいマッサージも苦痛と取らず「私、マッサージうまいんだよ」と特技として誇っていた。
一度やってあげると言われたが、確実に別のところが元気になってしまうので丁重にお断りした。ちょっと惜しかったかなと思わなくもない。
「資料全部持ってきてくれたんですね。ありがとうございます。奥の本棚に入れてもらってもいいですか?」
もとよりそのつもりだったので快諾する。
一冊一冊が重い本を片付けるのは大変そうだしな。おじさんは言わずもがな、実羚の細腕でも結構な重労働だ。
それになにより好きな女の子の家をくまなく見る絶好のチャンス!
たかぶるテンションを悟られないよう、いたって平然としながら「おじゃましまーす」と上がりこむ。
庭が色とりどりの花で覆われているなんてことはなかったが、それでも片付けられた室内から実羚の女の子としての一面を発見し、うれしくなった。
冷蔵庫に水道屋の電話番号が書かれた磁石が貼り付けてある。俺の家にあるやつと同じだ。ささいな共通点を見つけては心を躍らせる。
段差のない室内をさらに進むと、壁一面に作りつけられた大きな本棚があった。
すげぇ、一般家庭でこーゆーの見んの初めてだ。
「すごいですねこれ……こんな立派なの初めて見ました」
「これでも大分手放したんですよ。残ってるのは資産価値のないような本ばっかりです」
お金になりそうなものはすべて変えてしまいました、と寂しげに笑う。事故にあって職を失ってから生活が大変だったのだろう。
深く突っ込むのも失礼だ。空いてるところ適当に詰めちゃいますね、と早速本を詰めにかかる。
本をしまい終えて、まだ作業を終えていない西牧に気づき、屈辱を感じた。
女の子には五冊ずつ持ってもらって、残りは半分な、って言って分けたのに。そっちのほうが明らかに多いじゃんか。
西牧め、俺が目を離したすきに中身移し替えたな?
西牧の優しさなんだろうが力を侮られているようで面白くない。
同じ男なんだから気にするなっての。ちくしょう。筋トレもっと頑張るか。
「みんな、喉かわいてない? 麦茶とオレンジジュースと紅茶があるけど」
ちょうど喉が渇いていたので、ありがたく麦茶をお願いする。
「タケトは麦茶、他のふたりは紅茶ね~」とパタパタとスリッパを鳴らしながら台所へ消えていく彼女を見て、胸がキュウキュウと締め付けられた。
ああ、いいな。どれがいい? 好きなものなんでも作ってあげる、なんて。
学校では見ることのできない生活感に妄想力が高まる。
三択なんてのもすてきじゃないか。仕事から帰ってきた俺を出迎えて彼女がいうのだ。「お帰りなさいアナタ。ご飯にする? お風呂にする? それとも……」なんて頬を赤らめて。もじもじと指を絡ませて。
もちろん俺の答えはひとつしかない。どんなに腹が減っていようが疲れていようが、食欲、睡眠欲より何より満たしたいのは第三の欲である、せー……
「タケトくん、でしたっけ?」
声をかけられ、一気に現実世界へと覚醒する。
やべやべ、よりによってお父さんの前で。ベッドに横たわる彼女の妄想を打ち消して、好青年の笑顔をまとう。
「はい、双木健人っていいます。こっちは西牧康太。律花は前来たことあるんだっけ?」
「ええ」
人見知りの西牧は紹介されてもこくりとうなずくだけだった。
もーちょっと積極的に会話に参加してもらえるといろいろやりやすいんだけど。
「双木健人……ですか。いい名前ですね」
思いがけず褒められてくすぐったいような気持ちになる。
本当は両親が離婚する前の名字のほうが好きだったんだけど。褒められるとこっちの名字も捨てたもんじゃないなって思えてくるから不思議だ。こーゆーところ、褒め上手な実羚の『お父さん』って感じがする。
本を無事移し終えると、ついでに横に積みっぱなしだった本も棚の中へと戻していく。順番どおり並んでないと嫌なんだよなぁ、俺。
数学の課題だが、俺はあと数問を残すのみだった。30分もあれば終わるだろう。律花と西牧には先に始めててもらって、ひとり本の整理を請け負う。
おじさんじゃ手が届かないであろう高い位置に置かれているものも、下の空いている棚へと移すことにした。実羚の身長じゃ台がないとつらいだろうし。
結果、大掛かりな移動になるが、彼女の役に立てるなら地道な作業も軽いもんだ。
「ありがとねタケト。こーゆーのってつい後回しにしちゃうからさ。今度なにかお礼する」
コップを四つ持って実羚が現れる。それを受け取りながら、にっかりと笑顔を浮かべて言った。
「そりゃ楽しみだ。約束な」
言った瞬間、麦茶を差し出していた実羚の動きが止まった。
疑問に思う間もなく続けて言葉が発せられる。
「……あ、やっぱりいまお礼させて。ご飯家で食べてってよ、おいしいの作るからさ。律花と西牧も!」
律花は夕食が用意されているため帰らなければならなかったが、西牧は「メールすれば、大丈夫」と携帯を操作し始めた。
せっかくなので男ふたり、お言葉に甘えることにする。
俺も連絡しなきゃと携帯を弄りながら、さっきの反応を思い返さずにはいられなかった。
約束って言った瞬間に実羚の顔が曇った。
お礼してくれ、なんて言ってもそんな大層なものを期待したわけじゃないのに。
……恩着せがましい嫌なやつだと思われたかな。少しだけ気分が重くなる。
なんでもっとうまく立ち回れねぇかな、俺。
「すごい量の本ですね。これ全部仕事で使うんですか?」
大きな本棚を見ながら、律花がおじさんに問いかける。
「全部ではないですが、ある程度は資料として。科学分野の情報はインターネットでは手に入らないことが多いですから」
人ゲノムの解析だの、遺伝子についてだの、細かい字で書かれた分厚い研究書ばかりだった。
魔法粒子の発見以降、魔法の研究にばかり移ってしまって科学の研究はほとんどされていない。赤涙の悲劇が起きる前から進歩していないとまで言われている。
結果、全体的に戦前に書かれた古い本が多かった。
「どんなお仕事をされているんですか?」
おい、あんま突っ込んだこと聞くなよ。ハラハラしながら律花との会話に耳を傾ける。
幸いにしておじさんは気分を害した様子はなかった。
「メールで送られてきた研究結果をまとめてグラフを作ったりしてるんですよ。もともと研究職員でして。どういうふうにしたら見やすいかとか、感覚的に分かってますから」
指された先にあるパソコンに表計算ソフトで作られた細かいグラフが映し出されていた。データを見てもなんのことだかさっぱり分からない。数の細かさに目がチカチカしそうだ。
「あまりのぞかないでくださいね。一応機密事項なので」
机の上に広げられている書類は多く、意外と仕事の量は多いようだった。
その中にレピオスの封筒を見つける。粒子瓶を作り、急成長を遂げた会社。
青柳のおっさんとの会話を思い出し、胸に澱のようなものが広がっていく。
瓶の製造自体になんら問題はないのだけれど。なんとなく、すっきりしない思いを抱えていた。今日の帰りに、西牧に確認してハッキリさせないと。
「お仕事大変そうですね」
「ええ、まぁ。でも資料まとめはたいした収入にはならないですから。恥ずかしながら国から補助してもらいながらなんとか生活しているといった感じです。本当はもっと本を増やしたいのですが」
「……おじさん、は魔法――」
突然、寡黙な西牧が口を挟んだので驚いた。そちらに注目すると、力なくおじさんが首を左右に振る。
「全然。魔法を使える子達がうらやましいですよ」
魔法力というのは遺伝しない。出現率もランダムで、なぜ魔法力を持った子が生まれるのか解明されていなかった。
おじさんも魔法が使えればもっと楽に過ごせただろうに。
生活すべてを補うのは無理だが、魔法が使えれば就職先が広がる。たとえ体が動かなくても、いい仕事に就けたはずだ。
「どうして、下半身不随、に?」
「おい西牧!」
突っ込んだこと聞きすぎだろ。とがめるように声をかけると、おじさんは「いいんですよ」と笑ってくれた。
「妻と出かけた帰りに事故に遭いまして。妻は即死でした。生きているだけで奇跡のようなものです」
「……大変でしたね」
少し声を落としながら律花があいづちを打つ。さすがに悪いと思ったのか、西牧もじっと下をうつむいていた。
「ええ。でも車に乗っているのが夫婦だけでよかったです。僕は実羚さえ生きていてくれればそれでいいんですよ」
にっこりと笑う。俺はその笑顔を見てあふれ出しそうになる涙を堪えるのに必死だった。
子どもが無事ならそれでいいって! こんな体が動かなくて不自由な思いをしているのに。お父さん! アナタ、なんて子ども思いな人なんだ……!
ぼろりと我慢し切れなかった涙をそでで即効拭い、ぎゅ、と眉間に力を入れる。
ああ、鼻水まで出てきた。気づかれないよう静かにすする。本に垂れねぇよう気をつけないと。
気持ちを落ち着かせようとそっぽを向いていると、さっきまで気づかなかった視線に気がついた。
クリクリとした丸い目が扉の隙間からじっとこちらを見つめている。あれ、なんだ?




