4-5 伝えられない想い
「武藤さんいるかい? キミのお父さんから借りていた資料、お返ししたいので時間のあるときに取りに来てくれないかな?」
教室の入り口から科学の先生が声をかける。すぐさま実羚が立ち上がり、先生のところへと近寄った。身軽な体は教室の端から端まで一瞬だ。
「いいですよ。いま行きますか?」
「いつでもかまわないよ、準備室に積んであるから。長い間お借りして申し訳なかったとお伝えしてくださいね」
確か実羚のお父さんは元科学者で、貴重な文献をたくさん持っているって自慢していたな。
先生が借りたがるほど貴重な本かぁ。少し内容に興味がある。科学準備室は図書室の先だな、よし。
「科学準備室行くなら途中まで一緒に行こうぜ」
返却したい本を片手に掲げて誘う。
ついでに荷物重かったら持ってやるよ、と男らしいところを見せようとしたら「わたし力あるから大丈夫だよ」とバッサリ切り捨てられた。
いやいやいや、俺のほうが力強いし。頼れるってところ見せてやっから。ひそかに闘争心を燃やす。
じゃあ律花、また明日ね~! と俺にぶつかるんじゃないかってくらい元気よく手を振って教室を後にした。
「ほんと、律花のこと好きだな」
過度とも言える愛情表現に苦笑しながら言うと、実羚が数度目を瞬かせた後、うれしそうに八重歯をのぞかせて笑った。
「好きだよ。だってキレイだし優しいし、考え方とかしっかりしてるんだもん。尊敬できるし、なにか困ってたら助けてあげたいなぁって思う。タケトもそう思わない?」
「まだ知り合ったばっかだし、そこまでは思わねぇかなぁ」
俺がそう思うのは実羚、おまえだけだぜ。そう胸に秘めながら彼女を見つめていると「タケトと律花って前から友達なんじゃなかったっけ?」と問いかけてくる。
違ぇよ。今年同じクラスになるまで名前しか知らなかった。実羚が仲良くしてるから積極的に話してるだけで、俺にとってはただのクラスメイトにしか過ぎない。
いろいろと濁しながら答えると「すぐにタケトも好きになるよ!」と自信満々に言われる。
そっかなぁ。どちらかと言えばいまは嫌いの方向に行きそうな気がしてんだけど。
友達同士が仲良くなっていくのってワクワクして好き~とご機嫌そうに言う実羚を見て、あらためて律花とは表面だけでも仲良くしなきゃなと思い直した。
「それにしても、好きって言葉よく使うよなぁ」
「だって好きなんだもん」
今日一日で何回実羚から「好き」という言葉を聞いたかわからない。
そりゃあ「嫌い」って話を聞くよりかはるかにいいけれど。いつか俺みたいにその言葉にぐらりとしてしまう奴が出ないか心配だ。
「かわいいものも好きだし、キレイなものやかっこいいものも好き。本も映画も感動したら必ず感想の手紙を出すようにしてるんだぁ。言葉に出して伝えなきゃその人には伝わらないから」
特に漫画なんかちょっとでも人気ないとすぐ打ち切られちゃうから切実なんだよー? と雑誌に同封されているアンケートはがきの重要性を説く。
握りこぶしを作りながら熱く語る実羚を見て、作り物なんかじゃない心からの笑顔が零れた。彼女といると、飾りすぎて分からなくなっていた『素の自分』というものが現れる気がする。
言葉にしなきゃ伝わらない、か。
少しだけ。ほんの少しだけ勇気を出して言ってみる。
「俺も実羚のそーゆーところ、好きだよ」
言った後で顔がじわじわ熱くなってくる。
うわ、やっばい。これって思ったよりも恥ずかしい!
こんなの他に人がいたら絶対に言えない。
それをなんの躊躇もなく口に出せる実羚ってやっぱすげぇよ。心の底から尊敬する。
顔が赤くなっていること間違いないので、一歩だけ足を速めて歩く。
先に本返してくるからと振り返ると、彼女はうれしそうにニンマリと俺を見つめてうなずいた。
うわ、うわーーー!!
沈まれ俺の心臓。落ち着け双木健人!
耐えきれずに足が速まってしまう。
ああもうヤバイいますぐ好きだと伝えてぎゅっと抱きしめたい。実羚の「好きだよ」って言葉を独占したい。
収まらない勢いのまま図書室のカウンターに本をたたきつける。
司書さんの「本を乱暴にしない」という注意に「すみません……」と返し、そのまま頭を抱えてしゃがみ込んだ。
好きだ、好きだ、好きだ。
思いの一欠片を口にしただけで、あふれ出しそうなほどの感情が押し寄せてくる。
伝えてしまいたい。でも嫌がられて話せなくなるのは避けたい。
実羚が俺のことをただの友人としか思っていないなんて、話していれば分かる。だからいまは伝えられないが、いつか必ず。この胸にくすぶってる思いを全部余さず伝えたい。すべて伝えて、彼女からも同じくらいの思いをもらいたい。
こんなに人を好きになったのなんて初めてだ。自分の感情の制御が、こんなに難しいものだったなんて。
はぁぁ、と深く息をはいて気持ちを落ち着けようとする俺に「そ、そんなに反省しなくても……」と司書さんの戸惑った声がかけられる。
ああごめんなさいそんなんじゃなくて……。
申し訳なく思いながらも熱い顔を上げることができず、たっぷり30秒はそのまま床へとしゃがみこんでいた。