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4-4 思わぬお誘い

 憂鬱(ゆううつ)な気分から復活する間も与えられないまま、午後の授業は過ぎていく。

 いろいろと考えことをしたかったが、厄介な数学の課題を大量に出されてそれどころではなくなってしまった。

 授業中に終わらなかった分は来週までに解いておくこと。いまどきあまりやらないノート回収までやると先生が意気込んでいる。


 授業時間内に終わらせておけばその分自由時間が増えるので、必死になって問題に取り組んだ。

 おかげであっという間に授業終了のチャイムを迎えることになる。いつもは早く過ぎて欲しい授業時間が、もうちょっと長かったらと望んでしまったぐらいだ。


 このまま教室に残って問題を解いてもいいが、青柳のおっさんから今日会えないか? とお誘いのメールが届いていた。絵文字ですでに返信済みだ。

 移動する前に、読み終わった図書室の本を返しつつ、時間つぶしの本を借りておこう。


「健人、おまえ昨日は……」

「松岡くん」


 帰宅の準備を進めているとシオンが近づいてきて。俺を呼ぶのと同時に、クラスの女子からも呼びかけられる。体育委員の子だ。


 嫌な顔はするものの、基本フェミニストなシオンは女の子を無碍(むげ)には扱わない。

 なんか俺に用があったみたいだが委員会のほうが優先だろう。「頑張れ~」と作り笑顔を浮かべながら手を振って送り出してやった。

 今日も委員会なのか。随分長引いているみたいだな。最近なんだか面倒くさいから引っ張ってくれて助かった。


「律花今日空いてる? 空いてたらさっき出た数学の課題一緒にやらない? 駄目だったら明日でもいいけど!」


 実羚が授業が終わるなり律花の元へと駆けてくる。

 課題の類はさっさと終わらせといたほうがいいからな。

 いつか俺のほうからこんなふうに誘えたらいいなぁ、と妄想に浸りながらかわいい実羚を横目で見つめる。


「今日はアルバイトがあるから明日だとうれしいわ」


 前に、笹生の家はなにか家業をやっていて、時々それを手伝っている、と話していたが……家業とは別にバイトまでしてたのか。知らなかった情報についつい帰り支度の手を止めて聞き入ってしまう。


「じゃあ明日、律花のおうちへ行ってもいい?」


 キラキラと目を輝かせながら実羚が問う。笹生の顔を伺うようにしゃがみこみ、机の縁に指をかけて小首をかしげながら。

 う、かわいい。上目遣いでそんなんやられたら無条件でなんでもOKする自信があるぞ。

 思わず見とれていると笹生がこちらをチラリと伺う。それに大慌てで顔をそらした。

 うわーやべー、横目で見てたの気づかれたかな。


「自宅はダメ。図書館ならばいいわよ」

「もぉ~、律花って絶対おうちには呼んでくれないよねー。図書館だとお話しできないし、私の家でやろう?」


 そういえば、笹生の家業も家の場所も誰も知らないって実羚がすねてたな。

 ミステリアスな雰囲気がたまらないとクラスの男子は話していたが、俺にはただ不気味にしか思えなかった。こんなに仲がいい実羚にさえ言えない家業って一体何なんだよ。


 まだクラスが一緒になって一ヵ月しかたっていないのもあって、俺が彼女について知っていることは少ない。

 それなのに彼女は俺のことをなにかとよく知っていた。実羚からいろいろ聞いているのか、得意の鋭さで気づいてしまうのか。

 こっちは周りに聞いてもなんの情報も得られないというのに。一方的なその状況に不満を抱いてもおかしくはないだろう。


 今日は朝のあいさつ以外、笹生と会話を交わしていなかった。いつもは目が合う度に、なにかしら雑談していたというのに。

 昨日の放課後のこともあって、俺の態度は多少ぎこちないものになっていた。目が合う前に、俺のほうからわざとそらしてしまう。

 ……駄目だな、笹生は実羚の友達なんだし。できるだけ仲良くしないと。


 俺が考えに(ふけ)っている間も、ふたりの会話は続いていた。

 律花のためにパウンドケーキ焼いておくね! と実羚が声を弾ませて提案するのをうらやましく聞く。

 いいなぁ、パウンドケーキ。俺も行きたい。ケーキが焼けるなんて家庭的なんだな。将来絶対にいい奥さんになるだろう。


 ちらりと視線を送ると、笹生と目が合いそうになり、あわててそらす。

 ごまかすように机の中身をカバンへと移し替えていると、笹生が思いついたかのように声をかけてきた。


「健人、甘い物好きだったわよね」

「う、え?」


 予期せぬ問いかけに思わず変な声が出てしまう。

 好きだけど。それも笹生に話したことってあったか?


「もし明日空いてたら、健人も誘いたいのだけど。ダメかしら?」

「健人も?」


 くりくりとした可愛らしい目が、じっと俺を見つめる。

 う。ちょっと照れる。


「健人、明日空いてる?」

「あ……空いてる」

「じゃあ、うち来て一緒に課題やる?」


 願ってもない提案をされて、心臓がバクバクいった。え、なに、この急展開。


「実羚と笹生がいいんだったら、ぜひお邪魔したいけど……」

「律花」


 横から訂正され、そういえば昨日「律花」と呼ぶと言ったばかりだったことを思い出す。

 話の腰を折られたことを幸いとし、ひとつ呼吸をついて、せっかくのチャンスを失わないようしっかりと気を引き締める。


「実羚と律花が良かったら、俺もお邪魔していい?」


 言い直してあらためて問いかけてみれば、「いいよ!」と実羚が快く快諾してくれた。

 ……うわ、これ、もしかして。初めて彼女のおうちを訪問できる……?!

 思わぬラッキーに震えていると、律花が艶然と笑いかけてくる。


「健人と放課後に会うの、初めてね。明日楽しみにしてるわ」


 わざわざ楽しみにしていると宣言されて、(ほほ)が引きつりそうになるのを(こら)える。


 ……なにかの(わな)なのだろうか。俺が実羚に好意を寄せていることすら気づいて、その様子をあざ笑おうとしているとか? 俺の情報をさらに引き出そうとしているのか?


 真意が見えずに戸惑う。

 単純に、人数が多ければ分からないところを教え合える、という理由だったらいいのだけれど。


 当の本人は会話を終えたあとも、機嫌良さそうに微笑を浮かべていた。

 その笑顔を見ていると、とても策略を巡らせるような女の子には見えないのだけど。昨日のこともあるので、油断ならない。


 ふと西牧のほうに視線を向けると、向こうもこちらを見ていたのか。一瞬だけ目が合った。けれどもすぐにそらされてしまう。

 これはしばらく話を聞くのは無理だろう。


 シオンと西牧と律花と。距離を図らなければならない相手が三人もいて、少し気疲れする。

 こんなときは実羚との友好関係をさらに深めて、()やされたいところだが。


 勇気を出して、もうちょっとだけ話に行ってみようか。

 そう考えていると、俺より先に廊下から実羚を呼ぶ声がして、視線をそちらのほうに向けた。


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