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3-3 ずっと見てたから

 午後の授業終了のチャイムが鳴る。俺はずっと同じ姿勢でこわばってしまった体をぐぐっと伸ばすと、大きく深呼吸をした。


 いつもなら自主練をすべく、シオンと共同で使っている学内の練習場へと向かうのだが、今日は違う。西牧おすすめの弁当屋を紹介してもらわなければ。


 少し保健委員の仕事があるというので、教室で西牧の帰りを待つ。

 席から動こうとしない俺に気づいたシオンがなにか話しかけようとしたが、委員会の女子に声をかけられ、連行されていった。

 来月に控えた体育祭のため、いま体育委員会は大忙しだ。あのシオンと一緒に居られるということで、普段より委員会の招集回数が増えているなんてこと、本人は知るよしもないだろうが。


 予習ノートを広げる時間まではないだろうと見積もった俺は、図書館で借りてきた本に軽く目を通し始める。

 でかでかと表紙に『人を思うままに動かす一八のテクニック』と書かれているので、表紙を見られないようきっちりとカバーをかけていた。好きなんだけどね、こーゆー系統の本。さすがにこのタイトルは堂々と広げては読みにくい。

 今日は教室でなにかをしようとする生徒はいないのか、みんな好き勝手に散開し、俺と笹生のふたりだけしか残って居なかった。


「珍しいわね。誰か待っているの?」

「まあな。あれ、笹生って日直?」


 ひとりで黒板消しを持って後片付けをしている。確か昨日日直をやっていた気がするのだけど。

 それに、普通ならば男女ひとりずつ日直がいるはずだが、もうひとりの姿が見当たらない。


「ひとりは欠席、もうひとりは早退したから二日連続で日直をしてるの。午後の授業いなかったんだけど、気がつかなかった?」


 トンと手に持っていた日誌を開き、ページを指さす。欠席・早退の欄にふたりの生徒の名前が書かれていた。その名前と最近の様子を思い出して憂鬱(ゆううつ)な気持ちになる。


 彼らはドロップ予備軍だ。早退した彼は、今日の実技でうまくできずにつらそうな顔をしていた。欠席した彼女も、最近魔法の話をすると顔を曇らせていて。欠席が今日だけならいいが。


 ドロップになった人は周りの風当たりが強くなる前に、こっそりと田舎へ姿を消すことが多い。

 向き不向きがあるからしょうがないだろうに、ドロップになってしまうと、魔法力のない人間に(さげす)まれるのだ。

 せっかく持っている才能を生かせないなんて怠け者だ。だらしない人間だ、と。

 魔法力の有無で就ける職業に大きく差が出るため、持たない人たちの声は八つ当たりに見えるほど当たりが強かった。


 ドロップと認定されたらこの世界では生きていけなくなる。

 だから魔法が使えないドロップは住む場所を変え、魔法力があることをひた隠しにした。

 自分はドロップではない。その他大勢と同じ、魔法力のない普通の人間なのだと。必死に周りの人を欺いて……。


 しかし、他人の魔法力を感知できる人間というのがわずかだが存在していた。身近なところで言うと、シオンがそれに当たる。

 俺はさっぱりだが、シオンは誰が魔法力を持っているか、ある程度知ることができた。秘密にしたいらしく、あまり公言はしていないようだが。


 結果、ドロップは気軽に外に出ることもできず、一生人の目におびえて生きることになる。

 そんな目に遭いたくなくて、俺は必死に勉強したんだ。


 早退した彼の机を見ると、極端に荷物が少なかった。

 ……もう学校には来ないかもしれないな。ライバルではあるが、人事(ひとごと)ではなく哀れに思う。


「黒板やるよ。笹生じゃ上のほうつらいだろ?」


 落ち込みかける気持ちを払拭(ふっしょく)するためにも、つとめて明るく話しかけた。

 最後の授業は図を用いたため、黒板の上のほうまで書かれている。彼女とは身長があまり変わらないが、それでも俺のほうが少し高い。俺ならかろうじて黒板の上までぴょんぴょん飛び跳ねなくても消すことができる。


律花(りっか)でいいわ。実羚もそう呼んでるし」


 ありがとう、と礼を言いながら黒板消しを渡してくれる。同じような会話を昼に西牧としたな、なんて思わず苦笑が漏れた。


 笹生が日誌の続きを記入していく。俺は宣言通り上の文字を消すと、そのままの勢いで残りの白墨を黒板消しに吸わせていった。

 右端に書いてある日付のところは角を慎重に使い、11の右側だけを消して2に書き換える。まだ五月だというのにドロップ候補が出たのだ。卒業するまでに何人が居なくなるのだろう。


 日直の所に書かれたクラスメイトの名前を消す。

 ただそれだけのことなのに、彼をこの学園から排除するような錯覚を覚え、胸がじりりと痛んだ。

 気分転換を図ろうとして、振り返らずに笹生へと話しかける。


「そういや、笹生っていっつも昼どうしてるんだ?」

「律花でいいって言ってるのに」


 不満気に答えられる。

 思い返してみれば、彼女は俺のことを「健人」と下の名前で呼んでいた。普段一緒にいる実羚につられたのだろう。

 それを考えると、俺も彼女を名前呼びしてもなれなれしくはないか。振り返って、あらためて名前を呼んでみる。


「じゃあ、律花」

「うん」


 にっこりとほほえみながら返事をする。その(やわ)らかさに、うかつにも胸がときめいてしまった。


 実羚は彼女の笑みを「女神様の笑顔」と評していたが、それも分かるような気がする。

 背も高くスタイルのいい彼女は、クールな性格ながら男子からの人気が高い。実羚がかわいい系だとするならば、律花はキレイ系だ。泣きぼくろもセクシーで、実羚がべた褒めするのも無理ないなって思う。


「ずいぶんとうれしそうじゃん。そんなに名字で呼ばれるの嫌だったのか?」

「ええ。ずっとあなたに名前で呼んでもらいたかったの」

「なんだよそれ」


 くっと肩を上げて笑う。付き合いたての恋人じゃあるまいし、そういう言い方をされるとくすぐったい。


「名前で呼ばれたほうが仲良くなれそうじゃない? あなた、クラスメイトを殺しそうな目で見ているし」


 言われてぎくりと体がこわばる。

 過剰な反応をしてしまった自分に気づき、慌てて笑いながらその指摘を否定した。


「人聞きの悪いこと言うなよなー」


 きゅ、と。黒板消しが板との摩擦で音をたてる。

 なにを、突然。

 いけないと思いつつも、無意識に声が固いものになってしまう。


「なんでそんなふうに思ったんだ?」

「見てれば分かるわよ。あなたがクラスの人と表面的にしか仲良くしていないってこと」


 クスクスと口元に手を当てて笑う。対称的に俺はちっとも笑う気になれなかった。


 ――殺しそうな目、だなんて。無理に()り上げた口端がわずかに震える。

 別にクラスメイトを殺したいとは思っていない。ただ、負けたくないと。周りの人間すべてを敵のような認識で見ていた。


 けれども、そんなわかりやすく態度に出したつもりはない。

 事実、唯一友人らしく過ごしているシオンだって、俺のことを「誰とでも仲良くできるたいしたやつ」だと評価しているのだ。

 行事なんかにも積極的に参加するし、初日からいろんな奴に話しかけまくって、クラスのムードメーカーという地位に収まった。

 去年に引き続き、今年も同じクラスになった男子からは「健人がいると女子と話す切っ掛けできるからマジ助かる」と感謝されているくらいなのだ。

 そんな、今年初めて一緒のクラスになった笹生に見抜かれるような失態は犯してないはず。


「言いがかりも、ここまでくるとちょっと傷つくぜ?」


 できるだけ剣呑(けんのん)な言い方にならないよう気をつける。

 ただでさえ彼女には実羚のことで変な対抗意識を持っているのだ。これ以上険悪になりたくない。


 ゆっくりと息を吐いてから、苦笑して笹生のほうを振り向く。彼女はただまっすぐに、俺を見つめていた。


「言いがかりじゃないわよ。あなた、どんなに親しくしていても本音で話してくれないじゃない? 松岡くんと実羚以外、名前で呼んでいる人が居ないのもいい例ね。無意識かもしれないけど」


 無理に笑おうとした声がかすれる。

 名前で呼ばない。一年の頃の友人と離れて以来、うかつに距離を縮めないよう意識してのことだった。シオンに限ってはあまりに名前で呼べ呼べうるさかったので根負けしただけだが。


 クラス内でもうまくやっている自信はあった。自分でも性格悪いとは思うが、貼り付けた笑顔の裏で内心なにを考えているかなんて、誰にも分からないだろう。そう思っていた。

 だがこうもやすやすと当てられてしまうと、隠し切れていなかったのかと不安になってしまう。


「たまたまだよ。別に呼び方にこだわりないし。よくそんなこと気づいたな」

「分かるわよ。だって――」


 ふわりと吹いてきた風に彼女の髪がなびく。

 誰も居ない教室。窓から差し込む光を背に、彼女がうっすらと(わら)う。


「健人のこと、ずっと見てたから」


 ……ずっと見てたって。監視でもしていたと言いたいのか。

 どんなに取り繕ったって、自分にはすべてお見通しだと。表面的に、ピエロのように振る舞っている俺を見て、あざ笑っているとでも言いたいのか。


「そりゃ……下手なマネは、できねぇな」


 問いただしたい気持ちを抑えて、冷静に答える。

 ここで肯定するわけにはいかなかった。あくまで、言いがかりだという態度を取らなければ。


 顔に笑みを貼り付けて下を向く。彼女の目を直視できなかった。

 いまの自分は冷静さを欠いている。彼女を前に、ちゃんと笑えているか自信がなかった。


 うまく笑えていたとしても、見抜かれてはいないだろうか。不自然ではないだろうか。そんな不安が頭の中を占める。


 西牧が戻ってきたのを幸いに、逃げるようにして教室を後にした。

 振り返りもせず、声のみで笹生へと別れを告げる。


 ――何事もそつなくこなす、おとなしい優等生。実羚を巡っての、俺のライバル。


 彼女にこんな内奥(ないおう)のことまで知られていると思うと、警戒心を強めずには居られなかった。


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