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9 クレープと妹

 思わず僕とピーチは顔を見合わせてしまった。

 「こんな夜中に……」

 恐る恐る部屋らしき場所に光を素早く滑らせた。階上の器具庫と同じような室であるらしいが、僕らの素振りに埃が舞い上がらないという事は、声の主が常時手入れしているのか。とすると、どう考えたところで、その女が目的の仲間臭かった。

 「聞こえないの」

 女声は舌打ちすると、急に声を荒げ続けて言った。

 「忘れ物ならとっとと探して帰ってよね。ほんとムカつく、ヘッドホン取れっつうの、聞こえないんだから」

 投げやりな調子で言う彼女は誰かと思い込んでいる。僕は光を消して、まず返事を試みようとした。仲間であるならば、是非そうしなくてはいけない。

 まずは僕が緊張に貼りつく喉をひっぺがした。

 「……あの」

 我ながら平々凡々ではあるが、基本に忠実は良い事だ。一声で闇の向こうの女声が息を呑んで、押し黙った。

 僕は腫れ物に触れるかのようにウンウン頷いて、上ずる声を抑え抑え続けた。

 「突然押し掛けてすみません、僕ら」

 何と言おうかと若干うろたえたが、

 「人を探しにここまで来たんですが、もしかして、あなたですか」

 こちらが分からない事を向こうが知っているわけもなく、

 「誰」

 という、先刻の荒げた調子はないが不信を発する誰何が、案の定返ってきた。僕は後悔した。かといって、先方とこちらを結びつける接点は件んの“重力解放装置”云々があるにはあるが、向こうが承知しているかは多分に怪しいものだった。あまり波風を立てぬ方が良いに決まってる。

 という旨をピーチに目配せしたが、彼女も返答に窮している。

 あたふたしている僕らに、また女声が掛かる。

 が、今度はなぜか打って変わって、何か丸味を帯びた物言いで告げたのだった。ほんの短い一言ではあったが、それは紛れもない“無害な雰囲気”を帯びている手紙でもあった。優しく、くすぐったそうな、それでいて悲壮美があるような、何かと、何かをも熱望する声色なのであった。

 女声は今一度、繰り返した。

 「合言葉は……」

 ためらいも間も許されない聖的な問いかけ。僕の脳髄は目まぐるしく回答を探り回転する。どこかで、どこかで聞き覚えが……。

 その時、ピーチが背に負っていた“ミスティ”虹傘から大音響が割れた。けたたましい少女の大合唱と交響楽が耳を津波めいて押し寄せ、塞ぐ間もなく、あの“彼の女”声がアナログチックに時を告げた。

 『四人目の女じゃ、四人目の女なり。四つ目の啓示のみ上手に成就されたし。嘘』

 告げ終わると“彼の女”は掻き消え、僕はまどろみ覚めたようにハッとして、いつの間にやら脳髄から掘り起こされていた女声への応えを口にしていた。“彼の女”は僕にしか聞こえていないのだろう。ピーチの時と同じく、女声の問いかけから一秒も過ぎていない筈だ。

 僕の声色は限りなく透明に近いブルー、陽の香りに満ち満ちていた。先刻までの緊張は微塵もない。傷つきやすい女戦友にかけた合言葉とは即ち、

 『秘密』

 古い、とても古風な木造の香りが僕の口を通して、女声の抱く想いから発せられた。遠く咲ける少女の笑い声、輝きの白と海の青が澄み渡った天空、木々のせせらぎ、ちょっといじわるな風のノスタルジア。どこにいても女声だけには聞こえる幻想の音。赤毛の少女がトランク一つで大草原を駈け回って出会ったたくさんの光の音が、女声の心内で宝石のように輝きだした。

 もっともっと光り、強く輝く。果てしない悠久を夢見た赤毛の少女に負けないくらい。傷ついたり、星のスパンコールが散りばめられたり、その秘密の宝石をこっそりとしまっておく素敵なオルゴール箱は時に優しく、時に寂しく旋律を奏でる。箱に刻まれたいっぱいの装飾の分だけ、たくさんの音色を紡ぎ出していく。そして僕はひとりぼっちで置かれたままの、その箱に触れる。

 まるで父の書斎に内緒で入った女の子が、痛いくらいちっちゃな胸をドキドキさせて、秘密の宝箱を覗き込むみたいに、そっとそっと天蓋を開いていく。僕の心はその中に、季節の全てがギュッと詰まった、花で編まれた一冊の本を見つけた。眩しくて、眩しい、極めて光的な少女の心。

 誰かが僕を呼んた。空海原と草海原に挟まれた赤毛の少女が可愛らしくはにかんだ。二つのおさげが風の精にいたずらされて、陽光のカーテンが世界を宝石にした。

 合言葉一つで、僕は女声が“無害な人”である事を確信した。笑って、落ち込んで、涙をこぼして、ほほえんで、そんな彼女の幻想への想いが手に取るように分かった。彼女の行く先々、くっついて歩った弟がその背を見つめながら経験したかのような“知らぬ記憶”であった。だけれども、もたらされた温もりは僕の心に小さな泉を産んだ。目を閉じて、そっと泉を汲んでみる。

 心の手から光芒の飛沫がこぼれ落ちていくわずかなそれは、まさに女声が育んできた“無害の心”なのであり、“光”そのものであった。僕の希望を補強してくれたのだった。

 僕は家出の真似事をした赤毛少女をやっとの事で見つけ、温かいぬくもりを寄せる親友のような思持ちで、女声のいる方に電灯をゆっくりと持っていった。合言葉に助けを託した女声に“光”が応えた旨を演出してやりたかったのだ。

 まあ幻想の光と違って大分安っぽく刺激が人為的ではあるが、光は女声の持ち主を導き出した。

 黒髪を頬の辺りまで垂らした女性が立っていた。先刻は見当たらなかったので、きっと物陰で横たわっていたのだろう。女性というよりは僕やピーチと比しても年下のそれと分かるほどで、少女と言った方がしっくりきた。

 家に帰っていなかったらしく、制服姿は少女を心得ているようにやはり映る。

 彼女は光を辿って僕らの前に近寄った。神妙な顔つきをしていたが、険のあるものではなくて、おそらくこちらの経緯に興味を惹かれているのだろう。

 「もしかして妹から聞いたの……、妹の友達……」

 やや冷たい響きで女声は尋ねるのだった。

 「二人で探し物してたら、たまたま行き着いたの。ここに」

 ピーチは両手をスウェットパンツに突っ込んで、疲れたように答えた。きっと、この答えでは満足してもらえないという諦めを多分に含んでいる。

 「嘘よ」

 女声は応えた。

 「校庭なら少しは分かるけど、立ち入り厳禁の、しかも旧体育館のこんな分かりにくい部屋に来るなんて、妹に吹きこまれたとしか考えられない。ここは私の部屋なんだから捜し物なんてないに決まってるわ」

 彼女は鼻であしらうような攻撃的な目を僕らに差し挟んで言う。

 「Kissなら他所でしてよね。どうせ妹の知り合いで、誰も知らない場所を探していたからここに来たんでしょうけれど、二人にお似合いな所は他にもいっぱいあるから」

 僕は勘違いされた事に恥ずかしくてうつむき、ピーチは肩をすくめてみせた。それから女声は皮肉な笑顔で一言付け加えて、

 「とっとと帰って」

 いくら罵られても女声の“無害”さが感じとれてならない。心根の分からぬ者においそれと自身の大事な幻想を打ち明けられない。彼女は単に探っているだけに過ぎない。

 「でも、君の合言葉に応えてみせた」

 と、指摘した。

 「多分、君も何かを期待していてくれたと思うし、何より僕らと君の探している物っていうのは一緒のものだよ。だから、僕らは仲間を探している」

 「それで何を探しているのよ、言って」

 泣きぼくろの目許を考え深そうに細めて女声は言う。慎重に探るようでいて、祈るようであり、総じて神器を授ける巫女が資格者に失言してくれるなと言わんばかりの態であった。睨むようで憎むようで……。

 僕はその双眸に搦め捕られ窮した。彼女と僕は合言葉を言い当てた事でも推察できるように、幻想の型といえばよいのか、幻想に対する思惑が似ている。僕もピーチも彼女も行き着く理想というやつは、三者三様であろうが、行き着く場所は何ら変わらない。しかし、自身の内で夢見る想いへの接し方と、殊に人と接する事により外部化する仕方では、僕と女声、ピーチ、とおそらく分かれてしまうだろう。

 自身の内で夢想する事については各人の好きであるが、要は他人への表し方なのである。三人とも今までの生活で疲れ切ってしまい、不用心に他人へ幻想を語る事はまず有り得ないが、仮に趣味の似通った人と自身の好む作品なり、音楽に思い浮かべる情景なりを話し合ったとする。相手が“カタルシス人間”なのか“無害な人”であるのかを第一に見分けなければならないが、それは置いておく。

 会話が進み表面的な情報交換が済むと、内容は段々にウンチクと幻想の交じり合ったものへと深まっていく。“無害な人”はこの辺から話す事をやめ、相手の話に相槌を打つようになっている。人の間で生きてゆくには孤立せぬよう多少の話が必要であるが、自身の温存する生きる支えである幻想を傷つけられてまで話をする事はない。迂闊に口外しようものなら、切って捨てられるのがオチだからである。

 その事を踏まえて“無害な人”は肝要な幻想を隠しつつも相槌を打ち、かつ相手がどれほどの幻想性、物語性、知識を追っているのか探る。そこで相手が優れた人物である事、幻想を傷つけない同じ“無害の人”である事が判明したとしても、“無害な人”は決して口には出さぬものである。

 碩学者が善意から忠告したとしても“無害な人”達はその言葉の端々から刺を見つけ出してしまうし、幻想において必ずしも碩学は必至ではないからだ。見あたらぬものは想像すれば良いし、名の分からぬものは創作すれば良い。“無害な人”が進んで文献を紐解いたり、誰かの作品を欲したりするのは自身の幻想を潤し、補強するに他ならないのだ。

 上記までは三人とも一様であるが、僕らとピーチの幻想には少しの色違いがある。ほんの少しであるが、それはとりとめのないほどの隔たりを感じさせる。この違いが他人への表し方にも現れてくる。即ち、社会的であるか現実的であるか、なのだ。ピーチの幻想では昔を回顧するという点があまり見られないように思える。この事は僕や女声のものと決定的に異なる因子であり、ピーチの場合、おそらく“今のまま”の自分自身で“理想の住居”を持ち、“自身に合った職”を手にして、極力“嫌いな型の人間”とは付き合わぬ生活をし、この幻想を支える最大の源流であるところの“不老”と“早期の安楽死”を一人ぽっちで遂げる事にあると思える。

 これらは総じて“自身のスタイル”を確立しようとする“後ろ向きな前向き”であり、“脱出”を表すとともに“純潔を追う”事も示していて、どれも現実面で不可能ではなかろうか。だが、そのためには“要らぬ努力”をしょい込まなくてはならず、その内に命を落としていった敗残兵はゴマンといた。ピーチの幻想は現実面と境界線が癒着しているため、僕と女声の回顧的な幻想とに比すると確かに現実的と受け取れそうだが、あくまで二人と比べてという事に留まってしまう。

 とはいえ、その内容を検討してゆくと現実的な部分を基としているゆえに、“無害な人”の疑いがある人間に対しても、また“無害な人”その人に対しても知識による自論の展開、鍵となる言葉に対する各々の比重の偏り、男に限っていえば更に性的な要因などへの葛藤が省かれるので、僕と女声よりはずっと幻想を崩して他人へと語る事ができよう。ここでいうのは、あくまでも幻想をそれとなく薄めて話を合わせられる、という程度のものである。

 敢えて付け加えれば、ピーチの属性は“カタルシス人間”に近しいものがある。無論、ピーチは“真性の無害な人”であるから、陥る事はなかろう。僕と女声では話せなくて、ピーチでは幾ばくか他人に話しやすいという事だ。

 だから、僕は女声への答えに窮しているのである。彼女が“重力解放装置”という直截的な物言いを嫌うのは、そこに無害な人の皮を被った物語性を誤解している人間、いわゆる“偽無害な人”の欠片を目敏く見つけられるからで、彼女がそれだけ心を傷めてきたわけでもあるから、僕は彼女の平穏を乱さぬようなそれとない言葉で、彼女の信頼を勝ち得なければならなかった。“ミスティフィカシオン”が触れさせてくれた温かい少女の心を翳らせたくない。彼女の目許が救いを求めている。

 ここは僕に任せて、と心なしかムスッとしたピーチに目配せして、女声の問いに応えてみせる。彼女の属性に合った言葉を選んでいかなければ。

 「僕ら二人は或る話を聞いて、ここに探しに来たんだ」

 「だからその話、妹に聞いたんでしょ」

 スフィンクスのように問い返す一方の女声と僕は幻想が似ているのだから、問い方を知っている筈だと自身を励まし、続ける。

 「僕らは誰もいない真夜中の公園や無人駅に憧れているからこそ、こんな時間に学校へ忍び込んだんだ。妹さんから聞き出したわけじゃなくて、どいうわけか僕らは耳にしたんだ」

 もう少し虹傘は伏せておこう。

 「遠く騒がしい街に距離をおいて、人の気配がするような、しないような、ざわめきの中に、僕らの探している物があるんじゃないかって」

 女声が言う「妹」の事、聞きたいであろう「耳にした」話は同義であった。「妹」は僕らをけしかけるため、「耳にした」話はこういった時、聞き返すべきでない。彼女はそれを心得ている。なぜなら、互いの立場を探りつつもお互いが“無害な人”という前提にまたがって話しているわけであり、同時にこちらの意図するところを促す働きもあるからだ。もう少し言うのなら、お互い“無害な人”として暗黙に認め合っている。形式は大切であるが、いちいち取り上げていては話が進まないという事もある。

 僕はなお続ける。彼女の幻想が理解できる事を伝えてやらねば。

 好きな歌を思い起こしてみる。

 ?

 「誰だって人の優しさを感じて、希望にあふれて、素直に夢を見て生きてゆきたいのに決まっている。でも様々な出来事が心を蝕んで、それが叶わない事だと分かってきてしまう。優しい温もりやその物語に初めて出会ったままの感動を胸にしたあの頃は幻のように霞んで、ふと気がつくと現実感を消失するほど疲れて、思考だけが行き交う人々の間で宙を舞っていて、たくさんの同じ個人に埋もれて消えてしまいそうな自分が大人の態をまとって立ち尽くしている。

 でも、歌の主人公は声なき心のか細い想いを、自らの理想へと目指し心内で飛翔させるんだ。

 鳥のように、自由にって。いつの間にか捨ててしまった懐かしい自分自身を再び取り戻そうって。現実に生きてゆく生衝動、幻想は背中合わせだから。卑怯さも見栄も、余分なものは全て捨て去って、かつての光り輝いていた筈の自分を取り返して、生きられるところまで生きてみよう。死を選択しないのはその幻想をもう一度愛したい。忘れ去るには惜しいからだ。幻想を育み、自身がそれを生きていくためには終わらない明日をまずは生きていこう。なんとか乗り越えてみよう。

 僕はまるで平穏そうで、でも明らかに生きづらい日常に挑む主人公の表情が浮かぶんだ。傷心して伏せ目がちだけど、心には陽光眩しい天空を自在に飛び回るしたたかさが真っ白な小鳥の姿で潜んでいて、雑踏やかましいビル群の間をひたむきに生きていく。僕はそういった姿勢に強く惹かれるんだ。今、僕ら二人がいるのもそれを探し求めているからこそ、ここにいるんだ」

 正直喋り過ぎだと思った。しかし、嫌味のないよう素直な想いを打ち明けたつもりであった。もしかしたら、女声はこれを咎めるかもしれないが、彼女は足許を俯いてじっとしているのだった。真剣に耳を傾けていてくれたであろうか。

 少し間を空けて、僕は聞いた。

 「君はどうしてここに……」

 僕は“偽無害”ではないと自身では思っている。彼女に心を開いてくれなんて、御門違いな事は決して言いたくない。ただ女声の心地良い他者性を感じさせてほしいのだ。そして仲間にしてほしい。彼女の雰囲気をすでに気に入っているのだ。

 願い心地で、彼女の心に踏み込んだ事を許してくれまいかと、女声の言を待つ。

 少女は目をさ迷わせて、言い負かされた女の子のように、幾分口角して言った。秘め事を明かすように……。

 「私も探し物だから」

 次いで、

 「多分、同じやつ」

 僕はここぞとばかりに口にした。

 「もしかして機械かい」

 彼女はこちらに意味深な目配せをした後、

 「うん。重力解放装置って言うんだけど……」

 僕はどこか怯えた女声に、今までの経緯を急いで切り出した。

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