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7 夜の草馬高校

 「重力解放装置ってどんな形なのかしら」

 安堵に胸を撫で下ろしてピーチは言った。

 「あたしはメカニカルなデザインだと思うけど」

 真夜中の高校には明かりの一つもない。四方を囲む道路では明々と街灯が照っているが、それも校内に横たわる闇を透かす事はできないのだった。対岸の火を悪ふざけに見遣るのと、一抹の寂しさから窺うのとでは様子が違う。真っ暗な幾何学的な建築の頭上から足下までさらっと落ち込む学校の闇は、例えば夏の縁日で楽しむ夜と、秋を餅搗く月の夜長とも異なり、かといって大晦日を行き急ぐ人々の宵、桜の芽吹く涼し気な夜風の縁側、どれも趣を異にしていた。もっと渇いたような、情緒が薄まったような、大量生産されたような……。

 肩に落ち掛かる闇に真性の濁りはなく、黒色を通して遠くより人の気配と電灯と排気音が微かに伝わってきて、むしろ穏やかな心地になれる薄い闇。日常いくつもの模造品が作られた学校の闇に威厳はもはやなく、ここと一様の闇が日本のあちこちに散在しているために、夜の学校というものはありふれた一空間になってしまった、そのどれもが。

 しかし、心地悪いわけでもない。電灯的となった闇からは“心地良い他者性”も感じられるのだ。高層マンションのそれにも似た微かなザワツキは僕をウットリさせた。とりわけ傍らでしゃがみ込んでいるピーチの呼気が優しく闇を乱す。

 彼女は夜警が巡回してやしないか、と気を張っていたようだが、ここまで来てもそれらしい光がない事でようやっと落ち着いたようだ。だが、学校内中心においても“ラジオな天使”が暗示した残りの仲間とやらも姿を現さなかった。

 “草馬高校”はほどなく見つけられたのだが、夜中まで待つ事にした。それぞれ時間を潰して、現在およそ二十三時だ。果たして予定通り忍び込む事になったはいいが、“彼の女”以来ピーチの虹傘はウンともスンとも鳴らなくなり、高校のいつ何処へ行けば残りの二女へ出くわすものか、さっぱり手掛かりはなかった。

 「僕は丸い石みたいなものだと思うよ」

 僕とピーチは探しあぐねて休憩していた。体育館らしき正方形で、コンクリートの渡り廊下がぐるりを囲んでいる。そこに二人して腰かけていた。

 「なんで動いているのかしら」

 ピーチはさも吸いたそうにトントンと煙草ケースを指で叩いたが、名残惜しそうにしまった。

 「少しくらいなら見つからないと思うよ」

 「そうかな」

 ピーチははにかんで、

 「じゃあ、一本だけ」

 早速火を点けて、一服、吸って吐く。

 僕は灰色の吐息が好きであるから、半ば自身のためでもあった。熱い煙が彼女の疲れを和らげていく。

 「聞くの忘れてたけど知ってたんだね、“韜晦天使”のこと」

 僕はこっくり頷くしかなかった。

 「特に隠すってわけじゃなかったんだけど、言いそびれて……」

 「ふうん」

 「話を合わせているんじゃないかと思われちゃうと思ったから……」

 「ふうん……」

 ドキドキ心臓を波打たせて、僕は横目で窺う。スパスパと煙草のペースが早くなっている彼女。嫌われたらどうしよう、せっかくの“無害な関係”が壊れそう。嫌われたら、彼女の甘い煙も苦く感じるのだろうか。ケンカになったら勝てるだろうか、もし他の男を呼ばれたりしたらどうしよう。僕の生活なんてあっという間に踏みにじられてしまう。でも、ピーチはそんな人間である筈がない。仮にも僕自身が“無害な人”と認めたのだから信頼しなくては……、ピーチも自身も。姉さんもそう励ましてくれている。

 ピーチはこんな実に馬鹿げている僕の恐れなど全く知らずに、コンビニの袋をガソゴソとした。

 「まあこれ飲みなよ。怒ってなんかないよ、別に」

 オレンジジュースを差し出す彼女。僕は信じていた。

 「アップルぐらいなもんだよ、年上なのにあたしの訳分かんない話に連いてくるのは」

 「ごめん」

 僕は心から謝りたくなった。

 「いいって。たいした事じゃないし」

 真剣に謝るのは、ピーチが“無害な人”であるからだ。もし僕がピーチの身になったら、きっと気分を害してしまうと思う。“無害な人”というのは雰囲気にとても気を配る。それは“カタルシス人間”の醜さや図々しさを怖れ憎んでいるからだ。二度と人前で恥をかきたくないのだ。

 笑って許してくれるピーチは僕なんかとでは比べようがないほど成熟している。カッコ良かった。

 「ところで、どうする。これから」

 空き缶に吸殻をねじ込んで、ピーチは夜空を仰いだ。

 「そうだね。外に居ないなら校舎内かな」

 「中かあ」

 アタリメを唇から突き出して眉根を寄せるピーチは足をバタつかせた。

 「う?ん……セキュリティーってやつとかさ、そもそも鍵がないじゃん。だから入れないんじゃないの、やっぱり」

 僕は一気にジュースを飲み干した。喉の潤いを受け取って腹部が冷たさで満ちる。

 「じゃあ今日のところは帰るかい」

 勢いではあったが、僕はおずおずと切り出した。

 「どうしようか……」

 ピーチが伸びをした瞬間、背後から物音がした。二人は硬直した。続いて矢継ぎ早に、低い響きのくぐもった音が鳴り始めた。

 度肝を抜かれた二人は呼吸を合わせるべくもなく、慌てふためいて荷物を掴んでプールの影に全力で走りこんだ。

 お互い気取られないよう喉を絞って気配を探るが息苦しくて仕方ない。

 「……警備員」

 ピーチは煙草のせいで、僕は運動不足のせいで、ちっとも息がつけない。脇から覗くが誰もいない。

 妙である。僕は血潮うねる頭でひたすら考えようとした。けれども、酸欠の渦巻きしか思い浮かばなかった。

 「明かりなんか……」

 うずくまっていたピーチは汗を拭い、息を整えて言った。

 「……見なかったよ」

 潜めた声で立ち上がると、腰に手をやって探る目つきをした。

 「僕も……。ああ、全力で走ったの、何年振りかなあ」

 耳を澄ますと物音は止んでいた。聞こえない距離かもしれなかったが、僕らのいるプールの角と先刻座っていた場所とはたいして離れていない。それに、辺りはシンとしている。耳につくのは自らの心臓エンジン音だけだった。僕は最後に深呼吸して、

 「もしかして別の入口から入ったんじゃ……。僕らが座っていた所、多分南口だから。正面の入り口とか」

 「でも、戸締りの音しなかったよ」

 目を細めて、ピーチは髪を手櫛した。甘い草いきれが匂う。淡いピンクの唇を舌で湿らすと、星明りにラメが輝いた。

 僕は頭を切り換えて、同じく目を凝らし体育館を見遣った。闇の帳を被った建物の南側面が見渡せるのだが、やはり警備員が持つような光源はちっとも見えない。閑かに眠っているだけである。

 十メートルほど踏み込んで再度凝視してみる。足許で虫が鳴り始め、向こうの車道をヘッドライトが過ぎていく。あのくぐもった物音はやっぱり聞こえない。確かに体育館の壁越しに聞こえたように思える。

 「あたし思うんだけど」

 ヒソヒソと話す。

 「あれってボールの音でしょうね、多分」

 確かに。バレーボールより重く、下校時に嫌というほど耳にしたあの音だ。

 「バスケットボールの」

 “カタルシス”な輩のお家芸とでも称すべき、忌々しくしんどいスポーツであり、学校時代どれだけ泣かされたものか。放課後ダンダンとボールが鳴るだけで、無意味なプレッシャーを感じていたぐらいだ。

 真夜中巡回の誰かが気まぐれで遊び始めたなぞと種々の因子が考えられはしたが、それならせめて電気を点けるのではないかという思惑を願いつつ、二人は再び入り口に近づいた。

 音は死んでいる。人の気配もない事を確認しつつ、僕らは扉をずらしてみる。重量なのか施錠されているためか、扉は動かなかった。僕はほっと息をついたが、念のためもっと力を込めて横に引いてみた。

 「あっ」と、何だか期待通りといった歓声をピーチは上げた。

 「やった、あいてるじゃん」

 内心開かなくても良かったなあ、などとおっかなびっくりの態であやふやに頷いた僕は、わずかに口を開けた錆の瞳から体をこじ入れた。バリバリとサビくずが剥がれ落ちた。

 真っ暗である。体育館独特の土埃りやら汗の匂いやらが鼻を迎える。学校怪談の絶えない体育館はボールが飛び出てくるでもなし、たとえたった一つだけボールがしまわれてなかったとしても、暗闇の只中、申し訳ないが気づいてやる事ができない。

 背後から探っていたピーチに合図すると、用心深く滑りこんで扉を閉めた。ギチギチと生理的にも情況的にもふさわしからぬ雑音をだましだまし丸め込むと、ピーチの手元が真っ白鮮明に光を放った。懐中電灯は文明の力だね。

 「少しくらいなら大丈夫だよね」

 あやふやな物言いでピーチはひとまず光の円を左右に振り分けた。

 左端の舞台、右端の正面入口へと光は迅速に飛来していったが、その中間には見咎めるものはなく、無声に輝く懐中電灯だけがギラギラとうるさかったのだった。

 果たして、まだ見ぬ仲間の仕業なのだろうか。短絡に思い込んでしまったが、真夜中の体育館で弾む音と、僕らが信じ込んでいる例の“彼の女”とを結びつける要因は実に乏しく、実に怪しいものである。傘を差して、声が聞こえる。これ自体奇々怪々ではないか。

 額を押さえて僕はよろめいた。最近富みに現実感が薄れている気がしてならない。或る作中人物の言を借りれば、「何もかもリアルに感じられない」。楽しい時間がやたらに空虚然としていたり、将来への危機的思慮ですら鈍くなる一時が頻々と起きているのだ。傘が話し掛けるなんて馬鹿げているし、それに従って夜中の学校に来るなんて異常ではないか。ピーチもどうかしてる。この場にいることも、本当のところ全くのデタラメなのかもしれない。ピーチなんて人物は実際存在していなくて……なんていうのは少々飛躍しすぎかな。

 とはいえ、裏を返せばそれだけ不可思議な事象とやらが具現し始めたのだ。偶然は必然の積み重ね。“ミスティ”の神託とピーチという仲間、そして夜中のバスケットボール音もどこかで一線に結びつく筈なのだろう。『重力解放装置』が実在するならばこんなロマンティックな事、現実世界にあり得ようか。真夜中の学校に来ている事もそう考えれば、俄然心がときめく。

 懐中電灯に魅せられつつも、僕は控えを持ち合わせていなかったので、ピーチの背にくっついて探索を再開しながら、そんな思考をしていた。ほどなく体育館を探し終えたのだが、手掛かりは皆無であった。

 それにしても埃っぽい。殊にフロアの中心はまだしも端に行くと、うっすら山を築けるほどに降り積もっていて、生徒らが掃除した痕は認められなかった。舞台上も袖も平均台も半ば白く、全体が砂漠然としているのだ。正面入口にある下駄箱も同様に白粉を被り、置き靴の類いも見られず、運動部部室にも当てはまった。要するに生徒らの擬似生活感が欠落しているのだ。

 二階もある。ちょうど正面入口の真上に回廊式ギャラリーが位置している。主として卓球台が据えられていて目ぼしいものはない。両側から伸びる通路は壁伝いに舞台の上へと続き、小さな扉をくぐると昇降階段を使って袖に出入りができるようになっていて、これも僕ら以外の足跡はない。

 僕は懐中電灯を借りて、舞台上からもう一度フロアを照らしてみた。気に掛かる事がある。中心は薄ぼんやりと埃が散っている程度であるが、一方隅っこを注目してみると壁の縁に沿って白い山が形作られていた。どこかから隙間風が入ってきて、吹き溜まりになっているのかしらん。

 ふと気付いて、その白い山を光でなぞってみた。埃の山はうねりながら連なっていたが、やがてフロア中心へと消えていく。その辺りだけ埃が薄くなっているように思える。光を上に持ってきて、そこの壁を照らしてみると、なんのことはない単なる壁だ。

 溜息をこらえて、念のため続きから壁をなぞってみたが無駄に終わった。しかし、下ろしかけた手許を取りピーチが何やら光を持っていく。先刻の壁である。やはり発見はない、と思うのだが、ピーチは前に乗り出して引き続き目を凝らしている。

 「あそこ調べたっけ」

 ピーチに光を返すと、彼女は埃を立てぬようソロリソロリと向かっていく。

 例の壁に近づくに連れ、二人の歩調は早まった。次第にピーチが見つけたらしい何かが僕の目にも明らかになっていく。

 それは周囲の壁に擬せられた扉だった。懐中電灯のみでは見過ごしたものらしいが、確かに当初フロアを歩き回った時には気付かなかったものだ。扉は同じ色で塗られた上に取手がなく、よくよく照らしてみると引戸のようで、その取手は埃に占められた壁と同じく白っぽくなっている。これで見逃したのだろう。

 しかし、変である。わざわざ見誤るものを学校に設置するであろうか。もしくは以前使われていた事があった。器具庫か何かであり、生徒が大事故を招いた。それで埋め潰されたのかもしれない。だとしたら出入りできるものか。

 僕は気を遣って、率先して汚れた取手を掴んだ。

 「埃飛ぶから、少し離れた方がいいよ」

 幾分緊張した面持ちでピーチが隔たると、僕はソロリと力を込めてみた。

 扉はさしたる抵抗なく、最初は渋く、最後はスラっと道を譲った。煙が舞って思わず咳き込む。すかざず、ピーチは扉向こうを裁くように照らす。

 「すごい……。部屋になってる」

 目をこすりこすり注目する。

 「なんか、中……綺麗だよ」

 (君の方がもっと素敵さ)などとどうでも良い冗談を咳き込みつつ、目を凝らした。

 ピーチの言う通り、湿気を増したこの目にも館中のどこよりも整然としている事は充分に分かった。金属製の籠にボールが詰め込まれていたりと本当に器具庫の様相で、文字通りの整然ではないけれども床の埃具合は明白に異なっていた。丹念に掃除されたわけでもなさそうだが、それでもフロアと比べて見栄えが良い。ピーチはその事を言っているのだろう。

 キョロキョロして踏み込んでみると、他にも沢山の道具が据えられていた。相変わらずの埃っぽさは残っているとしても、館全体の比ではなく、ひんやりとした地下の匂いが立ち込めている。

 「物置みたい」

 ピーチは落ち着かな気にぽつりと言った。

 「運動用マットか。籠もある」

 足許には他にも金属片やらが転がっているが邪魔にはならなかった。左右を様々な器具が占め、二人はその真ん中を進んで奥へと行った。ちょうど通路のようである。器具には埃が積もっていたが、通路にはさほど見受けられない。誰かが居る、もしくは通っているのだ。僕は舌が渇いて唾を飲み込んだ。うまく飲み込めない。大丈夫だよね、姉さん。

 ピーチの照らす先は木製の壁でまたもや行き止まったが、無言で光を落としていくと、彼女は下に伸びる階段を見つけ出した。

 「待ってて」と僕は制して、物騒に嘘の井戸を演じているその大口にかがんで様子を探った。縦横二メートルほどだろうか、四角形をしていて地下へと続いていそうだが、闇が垂れて判然としない。光を借り改めて底を掘ってみる。

 案外浅いものだろうと高を括っていたが、光の届く限度にはまだ段があって、降りてみない事には進退極まってしまうようだ。一段目に触れてみると、思った通り埃はさほど積もっていなかった。階下に何者かが居そうだ。

 「先に降りてみようか」

 見たところ階段は充分に体重を支えられそうだったが、薄闇を下っていくのには幾ばくか狭いし勾配が早いだろう。いかにも学校の地下倉庫、埃を被った体育館の隅っこという趣なのだ。

 ピーチは少し考えて、首を振った。

 慎重に、ソロリソロリと、僕は一段目に足を掛けて、尚も踏み締めた。大丈夫そうだなと確認し、僕とピーチは冥界の牢獄を訪ねるヘンゼルとグレーテルみたいに、息を潜めて、下降していった。

 傾斜するデコボコの喉は入り口から覗いたのと大分違って、何より高さが足りていない。頭をぶつけないように心細い発光物体を助けとして下っていくが、中腰も加わると早々と息が上がってくる。階段と天井が同じように下降していく。

 階上ではそこそこの明るさがあった。都会につきものの明るい夜というやつだ。星の判別つかないほどの様々な灯火が人の街に四六時中点いている。お陰でうら寂しい夜の体育館にも、そのおこぼれが降っていたのだが、それも階段を下るまでである。今、光は僕の手中にある他は皆無であった。

 この希望が潰えたら真っ暗に取り残されて、淋し気な闇に喰われる。電気の残照にある街の夜、僕らが切り開いている地下の封鎖された夜。二者は同一であるがゆえ、属性の異なりが際立っているように思う。前者は自然な夜だ。後者は不自然な夜である。光を閉ざせば闇ができ上がるのは当然だが、闇と夜は違う。

 この階段に押し込められていたような闇は、真夜中において夜だと思える。封鎖された感のある器具庫のずっと奥、この階段に淀む闇は今、人工的に封殺された夜なのである。それゆえに光も人の営みも届かない孤独な夜の分身なのだ。

 明るい夜と閉じ込められた夜、どちらが僕にとっての夜なのかと思惟すれば、僕らの進む今の闇である。人知れず花咲ける地下の闇を光で挫きながら、僕らも取り込まれようとしている。人々に訪れる普遍的な夜は、僕の感性も幻想も育んでくれない。誰もいない誰も想わない端っこのわだかまりな夜にこそ、成長と純真が埋もれているのだ。

 思惟を促す夜は自分と向き合える闇なのであり、そのわだかまりには光闇的の双方とも両義的に包含されていて、時には精神を慰め、時に苛む。自身の理想を描くキャンバスとなり、汚す泥ともなる。それが街の夜に欠如している。属性の異なりとはそういう事だと僕は思っているのだ。

 ピーチも少なからず空想しているのだと思える。彼女も“無害な人間”らしく静寂の中で自身を振り返り、また理想を仰いでる事だろう。彼女も痛んでいる。

 だから、冥府行を下る二人は“神曲”にでも登場するような質疑の闇に包まれて無言であったかもしれない。不規則な気息が次第にいや増してゆき、キリキリと腰がぜんまい仕掛けみたいになってくる。この先に誰がいるものか、どんな事態が待ち侘びて眠りこけているのか。期待が膨らむとともに「自分は何をやっているんだろう、何か勉強しなくていいのかな」という自身への問いかけも連呼されて苦しい……誰か助けてよ。

 懐中電灯がついに段差のない床を照らし出した時、二人は汗をかいて呼吸も乱れていた。ピーチが降りきるまで丁寧に足許を救ってやってから光を頭上の入り口に向けると、階段は三十段にも満たなかった。神経質に足場を確かめていたとはいえ、妙な錯覚である。もっと深く潜った気がしていた。ピーチも眉根を寄せて、しばし見上げていた。

 呼吸を整えながら、新世界に用心深く光を射してみた。

 途端、

 「珍しいよ」

 僕らじゃない声が、

 「……どういう風の吹き回し」

 女声が奥より問い掛けてくるではないか。

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