23 クレープの見る夢 3
あっという間に時間が過ぎて、2階の窓から見える空はもう真っ暗だ。
「元気でやんなさいよ!」と笑顔の叔母と別れてから数時間が経っていた。その間ボクは一ノ目の案内で学校中を見て回り、色々と教えてもらった。
第1校舎から第4校舎まであること。校舎群を中心として西にグラウンドと体育館と部活棟があること。同じく東寄りに高等部と中等部の宿舎があって、それに挟まれるように神聖な教会堂があること。その裏手に第1塔と第2塔があること。
塔の話が始まるまでは寄宿生活についての真面目な事柄だったけど、なぜか入り口がないという第1塔にまつわる怪談と妙なシンボルマークを持つ第2時計塔――時々立ち止まっては手振りを交えて解説をしてくれる彼の話はとても面白かった。大げさなアクションでのけぞったり、一人二役で目撃談を語る様子は演劇部員もかくやと思わせるもので飽きなかった。
そうして時々脱線もしたから全部を回れたわけじゃなくて、時間切れになってしまったのだけれど。
日が暮れる前に宿舎へ入って引っ越しの荷物の確認と先生方への挨拶を済ませると、もう19時を回っていた。19時が夕食の時間になる。宿舎1階の食堂へ集まったクラスメートに自己紹介を済ませて、過ごし方というか作法を教えてもらった。食事と同じように入浴も学年別で分けられていて、今やっと自室に戻ってきたところだ。
宿舎2階の角部屋がボクの部屋になっていた。東側なので日のあたりは良さそうだ。窓を開けると火照った体を包むように夜の冷気と湿気が流れ込んでくる。網戸には大きめの蛾が2匹と、どこから飛んできたのか精霊バッタがピタッと留まっている。さすが田舎というところか。
本来は相部屋らしい。2~3人で協同するところを、ボクは一人であてがわれている。3つの勉強机と折りたたみ式の寝台が据えられていたけれど、掃除が行き届いているようで埃っぽさはなかった。テレビはないけどラジオがあったので点けてみたら、音楽と夜のニュースが交互に流れた。ラジオの上に精霊バッタが止まっている……。
さっき気づいたのだけれど、ここは木造校舎なのだ。今どき珍しいね。床も壁も結構傷んでいるようだけど、鉄筋にはない弾力がある。ふしくれている木の目や板の隙間から暗闇が覗き、そこから空気の流れを感じる。試しにしゃがみ込んでウロのようになった小さな木の目を覗き込んでみると……何もなかった。けれど、キチキチという音が聞こえる気はした。それは木材の温度変化による伸縮かもしれないし、古くなった木に住みつく虫の気配かもしれない。老建築に潜む暗闇……少し怖い気もする。
暗闇を覗いているところで、誰かが部屋をノックしてきた。
慌てて立ち上がりドアを開けると、
「入っていいか?」
一ノ目だった。
「まだ散らかっているよ――」
「おじゃましま~す」とドアノブに掛けたボクの腕をくぐって、彼が滑り込んでくる。床を覗いていたことが恥ずかしくて、後ろめたい気になった。子供みたいだな。
「荷物が整理しきれていないのな……明日手伝おっか?」
「う~ん、特に重い荷物はないから大丈夫かな。服とか雑貨とかだから。適当に座ってよ」
デスクチェア(といっても古い木椅子だけど)に腰掛けた彼は赤いジャージを着て、髪がまだ濡れていた。風呂上がりの清潔な香りがして、修学旅行を思い出した。
「これ差し入れ。購買の自販機の場所分かるよな?」
彼が差し出したのは紙パックのスポーツ飲料だった。ありがとうと言って受け取った。
「うん。販売所の裏の廊下だよね。薄暗くなっている所……」
「病院の待合所みたいだよな。暗い廊下に誘導灯の緑のあいつ……婆ちゃんが入院した時のことを思い出すよ」
誘導灯に描かれるピクトグラムの人間。精霊バッタと同じく緑色。同色の紙パックに口をつける一ノ目。口を開けた紙パックは精霊バッタに似ていた……精霊バッタに口をつける一ノ目。
「長い待ち時間でさ。何を待たされていたかは忘れたけど、とにかく手持ち無沙汰でさ。トーストの自販機で色々食ってた――購買のところにもトーストあるぞ。一度食ってみな」
「菓子パンの自販機なら知ってるけど、トースト?」
「知らない? ドライブインとかバッティングセンターみたいな古い所に置かれててさ、もの凄くアッチ~の。2~3分加熱すると出てくるんだけど、銀紙の包みがバカみたいに熱くて素手で触ると火傷するほど」
「なにそれ? ちょっと食べてみたいな」
お腹が減ってきた。夕食時は自己紹介だの緊張だのであまり箸が進まなかったから、出された料理もイマイチな感じがした。ほら、よその家で出される料理って口に合わない事があるよね? マズイってわけじゃないのだけれど違う家庭の作法に馴染めないから、黙々と食べて早く食事を終わらせたい感じ。話題もないからなおさら萎縮してしまうのだけれど。
一ノ目と同じタイミングで、ボクはスポーツ飲料をゴクリと飲んだ。なんとなく無言になる。
「……時計どこ?」
聞かれて、ボクは寝台に寝そべった。枕元の目覚まし時計は21時半ば。
「消灯まで30分あるな……あ、消灯時間のこと言ったよな」
「22時でしょ?」
「よし、時間はあるな……」
~~
「到着だぜ」
一ノ目と一緒に1階の自販機前へ来た。トーストの話をしていたら腹が減ったのだ。寝る前に何か食べたかった。
廊下突き当たりに購買店があって、その角を折れるとちょっとしたスペースがある。いくつかのダイニングベンチが置かれ、明かりの乏しい自販機が5台ある。どれも古びていた。ボクらの他には誰もいない。
一ノ目は端の自販機へ行った。無印というのかな、商品や企業のロゴがどこにもない相当古びたものだ。塗料が剥がれて板金が見えている。使えるという事は、見た目に反してメンテナンスは行き届いているのかな。
「どれにする? チーズと小倉とコンビーフ。どれも250円。おごってやるよ」
「貰ってばかりで悪いなあ、今度お礼をするよ……じゃあチーズをお願い」
一ノ目が注文ボタンを長めに押し込む。大分使い込まれているようで、プラスチックのボタンはひび割れている。そこにネームペンで手書きの「チーズ」という紙が挟まっていた。字は汚い。失くなってしまったネームプレートを補うためだろうか、相当に古い。手が離れると、ちょっと下の「加熱中」プレートが赤く点灯し、グウ~ンと機械が動き出した。
「俺はど、う、し、よ、う、かなあ……ハンバーガー!」
隣に青一色の似たような自販機があり、こちらはハンバーガー専用のようだ。初めてみたな。ウィンドウには3種類のメニューが飾られている。これも同じようにググ~ンと作動する。
「出てくるまで少し待つ……」
やがてトンと音がすると「加熱中」が消えた。一ノ目は取り出し口に架かっているトングを使って、中から銀紙の包みを取り出した。
ボクは用意していたハンドタオルでそれを受け取るとベンチに腰掛けた。包みは平べったくて、彼の言う通りかなり熱い。トーストで焼くのとは少し違うツンとする匂いが興味をそそった。早く開けてみたい。
一ノ目も戻ってきた。両手でハンバーガーの箱をお手玉している。やはり熱いらしい。
「そのアルミは結構固いから指を切らないようにな。こっちなんて熱で箱が……」
見ると、ハンバーガーの青い箱は紙でできているようだね。彼の膝の上でクリャリと潰れたようになっていたので、笑ってしまった。
「そっちは何味?」
「俺のはビーフバーガー。指気をつけろよ」
爪の先で摘むようにして銀紙を破いていくと、そこから熱い蒸気とマスタードの香りが出てきて顔に当たった。ボクは普段辛子の類いは塗らないので、この熱せられた中にあるツンとした匂いが珍しかった。思いのほか包みが鋭い。
ハフハフとかじりつく一ノ目に続いて、ボクもトーストをひとかじり。パサパサとしているが、蒸気のせいか表面が少し湿っている。ふた口かじると、マスタードの香りとともに薄切りのハムと溶けたチーズが舌に乗る――正直に言えば味は大した事はないんだ。けれど、薄暗い自販機コーナーとレトロな味付けは、ホントの味以上に味わいがあるなあと感じた。
こうして誰かと夜中に買い食いするなんて、しかも学校でなんて、いままでかみ締めることなんてなかった。それが何だか脇腹をくすぐられるようだった。明るいコンビニとは違う。密やかで、秘密の空気が漂っている感じだ。
食べ始めれば黙々としてしまう。空腹も相まったボクは夢中になってレトロトーストを平らげた。今度からトーストにはマスタードを塗ろうかな。
熱さに慣れてしまえばすぐに食べきってしまい、ケチャップやバターの匂いだけが残った。一ノ目が買ってくれた缶ジュースを新たに空けつつ食後の一服。自販機の熱のせいもあって、ジワリと汗がにじんだ。少し眠気も感じる。
ボクらは特に話さずボーっとしていた。転入初日の疲れで、ボクはイイ気分になり始めていた。ブヌーンという機械音に耳を傾けている内に次第に眠くなる……そこで、一ノ目が話題を作った。
「今日は色々案内したけど話し足りないこともあるんだ。結構時間食ったからな、ネタが尽きないんだよ。ここの創立が古いから昔から伝わる不思議な話はたくさんにある。俺の把握していない話も……」
ボクは耳を立てた。目を閉じてはいたけど、その声のトーンがわずかに変わったような気がして。
「俺ってさ、結構不思議系な話ってのが好きで、よくクラスの連中から聞き込みするんだ。夕食食った時に奇寺っていうやつがいたろう、ツンツンヘアーで背が高いヤツ。あいつから聞いた話なんだが」
ボクは目をつむっている……。
「第4校舎は教えたよな。廃屋になっているところ。基本的に出入りは禁止されているんだが、逆に動物が住み着いててさ、それが余計に不気味というか。或る野良猫もその例なんだが、奇寺から聞いた話――」




