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2 始まり

 50階を数える超高層マンションのとある一室で、僕はビル林の向こうを眺めるのだった。午後6時の夕暮れは穏やかな風に味付られて、昨日と変わらぬ刻を感じ取らせるのだった。夕立の匂わない夏の風はもはや秋場の香りすら秘めているようで、それが何とも物悲しく、僕の居を夕闇の陰で浸すのだった。

 超高層マンション49階という空中庭園には、僕だけしか住んでいなかった。いわゆる緊急時というやつを入居者は憂い、より階下へと下っていくのだ。30階を箱型上下装置で過ぎたなら人はぷっつりと途絶えるのであり、そこから上階というものは、いわば僕の箱庭であった。地上に降りたてば、せせこましく、腐臭のする、集団化というやつの毒気が否応に僕を襲う。しかし、空中庭園に来たれば、そんな地上の営みは聞こえてこない。人もなく音もなく、虫すらも近づかない居の窓を開け放し、ベランダに椅子を設置して街中の夕日を見つめたれば、そこは現実という外枠に囲まれた幻想劇場なのであった。

 感覚に押し寄せる街、都市の物音は不快である。引きかえここは時折安眠を覚まさせる航空機類の音と、突風に吹き飛ばされた哀れな子虫の叫び声しか聞こえず。かといって、無音の環境成るものも僕の心を失望させるのである。一日の死線人生を生きた疲労を癒すのに、夕日だけでは役者が揃わず、よって幻想劇場は開幕しないのだ。

 他者としての物音が僕を落ち着かせるのに入用なのであった。日々目にする邪悪な他人そのものでなく、他者としての物音、他者性を匂わす物音。僕は他人が嫌いである。街中のいつ頃、素行不良な人間に暴力を振るわれるのか、金銭を脅し取られるか、痴漢と疑われるか、悪徳商法に捕まるか、邪悪な映像を目にしてしまうのか、そんな事ばかり懊悩して、街中に足を踏み入れるのをためらう。最近の人々、特に同世代の人間は、人間たる礼儀をわきまえぬ、人の面を被った獣であるから、僕は見ためで人を判断するし、余計な親切も施すつもりはさらさらない。

 古きを知らず、肥大化した自我を抑制する術を知らぬ、流行に毒されるがままの、これら人間を「カタルシス人間」と呼称する事にしている。

 けれども物語性に属性を傾ける人間には友好的でありたいと思っている。物語の重要性を個々なりに消化し、暴力や流行に訴えぬ、礼儀を最低限わきまえた人間。といって、仲良し集団に属する事でも、趣味について公に意見する事ではない。それは歴としたカタルシスなのである。

 優しく穏やかではあるけれども、厭世観を主とした視点を持つ、度の過ぎた他人干渉を自ずと嫌う、そんな人間。とある空間を回顧し、憧憬に思いを飛ばし、それらを自らの属性に合った幻想に組立て、実生活の変装に役立てようとする人。僕の目指しているそれらの人々を「無害な人・無害な奴ら」と呼称するのであった。心に光的な思惑を持ちながら、古傷のため他人非干渉をとる人。「無害な奴ら」に共通する事を挙げるならば、幻想を携帯していることであろうか。

 僕は無害な奴で居たいと思う。自身の純潔のためにも、誰かを虐げないためにも。そして、僕の持ち合わせている幻想というやつは、この時刻が最も性に合う。どこで、いつ覚えたものかも知らぬ落日に溶けゆく幻想は夕闇の幻想であるところの「夕闇節」と呼称しているものに尽きた。

 人々の頭上で僕は、闇の中、眠りにつくだろう。心地良い他者性であるところの種々の機械に頼りながら、真夜中であろうと夜明けであろうとも、音の連続運動に囲まれて、ふといつもながらの疑問であるところの「真夜中なのにうるさくしていて、いいものかしらん」というパラドックスに憑かれつつ、窓を開け放して明日の心配をするのだ。秒針刻む中、ベランダに身を潜ませ、こう願いもするだろうか。

 「朝が来なければ、良いのに」と。

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