17 反復の車刑裁判 妄執
『汝、当地の粉碾き屋ゲオルク・シュミットの娘エリザベータ、別名果実は、以下の通りに大罪を犯した魔女との申し立てである。即ち――
一、夜中にランタンを持たず外出した。悪魔との密会の疑惑。
二、墓場暴きである。埋葬品を持ち出し、死んだ子供の遺骸を悪魔に捧げた。さらに悪魔に捧げた遺骸を次のように汚した。
イ、遺骸の手足を塩漬けにし、妖術の道具に仕立てた。
ロ、悪魔との夜会において、その遺骸を料理として差し出した。
ハ、その遺骸の手首から作った粉で黒魔術を行い、人畜に災いを降り掛けた。その際、手首を細かく砕くために自家用の臼を用いた疑い。
ニ、また産婆を装い、死産した嬰児を盗み、悪魔に捧げた。また、生きた嬰児を自ら殺めた。
三、墓暴きとともに狼へと化け、人を襲った人狼である。死傷者を出した。
四、偶然刑を偽証した疑い。妖術によって数々の処刑具に細工した。剣を鈍らせ、綱を弱らせ、薪に水を吸わせるなどして、処刑を妨げた。
五、また神罰を偽証し、しかして、神の啓示を密かに騙った廉。神罰によるものとして信徒らを欺き、かつ信仰に傷をつけた――』
五つの人影から発せられる男声は合唱するでもなく、誰から聞こえてくるのかも分からない。僕らがいる壁際と人影の立つ場はたいして離れていないが、彼らの人相は見えない。真っ黒な影が燭台の誇大な明かりに照らされて、何事かを初めている。舞台と観覧席ほどに、存在明度に差があった。
「これは裁判ですのね」
覗きこんで匂いを嗅ぐグレープは、鼻の頭を撫でていた。
「イヤね、もう、ニキビができてしまいました。油っこい空気のせいですわ」
僕の腕からスルリと抜けだしたグレープは指さした。
「センパイ、お分かりですか。あの五つの影が審問官で、左の三つが証人、一人の立たされ坊主が罪人です」
彼らの姿は今やはっきりと像を結び、真っ黒な石のようにもガラスのようにも思えた。楕円を引き伸ばしたような形を成し、体を震わせている。重心の定かでない奇妙なバランスで立っている石硝子は、白煙のいや増す瘴気に渦を作りながら、震動発声の「裁判」を続ける。
『――汝は黒魔術によって善良なる者を謀い偽証させ、無実なる者を処刑に追いやった。その際、処刑された者の血を吸った草を用いて毒薬を作った疑い』
『月夜に草を擦り潰すのを見た』 『わたしも見た』 『刑に処せ』
『――車刑に処す』
グレープの言う審問官が罪状めいたものを言うと、三つの証人群が男女入り混じった気勢をあげる。
『――悪魔の軟膏を用い、空を飛んだ廉。また、星を翳らせ嵐を呼んだ』
『軟膏を体に塗るのを見た』 『わたしも見た』 『刑に処せ』
『――輻刑に処す』
『動物に変身し角の悪魔に14ヶ月の淫らな誓いをたてた。箒を好んで数え、またがった。一方、針には触われなかった』
『針を刺したのに無傷だった』 『わたしも見た』 『刑に処せ』
『――腕を落とした後、車裂刑に処す』
訳の分からぬまま傍聴する僕らの周囲にも白煙が増す。まとわりつく白煙は目の前のグレープの頭、首を一層包んでいるように見えた。無数の蝋燭による加温で汗が止まらず、タオルで拭うが、蝋が張りついたかのようなベタつきが残る。
『――祭りの四つ辻小芝居で悪魔に扮し、忌まわしき愚者の祭りを呼びかけた教会転覆の疑い』
『甥っ子が司教に金を取られた』 『こいつのせいだ』 『刑に処せ』
『――市中笞打ちの後、太陽刑に処す』
五つの審問官が大テーブル越しに裁く影エリザベータは被告で、味方はいない。繰り返される疑い・罪状・処刑宣告は朗々とした声だったのだが、徐々に妙な反響を生み出していた。早口になっているような気もする。詠唱という古典的な劇魔術が場を支配し、僕らの反撃を許さなかった。
『――修道女ピュセル・ロメをたぶらかした。そのため主への祈りを誤り、有罪となった』
『拷問中聖女が嘘をつくわけがない』 『みんなこいつだ』 『刑に処せ』
『――杭打ちの後、渦巻刑に処す』
渦巻刑……僕の姉さんも確か……。
『――ピュセル・ロメに扮し、かねてより反目する同職組合、細民、クラン、自警団をけしかけ、故意にフェーデを煽った。そのため、調停人の一人が死んだ』
『どさくさに紛れてこいつが刺した』 『背後からだ』 『刑に処せ』
『――腑分けの後、ネブカドネザル・アンドロスフィンクスの剣により首を落とし、運命輪刑に処す』
ボクも見たんだ、押し出されてきたへーシュタットの仕立屋のゲスワインの脇から腕を差し込んで、調停人を一突きさ。あいつは異端検察官で、ピュセルを裁いたんだ。それを恨んで――。
『――呪い女に扮し、不義の子を孕んだ娘をつけまわした。赤子を池に投げ込み、死産と偽った』
『悪魔と媾合させた』 『大嘘つきだ』 『刑に処せ』
『――砥石の首輪をかけた後、灼熱の火ばさみで体をつまみ、螺旋刑に処す』
砥石を盗るに足る女エリザベータ。この影の彫刻は形を保てなくなっているようだ。そこそこ真っすぐだった体が芯を失ったようにフニャリとし、大きくささくれだっている。四肢が生えたようだ。そして背中から発光し、見る間に膨らんでいく。電球の駝であり、これは螺旋刑だ。
『――死刑吏を言いくるめ、家畜の皮剥ぎを横取りした廉』
『不名誉な男をたぶらかした』 『不浄だ』 『刑に処せ』
『――愚者の仮面とともに晒し柱に縛り付け、後に螺旋刑に処す』
反響する審問は複数的に聞こえ、白煙を逆巻きながら太い音になって耳を打った。グレゴリオ唱歌にまとわりつくノイズのような音が、三証人の発言から生じて不快に響き、まるでコンタツの鎖が鈴なりになっているかのよう。僕は首元を探ったが、見えてくるのは審問に映る影女の罪状ばかりだった。盗み、占い、嬰児殺、姦淫、偽誓、取り持ち、詐欺、脱獄、重婚……娼森において悪しき輩と企む影エリザベータ。その後ろ姿が、変容する発光駝の光線と蝋燭煙のスクリーンに浮かび、僕を熱していく。もう、グレープが見当たらない。
『――モリスコやコンベルソを率いて、風呂屋を不当に占拠した。その際、居合わせた兄弟団との間に闘争を招いた廉』
『男どもの親指を傷つけた』 『そこは歯のある洞窟亭だ』 『刑に処せ』
『――愚者のバイオリンとともに舌切、後に螺旋刑に処す』
駝の膨らみが全身を覆い尽くし、電球のようになった。かと思うと、音もなく滑らかに撚られて回転を始めた。発光を弱めて煙銀幕を薄くした事に幾ばくかの幻滅を感じたが、影女のアルヘイ棒は白光と地の石硝子を縒り合わせながら黒白螺旋していく。眼前のグレープが修道女の格好をしていた。これもまた黒白の対照により螺旋している。或いはそう視える。
――『黒白刑に処せ』 『兄妹刑に処せ』 『螺旋刑に処せ』
目をやれば、大テーブルの五審問官と脇の三証人もろとも細く伸び上がっていた。螺旋こそしていないが、アルヘイ・エリザベータへ吸引されて頭頂を差し向けている。溶けたチョコレートをみるような極度のストレスなのか、気の流れも変えて燭台ごと蝋燭を吸い込みそうだが、何を以って引きつけるのか、その原理は分からない。
――『月の軌道刑』 『貝殻刑』 『左回り螺旋刑』
激しく連呼される合唱ノイズは抑揚を伴い、黒・白・黒・白とリズムを叩くのだ。黒豚の群れに揉まれた荒野の聖人めいて、在らぬ幻視を白紙に書き込むヴィジョンが頭に響いて苦しい。白地・黒字……どうした事か、白紙を書き潰すそれ自体、黒白の螺旋じゃないか。何もかもが螺旋しているのか。
――『エゼキエル螺旋刑』 『ディオニュソスの杖螺旋刑』 『迷路踊り螺旋刑』
螺旋エリザベータは空気を吸い込んでいるわけじゃない。空間・像を吸い寄せているのだ。擬似女を中心に場が歪む、即ち歪像・アナモルフォーシスを気取っているのであり、従って体中がグニャリとする感覚に襲われ目眩がする。汗が顎から鼻へ遡り、審問官らと同じく頭を差し出してしまうのは、像が歪む事の矛盾みたいだ。立っているのにお辞儀をしている、前を向いているのに足許を見ている。折り畳まれたイコンであるところのイウダとハリストスの抱擁。
――『螺旋世界卵刑』 『螺旋砂時刑』 『錘螺旋刑』
後ろ姿の修道女グレープが貝殻のように捩れ、後方の僕に前方し、血涙を流している。苦しい凄絶な表情で睨みつけてくるが、僕の驚駭の叫びが上がる前に視界から消えた。なぜなら、僕も螺旋を貝殻していたのだから……。痛みもなく、と言って現実的な意識も薄れ、視界全体が融け合ったようなアナモルフォーシスの光景の中心に、エリザベータ・ベルヌーイが螺管していた。これが、グレープの言う“螺旋の領域”なのか。
『――螺旋刑』 『――螺旋刑』 『――螺旋刑』
対数 螺旋 ベルヌーイ
等数 螺旋 有平棒
『――螺旋刑』
銀の螺管を取り囲む 畸型の肖像 キルヒャーの望楼
円卓機関 機械を身に付ける楽しみ 螺旋と時計のアナモルフォーシス
『――螺旋刑』 『――螺旋刑』
自動人形の瞳を覗いてごらん 毛細金属の庭園に 『イクシオン・ヴィシアス』
海洋を眺めてごらん 人魚島を取り巻く大波 パノラマ畸形・アナモルフォーシス
書物を叩いてごらん アルキメデス・スクリューの都市的揚水 螺旋マイオグラフ
『――螺旋刑』 『――螺旋刑』 『――螺旋刑』
原初のカメラ 肉眼 外界と内界の狭間で渦巻く意識
双数単眼 不惑の少年 『単眼ニウス』
アリス ト テレスの弟妹譚 人生俯瞰の螺旋図は……
孤独な哲学者 哲学者な孤独は 鞄に隠した 少女の作り置き
取り出して視てごらん スカートを捲ってごらん 眼科医の署名にこうある……
『――ユートピスト』 『――私生児性』 『――ミスティフィカシオン』
『――螺旋刑』
矢庭に鋭い音が響いた。僕はハッとなった。雷霆のごとく脳内に轟く刺々しいこの音は、以前にも覚えがある。ピーチと出くわした時、草馬高校で姉妹を見つけ出した時、都合良くアラームする“韜晦天使”の囀りだ。あいつが呼んでいるのだ。
僕は変わらずそこに居た。体も曲がっていない。淀んだ空気と暑さとが一層汗を滴らせていた。巻貝修道女と化したグレープもそこに居なかった。依然、僕らは壁際を在りもしない傍聴席としていた。エリザベータを見れば、元の石硝子状に戻って大人しく裁かれているのだが、先ほどの狂おしい発光と螺旋ではない。時間が遡ったように、妄執裁判がやり直されていた。“韜晦天使”が狂熱から助けてくれたのだろうか。
いずれにせよ、妄執不断の裁判は不可解な力によって螺旋を生ぜしめるようだ。僕らの瞳に隠されている螺旋の領域によって……。外界・内界を分け隔てる器官・瞳の空隙に、僕らの形を保つ何かが在る様に思えた。それは眼に留まるだけでなく全身体に隠されている何かの秘密、僕らに残された唯一の個性・オリジナリティーへの道標のような、何か。
これは“世界真実の歌”の感慨とは違う方向を指している気もする。あの時の法悦は薄れてしまったが、“螺旋の領域”外の事、“ミスティ”の介入による別のヴィジョンなのかもしれない。
エリザベータ裁判は喧々と繰り返されていた。被告女は再び四肢を生やし駝を膨らませる筈だ。あの発光投影と我が身のアナモルフォーシスを望む気持ちも出てきたが、いや増す蝋燭香によって鼻孔が詰まりそうだ。喉も痛くなってきた。
グレープは目の前にいる。しかし、背を向けたまま一言も発していない。赤目のヴィジョンたる修道女は螺旋の魔術による彼女の本心かも知れない。感性過敏の彼女は深い傷心に陥っている。“重力開放”たる動機はそこに在る筈だ。優しいグレープ。
その肩にそっと触れると、グレープはバネのように立ち上がって走りだした。声を掛ける間もなく螺旋法廷に突っ込んでいった。白煙をやぶいて「ワー」と叫びながら、ベルヌーイ・エリザベータ像を突き飛ばし、次いで大テーブルに乗り上げると、燭台ごと五人の審問官を蹴り飛ばした。
僕は茫然した。見守るだけだった。彼女の蛮行はそこで終わった。残る三証人の像は、すでに横たわっていた。重く倒れる際、例の震動する不気味な声での万雷の断末魔に耳を塞がなければならなかったが、グレープはお構いなしに次々と見舞った。魔の震動音で彼女の髪が渦巻いていた。
ドロテア・パラエストラの風に吹かれたかのように逆巻くグレープに何か変化が起きやしないか、僕は不安になった。
大テーブルに手をついた彼女が、こちらに振り返る。燭台の明かりは誇大でペテンなやり方で、グレープを煽っていた。彼女の姿勢が歪んで見えるのは、きっとそのせいに違いない。
左足首が、まるで螺旋を描くように変形して靴を突き破っているように視えるのは、きっと、そのせいに違いなかった。