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12 グレープの長広舌

 「センパイ。妾の名前は御存知ですか、グレープと言いますわ。きっとお姉ちゃんは話していないと思いますから。センパイ達が知りたくてたまらないらしい妾の事なんですけど、その水中にプカリプカリと浮かんでいたっていう。それ全然覚えていないのです、ええ、ホントに。

 お姉様に命令された通り、いつもの習慣になっていました食物の差し入れをここの……地下秘密基地に届けてから、コンビニのお弁当ですけどね、それから毎度の通り家に向かった筈なのです。これもまたお姉ちゃんは口をつぐんでいたと思いますが、妾、或る意味で発作性の持病に悩まされていまして、今流行りの言葉で例えるなら、爆弾をぶら下げている、というアレですわ。ホホ、初耳でしょうね、センパイ方。

 それのお陰で予定のない遠出をしようなどとはどうも思えないのですから、真っつぐ帰途に着いた筈です。たまに別の意味で遠出をしちゃいそうになりますけど、これがまた苦しい。そのコンビニの前を通り過ぎて、踏切の見えてくる細い路地の角を曲がった折に、誰かの声に呼び止められたのですわ。

 妾、持病のせいで四六時中、学校の授業は別として……だって一応内申書を抱える身ですから、まあ世話の焼ける聞かん坊ですよね、頭のヘッドフォンは外しているんですよ。たった今こうしてセンパイ方とお話していますが、ホントはとてもとても辛く、どんな風に辛いかといえばですね…。

 頭の中がコウ……糸屑で一杯になったような、三味線の弦が十本や二十本にも増したような、敢えて例えてみますと、コウ大小様々なあらゆる生活音、もちろん人の声も入っていますけれども、たくさんの音という音とがぶつかり合って散り散りに砕けるような、吹奏楽団が一斉にドンチャンやかましくがなりたてた感じで、もう非道いといったらこの上ないんです。

 今は地上から結構離れていますから我慢が利くんですが、あの角で確かに妾はヘッドフォンをやかましいほどに鳴らして心と耳を塞ぎに掛かっていたんですのに、あの時はっきりと声に肩を掴まれ、珍しい出来事についウッカリ油断してしまいました後悔の残る妾は振り向きました。その声は甲高い男の人の声とも、泣き腫らした女の人の声とも、どっちつかずで」

……

 少女ことグレープの饒舌に僕は半ば呆れていたところ、横合いからパチンという聞き慣れた音が起こったので目をやると、皆の視線を思わず集めてしまったらしいピーチが驚いた顔をして缶ジュースを持っていたのだった。おずおずと話し屋の手前に置くと、恥じ入ったように縮こまってしまった。

……

 「ああ、ピーチセンパイありがとうございます。わざわざ。ちょうど喉が渇いたところだったのです―ゴクンゴクン―ああ、おいしい、妾ミルクコーヒーが大好きなんです。では話を続けますと――お姉ちゃんぼやかないで、もうすぐ終わるわ―その変な声に振り向いた途端、妾、殴り倒されたんです。イイエ、実際に凶器で打ちのめされたというのではなくて、何かの衝撃に突き飛ばされたような、まるで出会い頭に速度のある物体にぶつかられて衝撃だけが身体を暴れ回ったような、ホラ事故に遭ってしまった時、痛みよりもその事に出くわしてしまったショックの方がまず大きいでしょう。

 妾の場合痛みこそ無かったんですが、そのまんま突き倒されてしまったように思うんですが、はっきりとは覚えていませんし、何者の仕業なのかも皆目見当がつかないのです。でも妾にとって日常茶飯ですので今更びっくりする事でもないんです。妾の病気はいつだって、妾を轢き逃げて、倒れている妾を見つけて寄ってくる連中も大概ろくでもない奴らばっかりなんですから、ウッカリ親切と勘違いして肩を貸してもらったら、今度はそいつらに非道い目にあわされてしまうんですから。

 妾はその見知らぬようで慣れっこの轢き逃げ犯に当てられてしまった直後に失神しました――神を失うってやつです。ただ眠るようにまどろんでゆく意識の中で覚えていました事は、妙に身体が揺さぶられていたようなのです。ちょうど腰回りを両手で押さえられて、上下に、上下に、揺さぶられて、きっとアレに違いないんでしょう。確か以前にもこんな事があったような気がしますが、その時はあまりに非道く、初めてだったものですから、とっくに忘れたフリをしていますわ。

 そうして妾は目を開けてみますと……開けたつもりでしたが、どうやら夢を見ている事に何となく気付いて、それをぼうっとして眺めていますと、四人の人影が浮かび上がってきます。瞼の闇を背に、白い、影法師ならぬ月法師がウッスラウッスラと湯気が立ち昇るように、ユックリユルリ。

 それを見ていますと、夢特有とも言えます理由のはっきりしない構成と言いましょうか、何故だか自分の置かれています状況やら意味するところがスラスラと納得できてしまう例の作用のお陰で四つの人影なるものが、実は四人の親子である事が判明しまして、妾には夢を見ているだけしかできませんから、半分眠っているような、どっちつかずで傍観していますと、その月法師は大小各々に抱き合った――というより溶け込んでしまうと、そのまんまミルミルうちに、染みが吸い寄せられたかのように消え入ってしまって、どうしようもできないでいました――ゴクンゴクン。

 次にまた白っぽい影が現れますと……でも影なのに白色とは可笑しいですよね、今度は人の形を取りませんで、またしてもユルリユルリと湯気を立ち上げて昇り立ってゆきますと、出来上がったものはどうも良く分からない、捻れ回った像が見えてきたのでした。

 例の作用でスンナリ解せる筈だわと高を括っていましたが、果たして、いつまで過ぎても理解できる気配が訪れませんのに、像はドンドンドンドン形を成していくのでしたから、起きているのか怒っているのか分からない態で待っていますと、その形とやらは遂に成長を遂げまして、一本の白い線の周りを数字の八……アラビア数字の8の方ですよ、この8の縦半分をパッカリ切り分けたような、ソウソウ、アルファベットのSの字のようなものです。

 それが白い棒に重なり、ドルマークみたいな形を成したのですが、妾のまどろんだ意識にその時、気絶する前に味わった衝撃にそっくりな揺らぎが唐突にまた妾を襲ったんですよ、同時に頭の中へ……心の方かもしれませんが、何かが突っ込んでくるような―例えば狭い丸口の瓶に、少し大きめの角張ったスポンジを一気に押し当てられたような……逆の意味できっと、お腹をパンパンに張った妊婦さんがいきなり赤ん坊を引っこ抜かれたなら、きっとあんな感じですわ、キットキット。

 ――なぞとぼんやり頭をグワングワン波打たせているうちに、頭の中に答えが入っていましたの。もちろん目覚めた今でもきちんと覚えていますから、センパイ方、安心して下さいね。お姉ちゃんもそうよ、件んの“重力解放装置”の事もちゃんと分かっているんだから。

 なんでそうなったか聞かないでちょうだいよ、ホホホ、妾にもてんでサッパリなんだからセンパイ方も是が非でも知りたいでしょう、お教えしますわ」

……

 グレープはそこで一息切ると、缶コーヒーの残りを飲み干した。ウスウス勘づいていたけれども、姉妹で“重力解放装置”を探しているのなら、彼女らの普段の生活やそこに根ざす思惑とはどんなだったであろう。僕自身ですら、ましてピーチの事すら、なぜ解放装置の事件を知る事となったものか、知らされたものか、それこそ皆目めどが立ちやしない。それなのに姉妹を取り巻く運命とは、何の偶然で知らしめたものか。

 僕とピーチには漠然としたものしか失いのではと思う。無害な者となるため誰にも邪魔されず、信じていたい幻想を無下な力から守るためには重力を解放し、自身の幻想を中とも外ともつかぬものにする、つまりは幻想と破れかけた現実という虚構の境界を失くす程度の野望ではないだろうか。言葉にして並べたてるよりは、よほど大した事ではないようにも思えるのだ。

 まだ社会に出なくて済む生徒というクレープ姉妹が“装置”を知覚してしまったという事は、とても悲しいものなのではあるまいか。わずかに触れられたクレープの幻想は人として生きるのであれば、誰にでも許されて当然の素直な心から発露した願いなのだ。至極当然でいて私利私欲のない優しい日常である……本来ならば。

 本来なら少女が身を置くべき世界を願わずにはいられないほどに追いつめ脅迫した姉妹の日常とは、どんなに険しい環境であったか。妹が悩まされている病気も一筋縄ではいかぬようだし、そのために姉は心を痛めている。妹は何を求めて探索するのであろうか。

 僕はまるで自己を投影しているような態で息苦しく、グレープのいよいよ肝要になってきた話を、本心では聞きたがっているのに根こそぎ勢いを挫かれた態で、やるせなく耳に押し込んだ。

……

 「ホホホ、でも三人とも急に生真面目な顔付きをなされますね。妾の話は長くて退屈だったと仰るようですわ。皆さん意地悪なんですから、アハアハ、お姉ちゃんソウしかめっ面をしないでよお、すぐに話して聴かせますから、ホホホ。

 妾の頭に座していますこの答え……そもそも妾達姉妹に探索を押し付けてきた“あの声”によるものらしいのです。頭にスポンと入り込んできたその時に“あの声”が――もう訳知り顔ですわね、御名答、センパイ方の言うところの“生臭坊主”だと直感しましたし、お告げとやらも慇懃無礼な猫撫で声で下されましたの、忌々しいですね。ホホ。それと分かりました時、妾は本当に追い返してやりたい気持ちになりましたが、そうはできない事情がこちらには不本意にも揃っておりましたから行儀良くお座りしていました、褒めてちょうだいよ、お姉ちゃん。ホントに悔しかったんだから……グスン。

 でも妾はこの瞼の裡の闇に漂っていますと、とても落ち着く事に気付きましたの。ですから、いつもより心を地に着けまして一生懸命に耳を澄ましてお告げを聴きました。なんせ妾ときたら夜眠る時でも、気絶しました時でも、雑音から開放される事が丸っきり失いものですから、この時ばかりは何一つ音というものが無くてビックリしましたよ、そりゃあ。だって、ホントに音が無くて、海洋探知のソナー音が欲しくなってしまうほどに――ホラ、映画なんかでやっていますでしょう、コーンコーンとかいう楽器みたいな、心臓みたいな冷たい音が。

 無音というのはホントに久しぶりで、耳がかえってジンジン痛くなってしまう中で、妾は“生臭坊主”の声を聴いていたのにちょっとも感ぜられなくて、でも御心配はゴミ箱に捨てて下さいね、きちんと覚えていますから……内容はね。オホホホホ。クシュン……失礼クシャミですわね、オホホ。なんせクラゲをやっていましたから。

 ハイハイお姉ちゃん、そうがならないで。つい引き伸ばしちゃうのよ、病気のせい、病気の」

……

 クレープはまだ喋り足らないとへの字口だったが、お姉ちゃんには逆らえないらしく、姉の渡した黒いカーディガンを不服そうに着込むと、いくらか調子を引き締めた表情でお澄ましした。僕にはその仕草がおちゃらけに見えるのであった。

……

 「少しチクチクするね……まあイイヤ、それで“生臭坊主”はこう言ったものですわ、カクカクシカジカ、シカジカカクカク、トニモカクニモカクニモトニモ――アラ嫌だあお姉ちゃん、角を生やさないでよ、生やすんだったら別のものを生やしてちょうだい

 それが妾にもどう聴こえたものか良く分からないのよお、長々と説明されたようで、一瞬間で終わったようでいて――変なのよ、イチから説明すると分かんないけれど要約してならお聴かせできるわ。ホントに短いんだから、ソレは詰まるところ、妾が出会い頭に押し倒された場所、大泉踏切ってやつよ、ホラ忘れたの――センパイ方が取って返した線路の事よ。

 そこでセンパイ方も“生臭坊主”のお告げを聴いてココ“草馬高校”にいらっしゃったんでしょう、ネエ。学校の通学路に指定されているのかしら、お姉ちゃん危ないわよね、あそこってさあ、ホホホ。まるで夢を見ていましたようにホンの少しで、“生臭坊主”の説明は適いましたけれど、妾のソレはまだ終わらずに続きがあるのですわ。

 夢みたいな言葉で奴は大泉踏切について指示を言ってきましたわ、あの踏切のどこかに地下への階段があるそうで――また真っ暗闇の中に降りていくんですよ、センパイどうします、クスクス。階段が何処に存在していますのか知りませんから、妾達は上下線の双方を線路伝いに屈んで歩かなければイけませんねえ、アラアラ大変です。

 だって“生臭”自身が白状しませんもの。妾だって是が非でも知りたかったのですが、妾は口が利けなかったんですもの、仕方がありませんわ。でもまあ路線とは言ってませんでしたから、キット踏切それ自体に謎っていうやつが隠されているに違いありませんわよ。そうがっかりしないでお姉ちゃん、マダマダ先があるんだから。

 運良く地下階段が発見できましても全然安心はできません。だって、地下に降りていかなきゃお話になりゃしませんからねえ、ちなみに妾が見たと言いました白い月法師のドルマーク――ソウ、ユラユラリと湯気立ったアレですけれど、その階段を表しているようですよ、多分。なんとなくです。階段は螺旋を成していると言ってましたから、妾の直感なのです。善く当たるんですよ、コレがね。ウフン。ホホ、センパイったら。

 階段を終えてみますと中は多分に明るくないでしょうから、懐中電灯なり蛍なり哲学者なりを携帯しませんと暗闇に光はないのですから、真っつぐ進めなくなりますが、元々一本道らしいので前後不覚に陥らなければ迷いは無いでしょうね。

 その下にまた地下の入口があって――皆さん、もう終わりですよ、妾の話は。アハハ、これで最後ですから一言言わせて下さい。その入口なんですが、お姉ちゃんまたカッカしないでね、どうにもこうにも二手に別れなくてはならないんですって。道が二叉だから。片っぽを探険してからもう片っぽを……というわけにはいかないそうですよ、妾にも分かりません。

 ソレをしないとドウなるかは相変わらず“生臭坊主”は言いませんでしたから、ソレは何とも答えられないわ。きまって何か入り用かというのもありませんし、まあ明かりを二チーム分と、アト内部がどれだけの広さなのかもサッパリ。妾の情報は枝分かれ道まで。アトは取りあえず入り口とやらを素晴らしいチームワークで、とりわけ美しい姉妹愛で見つけましょうね、お姉様、オホホホ、アハアハ、ネエ、センパイ。ホホ、クシュン……誰かが噂していますわ。

 食料もタクサンタクサン持参しなくては成りませんから――おトイレはどうしますか、“生臭”が用意していてくれれば大助かりですが、アハ」

……

 グレープを除いた三人は難儀な溜息をしいしい、同じ事を思惑しているに違いなかった。グレープを抄い出す際だってあれほどに手こずったのだから、彼女の言う大泉踏切に地下階段を見出だせぬのならば、どうしたものか。或いは迷宮のような冥府行であったらば、とますます困難になる探索行の行く末であった。

 グレープなる新たな光明は僕ら気落ちする三人を、おそらく力づけるつもりで飽きずにお喋りしていたのだが、僕らはその後しばらく俯いているのだった。

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