8 我が儘迷子王子
「いってきます」
「いってきまーす!」
朝の用意に疲れた私は笑顔を張り付けて病院から出る。
その後から私を追うように挨拶をするのは妹ちゃんだ。私達がドアを押すと、いってらっしゃい、と看護士のおばさま達は目をうるませて言った。どうやら、感動の別れのようだ。
「気をつけてね」
「はーい…」
私は幼稚園に行くまでの百の規則を朝から音読されたし、大袈裟な。と思いながら妹ちゃんの右手で手を握る。昔は弱かった力も今ではぎゅっ、と握り返してくる。左手は荷物を持っている。妹ちゃんの右手は空っぽだ。
普通なら親が一緒なのだが私達は特別だし、保護者代役にしても手が空いている看護士さんがいない。
しかも、今暇なのは院長か宏。この二人を連れてくとマダム様が倒れて入園式どころではなくなる。
院長は発狂しそうだし宏は後が怖い。まぁ…宏に会ったらあの美声が脳内で再生されて入園式がまともにてきないというのが事実だ。
この体になって男性免疫力はもの凄い勢いで衰えているので仕方ないね。だから、妹ちゃんと私の二人で行くと決めたのだ。
ふと、目の前に被さる影。
「あのさぁ、ちび。俺の監視下から逃げるなんて真似させないからね、分かってると思うけど」
「ひぃ! 何で先回りしてるの。宏!」
「ちびのお守りは俺の仕事にされたんだよ。どうせ暇だし付き合ってやろうと思って。ちびなら退屈しないからな」
言うだけ言うと宏は私達の前を陣取った。そして、半ば強制的に私達の前を歩いている。
こうして見ると宏は格好良いんだなと実感する。一人で前を悠々と歩く宏を見て周りの人は頬を染めている。世の中顔だなー。
「歩くの遅い」
「三歳にそんなことを求めないで下さいよ。こんなに足が短いのですから、ほら」
幼稚園は徒歩五分、私達の歩幅で行くと二十分。そんなことを言われようと無理なものは無理だ。ちらほらと私達と同じ服を着た子供が見える。汗ばむ手を妹ちゃんから放さずに、門の前まで辿りついた。
「でかっ…」
「チューリップだー!」
「花壇もでかい…」
思わず声が漏れたが、私の第一印象はこれだ。宏も同じことを思っていたようで。とにかく大きい。門も、専用グラウンドも、幼稚園も! ここに入園すると思うと少し腰が退けるのだが。ちゃんと設備とか見て選ぶんだった。
妹ちゃんはチュリープを愛でいた。とても絵になる。
しばらくして、私は妹ちゃんの手を引っ張って門をくぐろうとすると泣き喚く声が聞こえた。
「母上っ!!」
わんわんと泣き叫ぶ少年が門の前で立っている。人はそこだけを避けて見て見ぬふりをしていた。
何だ? 迷子か? と思ったのだが、私と同じ制服を着ていたので、こんなでかい幼稚園に通っているのだから金持ちのぼんぼんに違いないと確信した。ぼんぼんならボディーガードの一人や二人つけてるでしょ。
私は特に気にする事もなく門をくぐろうとしたのだが右手の温もりがないことに気付く。
…妹ちゃん!?
私は慌てて周りを見回すと妹ちゃんは、泣いている彼の元へと近づいて行く。どうやら、主人公ちゃんお節介機能が働いたのか、うん。
「どーしたの?」
「えっぐ…えっぐ…」
「たまご? たまごどーしたの!」
妹ちゃんは不安そうな上目遣いで泣いている少年に話しかける。恋に落ちたかと思ったが、少年の泣き声を妹ちゃんは物凄い勘違いをしたようだ。
昨日英語特訓で卵について勉強したからかな。予想を上回り過ぎて…私は思わず、ずっこけた。
「たまごなんだね」
「ひっく…ひっく」
私は察したのだ。このままでは絶対話が進まないと。
「ん? どうしたのかなー、坊や」
「ひっぐ…ぼう…や等では…ない。我は緑菜であるぞ」
このままでは拉致が空かないと、私は意を決して少年に話しかけた。こんな情けない姿で家名を言うとは妹ちゃんの斜め上をいく勢いだ。
こんな公の場でばらして恥ずかしくないのだろうか、と疑問に思いつつもハンカチを差し出す。彼はそのハンカチで鼻をずびーっとかんだ。あ、高かったのに…。
彼がぼそぼそと話し始める
「母上が迷子なのだ」
「へぇー。そうなんだ」
少年はふんっと鼻をならす。私はそれに適当に相槌を打って門を潜ろうとする。
何だ、その物言いたげな目は。お願いする礼儀がなってない奴の言うことは聞きませんから。少年はまた青い瞳に涙を溜めている。
視界から青色の瞳と緑の混じった金色の髪を消すとぐいっと手を引かれた。今、手を繋いでいるのは、妹ちゃんである。
「何でそーなこというの! 人には優しくしなさいって姉さまいってた」
妹ちゃんに言われると私でも堪える、少し調子に乗りすぎた。
「ごめん。はぁ、仕方ないからお母さん探してあげるよ」
「よいのか?」
「うん」
私があっさり折れたから驚いたのか、少年はきらきらした瞳で私に確認をとる。これだから子供は苦手なのだ。ころころ変わる表情は可愛いと思うが、その分泣きやすいと言うことでもある。
折れたのは妹ちゃんに免じてだけど。せいぜい感謝しなさい、妹ちゃんに。
「母上はとても綺麗で、父上は格好良いのだ」
「…へぇ」
「それで! それで!」
少年から特徴を訊くと頬を染めて嬉しそうに話してくれた。私は適当に相槌を打っているが妹ちゃんは興味津々だ。聞くだけではえらく分かりにくく返ってきた様に思える。しかし、私にはこれだけでとてもよく分かった。
少年の両親イコール美形、この公式が成り立ったからだ。
正直これ程特定しやすい条件は、ないのではないかと思う。案の定、少し歩くとオロオロした夫妻を発見した。息子と同じ緑の混じった金の髪をした二人の困り果てている姿は美しい。
「母上!! 父上!!」
私より少し遅れて両親を見つけた少年は一目散に駆け出した。そこら辺は可愛い。
少年は両親に飛び付くや否や大泣きを披露した。
「月臣! もうっ。心配したのよ」
「やんちゃが過ぎるぞ! 次期当主としては良いのだがな、わははは」
「ごめ…んなさい」
奥様は涙を紫の瞳に溜めている。夫もとても嬉しそうだ。
のふふふぁ、美しい親子愛だ。綺麗な親子でご飯三杯はいけるね。
そんな、にまにまと危ない笑みを向ける私に気付いたのか彼らは近寄ってくる。どうやら、殺気がないので警戒はしなくても大丈夫なようだが。
「ありがとうございました。うちの息子が…。お礼なのですが」
「はぁ……。はぁっ!?」
奥様が頭を下げて、差し出したのは札束だ。大金だ。驚きだ。
私は思った、この子にしてこの親有りと。
「あの、お気持ちだけで結構です」
「そんなこと言わずに受け取って頂戴」
私は拒んでいるのだが、融通は効かないらしい。彼女は、見た目に合わずなかなか頑固だ。妹ちゃんは状況が理解出来ていないらしく、首をかしげている。
「本当に要りません。不要です」
「そう? じゃあ、この子のお友達になってあげて」
「…はぁ!?」
本日、二回目の度肝が抜かれました。