ただ君に好きと云いたくて。~彼女の手紙~
前回の“ただ君に好きと云いたくて。”の続きを書きたいなと思い、書きました。
淡い藍色の花が描かれた白い封筒。
中から出てきたのは大切な相手へ向けた「手紙」だった。
────『来希』へ
暑い日々が続く夏が終わり、少し肌寒さを感じる秋になりました。
季節の移り変わりは、早いものですね。
………なんて、私達の間にこんな話し方はいらないかしら?
そういえば…アナタと出逢ったのも、今みたいな季節だったね。覚えてる?
大学近くの小さなペットショップ。
私は動物が大好きで、飼ってみたいと思って通いつめていた。
そしていつしか「常連さん」と呼ばれていたわ……少し、怪しかったかしら?
そんな私を動物達は、他のお客さんと同じように、ゲージの中からいつも嬉しそうに吠えていた。
でも、アナタだけは違った 。
──アナタはいつも、吠えることはせず、私だけを見つめていた。
……そんな、気がした。
私がお店の扉を開けると、いつもアナタが最初に気付いて尻尾を振ってくれていたから。
それがとても嬉しくて……私はアナタを選んだ。それが、私達の出逢い。
今考えると、私って単純ね。
でも、アナタを選んでよかったと思っているの…これは、本当の気持ち。
出逢ってくれて、ありがとう。
───それから、何ヶ月か経った頃かしら?
私は大学を卒業して、仕事に明け暮れる忙しい日々を過ごしていた。
そんな中でも、心が折れずにやっていけたのは、アナタの存在があったからなのよ?
毎朝、私が「いってきます」と言うと、「ワン!」…って、元気よく返事をしてくれるアナタ。
まるで「いってらっしゃい」と言っているみたいだった。
不思議ね。ただの返事だったかも知れないのに、そう思ってしまっていたの。
でも、私は振り向くことなく、いつも背を向けていたわね…ごめんなさい。
だけど、アナタの声…ちゃんと私に届いていたわ。
ありがとう、来希。
───それから、私が泣いていたあの時…。
あの日…仕事でミスをしてしまって、落ち込んでいた私は…同僚の心無い言葉を偶然聞いてしまった。
家に帰った瞬間に泣き崩れた私を、アナタは慰めてくれたね。
流れる涙を舐めて、寄り添うように隣に座ってくれた。
まるで「傍にいるよ」…と言われているみたいだった。
ああ、この暖かな太陽のような温もりに救われた。明日も頑張ろう…って思えた。
だからあの時の事は、悲しい記憶ではなく、アナタとの温かい思い出としてちゃんと覚えているわ。
アナタは、不思議な子。
私の心をあたたかくしてくれる「希望」の存在。
───でも、アナタは……日に日に衰弱していった。
アナタとの時間はあっという間で、いつしか何年もの月日が経っていたのね…。
本当はいつも傍にいて、アナタとの時間を大切にするべきだったのに。
私は非情にも、仕事に行ってしまった。
だって、あの時でしょう?
アナタの容態が悪化したのは……あの、雨が激しく降り続いたあの日でしょう?
私が、いつもより帰りが遅くなってしまったから。
あの日……玄関でタオルを加えたまま倒れているアナタを見たとき、心臓が止まりそうになった。
駆け寄って、アナタが息をしているのが分かって、本当に安心したわ。
ああ、ちゃんと生きている。まだ、一緒にいられる…って。
……ごめんなさい。
アナタを一人にして、ごめんなさい。
「時よ止まれ」とどんなに願ったか。
アナタが駆け回る、元気な姿で時が止まればいいと…。
決して叶うことのない願い。
“時間は残酷”…そう、思ったのはこの時が初めてだった。
───そしてあの日から、数ヶ月も経たない日に…。
アナタは……逝ってしまった。
私の腕の中で、どんどん息が浅くなっていくアナタ。
太陽のような暖かな温もりが…ゆっくりと、消えていく。
『待って、逝かないで…私を、独りにしないで!傍にいて…傍にいて、来希!
やめて、やめて!…ヤメテ…この子を奪わないで!!』
心の中で、そう叫んでいた。
アナタの声。アナタの瞳。アナタの温もり。
大切で…大好きな『来希』という全てを、私から奪わないで…。
悲しくて、苦しくて…心が壊れそうだった。
だけど…その時、アナタが私の頬に触れた。
それは、人間がするときの……そう、涙を拭う仕草に似ていた。
私は驚いて、一瞬涙が止まった。
『…………ありがとう』
耳を疑った。だって、一番言葉を交わしたくて、一番叶わぬ願いだと思っていたのに……。
腕の中から、そう聞こえたの。
──ああ、この声は愛しい……アナタの声なのね。
何故そう思うのか、分からなかった。
だけど、確信があったよ?
アナタの……「ありがとう」の一言だって。
そんなの…私の台詞なのに…。
私はアナタがいたから、毎日が眩しく、楽しい日々で……感謝するのは私の方。
私は何もしていない。
そう思うのに、アナタの一言に救われた。
私は、いつも『来希』という存在に救われる。
『私の方こそ……ありがとうっ…来希』
そう言うのが精一杯だった。
後の言葉は、嗚咽に変わってしまった。
それでも、腕の中のアナタは“笑って”くれていたね。
────ちゃんと、覚えてるよ。
アナタと過ごした日々を、全て覚えてる。
アナタの存在は私にとって大きくて、強くて優しくて……。絶対に忘れないよ。
だから、来希。
どうか、私を見守っていて下さい。
* * * *
何枚もの色あせた紙に綴られた言葉。
その手紙の所々には、文字が滲んでいる箇所があった。
それは、きっと……“涙”の跡。
そしてこの手紙の最後に、もう一枚。少し新しい紙色をした手紙があった。
────ごめんね、来希。私は嘘を吐いてしまった。
私は、アナタに謝らなくてはいけない。
あのね……
さっきの手紙は、アナタが亡くなってすぐ……書いたものなの。
私は、アナタが亡くなった後…精神が不安定になってしまった。
母さんやお医者様も、アナタが亡くなったことへの悲しみで、起きたのではないかと言っていた。
ごめんなさい。 ごめんね、来希。
……ダメなの、私。アナタが亡くなってから、謝ってばかりで…。
アナタに感謝したいのに…悲しみが胸を埋め尽くして、涙が止まらないの…。
会いたいよ。会いたい……来希。
だから、私は……アナタをこの手紙に書いて………忘れることにします。
自分勝手だと、非情だ、最低だと、私を恨んでくれていいよ。
でも、今の私はアナタへの想いが強すぎて、心が壊れる寸前なんだって…。
ごめんね、来希。絶対に忘れないって言ったのに……!
私は……アナタを忘れることでしか、自分を保てないの…!
こんな自分が…私は嫌いよ。
来希……。
それでも、私は……
アナタが大好きよ。
それだけは……覚えていたい。
ごめんね、ごめんなさい。来希…。
アナタを想う一人より
* * * *
手紙は、そこで終わっていた。
手紙というよりは、その相手へと『思い出』を直接話しかけるような…。
悲しみや、忘れることに対しての苦しさと罪悪感。
それらがひしひしと伝わってくる手紙だった。
「おかーさーん?…何してるの?」
トコトコと、歩み寄ってきた三歳程の小さな子。
その子は“私”の膝の上に座ると、手元の手紙に視線を落とす。
「おてがみを、よんでたの?」
「ええ…」
無邪気に微笑むその子に、笑いかけると、頬を何かが伝う。
「……おかあさん?どうしたの?どこか痛いの?」
膝から下りて、小さな手で私の頬に触れるその子。
「ううん…痛くないよ。痛くないの…。ただ……ただね…っ」
小さな温もりを、胸に抱き寄せる。
伝わる温かさ。それは“忘れていた”あの子と同じ温かさだった。
涙は止まる気配はなく、ただただ溢れるばかり。
「おかあさん……だいじょうぶ?」
心配そうに見上げるその子に、私は微笑んでみせた。
「大丈夫よ……ありがとう“来希”」
「…うん!」
私の笑顔に、来希は満面の笑みを浮かべた。
「ねえ?おかあさん」
「ん?」
「僕のお名前…どうして、来希っていうの?」
私の腕から抜け出し、興味津々というように目を輝かせる来希。
そっと、手紙を見つめてから…私は微笑みかける。
「その名前はね……私が大好きだった存在の彼から貰ったの。忘れていた…けれど、名前だけは無意識に覚えていた……。
──未来に向かう希望の存在。そういう存在になるようにと、付けた名前だった。
だけど…それ以上の存在に、来希はなって……。
だからね、アナタはとても大切な存在で…。あの子の分まで、未来を見て欲しい。
そう言う意味が込められてるの…」
「ふぅ~ん…よく分からないけど……ステキな名前なんだね!」
パァと瞳を輝かせると、来希は私の周りを飛び跳ねて喜ぶ。
「ただいま~」
「あ!おとうさんだ!」
玄関から聞こえた声に、来希は「おかえりなさーい!」と喜んで駆けていった。
まだ溢れる涙を拭い、きちんと手紙を折りたたみ、白い封筒に入れる。
「謝るのは、これで最後にするね…。忘れていて、ごめんなさい……。そして、またアナタを思い出せてよかった。…ありがとう、来希ッ…」
手紙を胸に抱き、嗚咽を漏らす。
そんな私を、帰ってきた“夫”と迎えにいった“来希”が驚いたように慌てて駆け寄ってきた。
それが可笑しくて、私は泣きながら笑った。
後日 私は手紙を書いた
────『来希』へ
アナタと過ごすはずだったこれからの時間を、私は……新たな『家族』と共に歩んで行きます。
だけど、私は決して忘れない。
アナタと過ごした時間を、来希という存在を。
もう、二度と忘れません。
信じて貰えると…。
ううん、アナタなら信じてくれるね…きっと。
来希。私と出逢ってくれて、ありがとう。
アナタの…最後の言葉と同じ…
ありがとうの気持ちを…アナタに。
私の世界を変えた、来希へ…ありがとう。
アナタを愛する家族より
* * * *
“大切なアナタへ”と書かれた、色と柄の違う二封の封筒。
それは、開かれることはあっても…。
“忘れさられる”ことは、無いだろう───
此処まで読んで下さりありがとうございます。
彼女にとって、来希は家族の一人です。
たとえ『犬』であっても、家族に代わりありません。
そんな、家族を亡くした彼女の悲しみや、来希を思い出した後に彼女がこれからの時間を、新たな家族と共に生きようとする意志が、伝わればいいなと思っています。
感想等、宜しければ…。お待ちしております。