わがままな愛情
なんとなく、泣いている気がして。
根拠はなかった。ただ、思い始めるとどうしてもそうであるとしか思えなくなって、僕はベランダを乗り越えた。
向ったのは、真向かいの部屋に住む幼馴染の彼女のもと。
半信半疑で彼女の部屋の窓に手をかけると、からりと抵抗なくそれはスライドした。
「なつ、起きてる?」
声を潜めて呼び掛けつつ、僕は部屋の中へと着地した。暗闇の中に目を凝らすと、ベッドに顔を伏せている影が見つかる。
「ねえ、なつ?」
「っさい!入ってくんな……ばか!」
もう深夜近いというのに、遠慮なく放たれた罵声。それが涙声であることに気付かなかったふりをしてやるほど、僕は優しくない。
「ふーん。またフラれたんだ」
そこでなつは初めて顔をあげ、僕に枕をぶつけて寄越した。僕はそれを余裕でキャッチし、なつ目掛けて投げ返す。
狙い通りになつの頭にバウンドし、枕は床にくたりと落ちた。
「何しに来たの!」
「いや、なつを見に来た」
泣いてる気がして。
呟いた言葉がなつに届いたかどうかはわからない。届いていたとして、それがどういったニュアンスで受け取られたのか、僕には知るすべがない。
しかしなつは僕の言葉のあと、完全に僕を無視して布団に潜り込んでしまった。
「ねえ、返事して」
僕はなつの頭と思われる場所に手を伸ばすと、布団ごしにぐりぐりと押さえつけた。
それでも頑固に無視を続けるものだから、僕はがばりと布団をはぎとる。
なつはもう、顔を隠さなかった。
両腕で目を塞ぎ、頬には幾筋も濡れた跡が残っている。
「だから、あんなやつやめろって言ったじゃん、僕」
「でも、好きだったんだもん」
「何で僕よりあいつを選ぶのか本当にわかんない」
「ああそうですね、かずくんはおモテになるそうですからね、あたしと違って!」
「ねえどうして信じてくれないの」
「だって、あんた彼女いるじゃん」
腕をずらしてその隙間から、なつは僕を睨んでいた。
その激しい視線とは裏腹に、僕はああやっとなつの顔が見れたと安堵していた。
「今三人だっけ? そんなたらしに何言われたって信じるわけないじゃん」
「あー、この前一人別れて、また二人と付き合うことになったから今四人だわ」
「何人だって知ったことじゃないけど、誰でもいいってことじゃん、それって!」
「何言ってんの? なつじゃないからじゃん」
「はあ?」
僕はわかってくれないなつの腕をぐっとつかんだ。なつがびくりと竦んで固まるけれど離してやるつもりはない。
「本命がいつまでたっても手に入らないから、代わりの愛情得ようとしてるだけだよ? 一対一なんて面倒な関係、なつ以外とは耐えられないから適当に付き合える子探してさ。ねえ、なつからの好きじゃないと僕は足りないのに、なつは僕のこと考えてくれないの?」
僕は腕をつかんだまま、なつに顔を近づけた。
さっきまで泣いていたのが嘘のように、なつは頬を紅潮させて目をぎゅっとつぶる。
ねえ、なつそれは拒否しているの、それとも僕を受け入れてくれようとしているの。
僕はなつの鼻の頭に唇を寄せた。
リップノイズをのこして、素早くなつの身体の上から退く。
鼻を押さえて飛び起きるなつ。驚きと羞恥が入り混じった視線を受けて、僕は笑った。
「期待した?」
「馬鹿じゃないの!」
そろそろ退散する頃合い、と僕は入って来たときと同じように身軽に窓に登る。
「よかった、泣きやんで」
「は? 何て言ったの」
「なにも。ねえ、なつ考えてね僕のこと」
「そういう台詞は今の彼女全部と別れてから言え!!」
いつものように怒ったような呆れたような調子で返事すると思っていたのに。今日のなつの声が拗ねたようであることを、僕は敏感に感じ取った。
慌ててなつを振りかえろうとして窓から落ちそうになり、とっさに窓ガラスに手をつく。
ぎしぎしという音がやけにうるさく響いた。
その音に我に返って、あらためてなつを振りかえる。
「それってさ。別れたら僕のこと本気にしてくれるってことだよね?」
「え、ちがっ」
なつは目を丸くして叫んだけれど、こんなチャンスをつぶされてたまるものか。
「そういうことだよね? じゃあ明日別れてもう一回なつに告白するから、いいって言ってね」
「ま、待って。かず、誤解してるそういう意味じゃない」
「おやすみ、なつ」
僕は上機嫌でベランダへと飛び移った。
せいぜいこれから困ればいいんだ。
少なくとも、フラれた男のことなんか考えて泣くよりは、僕のことで悩みながら明日まで過ごせばいい。
明日はきっと四人の女の子にひっぱたかれることになるんだろうけれど、そんなことがどうでもいいと思うくらいには僕の心は躍っていた。
幼馴染っていいですよね!
この二人は結構お気に入りのキャラなので、ぜひ続きを思いつきたい……!