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……遠くから、音が聞こえる。
晃は、真樹区の崩れ掛けた野外ステージに立って、ぐるりと周囲を見回す。風が晃の周
りを、踊るように巡っている。
早春の、まだ冷たい風に乗って流れてくる音楽は、どうやらニューエイジ・ミュージッ
クのようだ。
でも、ドラムビートだけが強く聞こえ、メロディがはっきりしない。曲は何だろう——
と、晃は耳を澄ます。
徐々に、メロディがはっきりしてくる。曲は、スカイボーイの『風のように』だった。
この曲は、スカイボーイの四枚目のアルバムに入っている、晃は、『空を飛ぶ』の次に
『風のように』が好きだった。アデル杉山も、同じ『風のように』を歌っている。シング
ルカットもしたはずだ。
晃は、自然と体でリズムを刻む。
低音から始まる『風のように』は、終盤になるとかなりな高音になる。晃は、目を瞑り、
頭の中でスカイボーイと一緒に歌う。聞こえているメロディが、『空を飛ぶ』に変わった。
自分の口から、いつの間にか『空を飛ぶ』の旋律が流れているのに驚いて、晃は目を開
けた。
と、眼前に美鈴が立っていた。
鴻女子大付属女子高校の、紺地の胸元に白いバラが刺繍されたウエスト丈の上着と、同
色の細い車襞のスカートを履いた美鈴は、二つに結んだ長い髪を振って、首をやや左に傾
ける。
「晃兄ちゃんのほうが、アデル杉山より上手だよ!」
にっこり笑う美鈴の、いつもと変わらぬ笑顔と仕草に、晃はほっと安心する。
ああ、なんだ、美鈴は生きているじゃないか。事故で死んだなんて、誰がそんな、途方
もない嘘を言ったんだ?
美鈴が「もっと歌って」と、晃の手を取る。妹の手は、恐ろしく冷たい。その冷たさが、
晃に愕然と現実を思い出させた。
——違う。美鈴は死んだんだ。
一年前に間違いなく、エアカーの事故で。晃は、美鈴の遺体を見た。切り刻まれ、粗大
ゴミ用パックに入れられた、美鈴の遺体を。
血塗れの、内臓を全て抜かれて、申し訳にもならない僅かなぼろを詰め込まれた、ぺち
ゃんこになった体を、母親と晃が絞ったタオルで綺麗に拭いた。事故で切断された両脚の、
骨と筋が飛び出した部分を、次兄と三番目の兄が布で覆い、美鈴が髪を結ぶのに使ってい
たリボンでそれぞれ縛った。
大事に着ていた、お気に入りの水色のワンピースを着せ、棺に移した美鈴の体は、驚く
程に軽かった。晃は、あまりに悔しくて、棺の縁を力一杯ぎゅうと強く握りしめた。
美鈴は、死んでいる。では、今、目の前にいるのは、誰なんだ?
晃は、半ば恐怖におののきながら、口を開いた。
「おまえは、誰だ?」
「美鈴よ」と、美鈴の姿をした《誰か》が答えた。と同時に《誰か》の形が変形する。
ぐにゃり……と、粘土細工を壊すように《誰か》が、ひしゃげる。全身から鮮血が迸り、
晃の足下に、見るみる血の池を作る。
晃は叫んだ。恐ろしさと悲しさが胸を占め、両手で長い髪を掻き毟りながら、目を見開
いて妹の名を叫んだ。
その間も、美鈴の姿の《誰か》は潰れ続ける。潰れながら《誰か》は、けらけらと、け
たたましい笑い声を上げていた。笑い声を止めさせたくて、晃は更に、喉が焼けるように
痛むまで叫んだ——
気が付くと、晃の目は、ぼんやりとした明かりを見ていた。
背中に硬いものが当たっていた。硬いものが床面である現実を理解するのに、数十秒も
掛かった。
晃は、どこか見知らぬ部屋の床に、仰向け状態で転がっていた。