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最後に出た笠井三等官が、静かに扉を閉めた。歩道の街路灯の明かりに照らされた、黄
色く塗られた地下道への扉を、晃はなにげなく振り返る。
扉の真ん中に、朱色の褪色防止剤入りの塗料で、大きく文字が書かれていた。
『これより内部は危険地域により、立ち入りを禁じる。公安』
いささか色が薄くなった、角ゴシックの『公安』の二文字は、書かれた年代など関係な
く、南外縁の凶悪なマフィアですら震え上がらせる、強力な呪文だ。
どうりで、扉の中の階段とトンネルの存在が、今まで誰にも見つからなかったわけであ
る。
おまけに、扉には外側のノブがなかった。恐らく、扉に文字を記した当時の公安が、ト
ンネルの存在を部外者に見られないようにと考え、外側のドアノブを取り外したのだ。
「念の入ったことだ」晃がなにを見ているのか気がついた麻生が、皮肉に唇を釣り上げた。
「自分たちが隠して、そのまま忘れ去った道を、まさか逆に使われるなどとは、やつらは
夢にも思っていなかったろうな。世界を、あの忌わしい城から眺めて、全て分かっている
顔をしていやがる」
麻生は、顎で歩道の先を指し示す。晃は、指された方角へ目をやった。
地上から上空へと光を放つ街路灯が、ぼんやりと夜空を曇らせている。薄靄が掛かった
ような景色の中に、真樹区センタービルが聳え立っていた。
「明かりが、点いてる」
晃は、目を見開いた。
夜は通常、街路灯の光をクリスタルの表面が乱反射するだけで、内側からの明かりなど
一つも見えないセンタービルが、今夜は窓という窓の明かりが全て、煌々と点いている。
「どうも、こちらを威嚇しているようですね。……あるいは、釣る気かな」
低い声で呟き、水原二等官はヘルメットの風防を下ろした。麻生はふん、と鼻を鳴らし
た。
「釣られてやるさ。——よく見ておけ。これから俺たちが乗り込む場所を。『神の代行者』
を気取り、世界を上から観ているつもりの、やつらの『城』を」
振り向き、晃の顔を見詰める麻生の目の強さに、晃は僅かに戦いた。己の中に生まれそ
うになるこれから先の展開への恐怖を押し込めるべく、晃は固く唇を引き結んだ。
水原二等官が、滑るように右隣のビルに向かって移動を開始した。晃たちも、水原二等
官に倣った。周囲を気を配りつつ、空に光を放射しているLEDの街路灯を避けて走る。
普段なら賑わっているはずの街路に、通行人が一人も見当たらない。気味の悪いほど静
まり返った街を、いつもと変わらぬ街路灯の明かりが照らす。
水原二等官は、目的の店のドアを押し開いた。「早く」と急かす声に、晃と浅野は更に
足を速める。
ちらりと見た3D・レーザー・ディスプレイの看板には『ファイヤー・ウインド』とい
う文字が書かれていた。ショット・バーか、ホワイト・ウインドと同じミュージック・パ
ブだろうと、晃は想像した。
店内は、はたして晃が思った通りのミュージック・パブだった。見慣れたリスニング・
チェアと、ほんの少しだけ、ホワイト・ウインドのものと形の違うカウンター。
ここは、いつもの職場なのではと、晃は束の間、錯覚する。
カウンターの前には、五人の保安官が立っていた。水原、笠井両特殊警邏隊隊員と同じ
型の防護服を着用した五人は、晃たちに気付くと声を上げた。