6
「恐れ入ります」厳粛な面持ちで、木村女史は浅野の母に再度敬礼した。
「中枢部が《奇跡の羽根》の活動に気付いた以上、もはや逃げ隠れはできません。私たち
も、死を覚悟して戦います」
黙って頷いた麻生の態度に、晃は、木村女史と麻生の覚悟も思い知った。
センターと戦うために。いや、理不尽で横暴なセンターという巨悪を生み出してしまっ
た、この世界と戦うために。
自分たちの存在を、人としての権利を、世界に認めさせるために。
妹の遺体を切り刻んだ連中を、殴り倒してやりたい。そんな自分勝手な理由で憤慨し、
かといって実際に戦う腹も決まらず、八木や麻生にただ突っ掛かっていただけの自分が、
晃は今更ながら恥ずかしくなる。
晃の心境を読み取ったかのように、麻生が言った。
「俺たちは、誰も世界を変えてやろうなどとか、悪を倒して名を揚げようなんて考えては
いない。ただ、守りたいだけだ。自分の存在意義ってやつを」
感情を押し殺した低い麻生の声音に「そうね」と静かに同意し、木村女史が晃を見る。
「私たちの戦いに大層な名分なんてない。皆、晃くんと同じよ。麻生さんの言った通り、
身近な人の、仲間の、人としての命を守りたいだけ。動機に大小なんてないわ」
薄茶色のスクリーン・グラス越しのアーモンド型の美麗な目が、微かに頬笑む。が、数
秒も経たぬ間に木村女史は、はっと目を見開いた。
「八木さんからの通信です。……ファイヤー・ウインドに、旧イーデルランド大使館に同
行していた仲間から連絡があり、浅野副局長は無事に脱出なさいました。それと、奥様方
をお迎えするエアカーが、こちらへ向かっているそうです」
「ああ。じゃあ、僕らも例の場所へ移動ですね」
ほっと安堵の笑顔で確認した浅野に対して、木村女史は「はい」と、真顔のまま大きく
頷いた。
「なら、一刻も早く上へ出たほうがいいですね」
「八木さんからの連絡では、エアカーが公安局を出たのは十分前ということですので、そ
ろそろ到着するかと……」
「それ、どういうことだよ?」
木村女史が元公安の一員だったのは、先の話でわかった。しかし、現役の公安局の人間
が、どうして浅野たちを迎えに来るのか。
晃の脳裏に、ちかちかと危険を知らせるシグナルが点灯し始める。
「なんで、公安が迎えに来るんだ?」
真樹区南外縁で生きて来た一年は、晃に『他人はまず疑え』という教訓を叩き込んだ。
優しげな顔をして近付いて来る人間ほど、手酷く裏切る。
病身の父と看病で過労気味の母を抱え、慣れない場所で苦労していた晃たち兄弟は、た
った数カ月で、幾度も親切の皮を被った野獣に騙された。僅かな蓄えも剥ぎ
取られ、一時期は父親の治療代どころか、食費にも事欠いた。
真樹区外縁という場所が、ことさら悪辣な人種を抱えているところだからかもしれない。
だが、追われる晃たち一家を見て見ぬ振りをした中奥区の人々も、本質は外縁の人間とさ
ほど違わない。
人間は所詮、自分さえよければ、他人の不幸など何とも思わない、冷酷な生き物なのだ。
自分や家族を守るのは、自分自身でしかない。
詰め寄る晃を、木村女史は冷静な眼差しで見返す。
「私たちの仲間には、公安局内の人間も多くいるの。晃くんには、きちんと話していなか
ったわね。……とりあえず、移動しながら話しましょう」
浅野の母と兄弟を促し、木村女史は地上へと続く階段を上り始めた。