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「そうか」と浅野は低く呟いた。
「だとすると、正面突破、するしかないか」
「地下は?」と喉元まで出かかったが、晃は声にしなかった。
真樹区の地下に二百年前のレリア・ウイルス感染者の遺体が封じられているのは、小学
生でも周知の事実だ。センタービルは、真樹区の中央である、地下道が通っていたとして
も、封鎖されている可能性が高い。
「正面突破なんざ、全く無謀だ」麻生は、鼻を鳴らした。
「せめて、裏口からの侵入だな。それでも、こっちは相当無理をしなけりゃならんが」
「そうね。でも、私たちも手を打っていないわけではないわ」
麻生の説明に納得する浅野の言葉を押し被せて、女の声が肯定する。鉄扉の方向からい
きなり聞こえた声に、晃たちは驚いて振り向いた。
「木村さん!」「由貴!」
同時に叫んだ晃と麻生に、木村女史は薄く笑って応えた。
「やはり、ここに来ていたのね。ファイヤー・ウインドに連絡を入れたけど、来ていない
と言われたから、もしやと思って」
近付いて来た木村女史の、大図書館の銀鼠色の制服の右袖が、大きく破れて血が滲んで
いるのに、晃は気が付いた。
「木村さん、その傷は……?」
驚いて尋ねた晃に、木村女史は「ああ、これ」と、顔色も変えずに軽く右腕を上げた。
「名誉の負傷、といったところね。公安の下っ端連中を相手に格闘したので、ちょっと。
大した傷ではないわ」
「相変わらず剛胆だな。重い鉄扉を音もなく開ける技といい、やはり、元公安特殊警邏隊
隊長だ」
無い片腕を擦るように右袖に触りながら、麻生が僅かに口角を引き上げる。
公安、と聞いて、晃はぎょっとする。
晃の様子には気付かなかったらしい木村女史は、隻腕の仲間に応え、艶やかな笑みを見
せる。
「では、あなたが《奇跡の羽根》のサブリーダーの?」
不意に、それまで黙って周囲の話を聞いていた浅野の母が口を開いた。
「はい。木村由貴と申します。浅野副局長の奥様には、お初にお目にかかります」
木村女史は美貌を引き締めて背筋を伸ばすと、いかにも元保安官らしく浅野の母に敬礼
をした。
「お立場上、我々の組織にご助力を頂くことは、ご自身が多大な危険を伴われるにも関わ
らず、浅野副局長には、大変お気遣い頂いております」
浅野の母は、やや困惑したような笑顔を木村女史に返した。
「……主人は人一倍、正義感の強い人です。補佐官の伊勢さんの調査で、センターがレリ
アDーiウイルス感染患者の生存者を不正に捕縛していると分かり、義憤を感じて動き出
しました。一度こうと決めたら、私たちが何を言っても聞かない人です。ですから、私も
子供たちも、主人に万が一の事態が起きた時の覚悟は、できております」
静かに、しかし、はっきりとした声で語った浅野副局長夫人の姿に心打たれ、晃はぎゅ
っと両の拳を握った。
覚悟を決めている。愛する夫が、家族が、正しいと思う意志を貫こうとするそのために、
兇刃に倒れても嘆きはしないと。
浅野と似た柔和な面差しの母の胸に、こんなにも強い意志があるのに、晃は驚愕と同時
に、深い感銘を覚える。