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渋々腰を上げ掛けた晃は、修理屋をリスニング・チェアから出すと、待機指示をして立
ち上がった。ふと、一番左側のリスニング・チェアに目が行った。
「いつもの人が、来てる」晃は、口の中で呟いた。
薄暗い店内では席に座った人物の顔までは、判然としない。まして、リスニング・チェ
アにはフードがあるため、誰という特定は通常できない。だが、「いつもの人」と晃が秘
かに呼んでいる人物には、他人にはない大きな特徴があった。
右腕が無いのだ。
傷口を隠すためか、暑い季節でも、真樹区の浮浪者たちと同じような、長袖の外套を羽
織っている。今も、椅子の背に凭れた姿勢の右側の袖の膨らみが全くないのが、真上のラ
イトの小さな光で分かる。
一度だけ、八木がこの人物を「麻生」と呼んでいたのを覚えている。麻生が帰った後、
好奇心からどういう人物かと問うた晃に、八木は、「幼馴染みだ」と、仏頂面で答えた。
八木の反応から、仲が良さそうとは到底思えなかったが、麻生はちょくちょく店にく
る。
本当に幼馴染みなのか? もしかしたら、ヤバい仕事の仲間ではないのか? などと、
勝手に想像を巡らせてみるが、さすがにそういった質問を八木にぶつけるのは躊躇われる。
そもそも、ここは真樹区南外縁。うさん臭い人間の終着点だ。八木が過去に何をして、
何故ここで店をやっているのか、本当は麻生とどんな繋がりがあり、何をしているのか、
詮索しないほうが身のため、という場所である。
晃は麻生から目を戻し、立ち上がると、イート・カウンターへと向かった。
リスニング・チェアとスタンド席を使用する客は、基本的に飲食はセルフサービスであ
る。飲み物はドリンク・マシンから、食べ物はイート・カウンターから受け取り、好きな
席へと移動する。
南外縁に限らず、塔経市内の飲食店で店内で調理を行うところは、まず皆無である。
飲食店だけではない、一般家庭でも、わざわざ材料を買って台所で調理をする家は、極
端に少ない。
理由の一つは、火事を出さないためだ。塔経市に限らず、周囲をオオトゲアレチウリに
囲まれたこの国の町や市は、水源を地下水だけという限られた場所からしか求められない。
火事を出せば鎮火するのに水が必要になり、その分だけ貴重な水資源を損なう。
化学薬品による鎮火という手段もあるが、薬品を作るためにも、水が要る。レトルトや
冷凍の加工食品ならレンジで温めればよく、火事の懸念は減る。
もう一つは、輸送コストの問題である。
生鮮食料は塔経市近郊の町で生産されている。
この国の唯一の交通手段であるエアカーの燃料は、エタノールである。原料は主に植物
で、麦やその他の穀類の茎や葉といった、食用ではない部分を原料としている。
しかし、元々の収穫数が少ない穀類だけでは賄い切れないため、建築廃材や材木の端材
というようなものも使用している。
それでも、大型の運搬用エアカーを頻繁に動かすには足りない。少ない輸送回数で食糧
を効率良く運ぶために、産地で加工して運搬するようになった。
スタンド席の一番右端にあるイート・カウンターに着くと、晃は中に首を突っ込んだ。