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晃が麻生や真樹区の浮浪者たちから嗅いでいる『匂い』を、尋香と呼ばれる例の女たち
も、同じように嗅ぎ取っている。
実際、尋香が晃と同様、麻生たちの『匂い』を花の匂いと感じているかは分からない。
だが、《羽化しても生き残った人》の特殊な『匂い』を嗅ぐことができるという点では、
全く同じだ。
ならば、晃も尋香なのか? そもそも、なぜ晃は麻生たちの『匂い』を嗅ぐことができ
るのか? 麻生たち《羽化しても生き残った人》は、なぜ特殊な『匂い』を発するのか—
—。
混乱する思考を纏めようと黙り込んだ晃に、麻生が「どうかしたのか?」と、訝しげな
表情を向けた。
我に還った晃は、はっと麻生の顔を見返す。
「いえ……。ちょっと驚いただけです。麻生さんたちに、そんな特徴があるっていうのが」
麻生は太い眉を僅かに釣り上げたが、「そうか」と無造作に返しただけで背を向けた。
「少し、喋り過ぎたな。……行こうか」
歩き出す麻生の背に付き従い、晃は気持ちを切り替えると、薄暗いコンクリートの道を
踏み締めた。
地下の道は、かなりな距離に亘って続いていた。横幅も広く、二十メートル近くある。
天井も相当に高い。等間隔で並んだハロゲンライトだけが頼りの道の両壁には、所々に
『シャトー・オブ・ウインド』の隠し階段と同じような階段が作られている。ただ、ほと
んどの階段はコンクリート壁や鉄板で、外への扉を塞がれていた。階段の脇には、換気口
であるらしい、四角く開けられアルミ格子が嵌められた穴が、必ずある。
地下道の途中には、いくつかの枝道が左右に走っている。何のための道なのか、よく分
からない。
壁から染み出した地下水の水溜まりを避けながら、晃は枝道が見える度に、その先を覗
き込んだ。
晃の興味の対象に気が付いた麻生が、足を止めずに説明した。
「この地下道は、約百九十年前に作られたらしい。オオトゲアレチウリが地上を覆い、陸
路の交通がほぼ寸断されたため、当時の人間が地下に交通網を築こうとして掘ったんだ。
だが、それも巧くは行かなかった」
麻生は、右手に見えて来た細い枝道を指差した。ハロゲンライトに照らされた奥を覗い
て、晃はぎょっと硬直した。
枝道には、入口から一メートルほどのところまで、オオトゲアレチウリがびっしりと詰
まっていた。
「地盤が弱く天井が落ちた箇所が、塔経市を出た辺りで幾つかある。天井が落ちた時、流
入した土砂とともにオオトゲアレチウリが流れ込んで来た。普通の植物なら、日の光がな
ければ枯れてしまう。ところが、オオトゲアレチウリは地上に繋がっている部分から栄養
を補給して、地下でも繁殖し続ける。この地下道に繁殖しているオオトゲアレチウリは、
四十キロ先の、さらに枝分かれした地下道の落盤箇所から伸びて来ている。知っての通り、
オオトゲアレチウリを除去するのは困難だ。なので、地下道工事は中断になった」
ほんの一瞬、麻生は苦々しげに顔を歪める。
光合成を地上の親株に任せた葉と茎は、鉄錆色に変色し、より硬質になっている。錆に
似た臭気が、鼻を突く。