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行き先は受付カウンターだった。八木はそこで晃の腕を放すと、司書の女性と話し始め
た。
「今日は、いい天気だな」
およそ普段の八木からは出ない台詞に、晃は仰天して八木の顔を振仰ぐ。が、その場で
突っ込むわけにもいかず、黙って見ていた。
「ついこの間、個人的に借りたものがあってな。今日そいつを返しに来たんだが、木村は
来てるかい?」
長い茶髪をきっちりと結い上げ、犯罪者情報確認用のコンピュータ内蔵スクリーン・グ
ラスを掛けた女性は、館内コンピュータ端末のタッチパネルを操作していた手を止めた。
「本日、木村は欠勤ですが」司書の女性は、そっと上目で八木を見上げる。
「そうかあ。そいつは残念だな。木村の電話番号を聞いておけばよかった」
八木は、いったい何の話をしているのか。木村などという人間は、晃は初耳である。
確かに八木は謎の多い人間で、仕事場以外の交遊は、殆ど晃たち従業員には分からない。
しかし、ものの貸し借りをするような間柄ならば、店で見掛けていてもおかしくない。
誰なのか、と尋ねようとした晃を、八木が後ろ手で制する。
司書嬢はメモを一枚さっと取ると、ボールペンでさらさらと何かを書いた。
「こちらが、木村の携帯の番号です」
「お、気が利くな。ありがとよ」
八木はメモを手に取ると、一瞥して女性に返した。
じゃ、と手を挙げると、再び晃の腕を引きカウンターを離れた。
またも引き摺られるように歩きながら、晃は自分を荷物かなにかのように扱う八木の態
度に、半ば怒りを覚えながら尋ねた。
「どこへ行くって言ってくれれば、そっちへ歩きますよ。俺だって小学生の子供じゃない
んだからっ」
抗議した晃の顔をちらっと横目で見ただけで、八木は無視して歩き続ける。
大図書館は正四角形をしている。八木は受付のカウンターからほぼ対角線にある扉に、
晃を引っ張って行った。
一見、壁の装飾かと思ってしまうような、四角形の幾何学模様を表面に彫り込んだ黒い
扉は、ちょうど宗教哲学の大きな棚の陰になっていた。宗教哲学という、一般には馴染み
にくい分野の棚の裏側とあって、扉の周辺には人気がない。
それでも八木は、身近に人がいないか、周囲を確認してから、右脇の壁に取り付けられ
ているタッチパネルの蓋を開けた。
素早く数字キーを押す。と、かちん、という小さな音が、扉の裏側から聞こえた。
八木はパネルの蓋を閉じると、黒い扉の中央にある銀色の丸い部分に触れた。
銀色の部分はタッチ式の開閉装置だった。黒い扉は、丸い開閉措置を半月に分けるよう
に、左右に開いていく。
開いた空間に、八木は晃を放り込んだ。文字通り、投げ込まれるように中へ突っ込まれ、
晃は危うく転びかけた。
「なにするんですか!」
自分も中へ入り、八木は自動開閉装置に触れ扉を閉めた。
「人を、いったい何だと……!」
日頃の人使いの荒さもある。ここは人気のない場所でもあるし、この際ぶちまけてやろ
うと、晃は八木を睨上げた。
八木は、晃に冷たい目を向ける。
「俺に切れるのは構わんが、千載一遇のチャンスを、そんなつまらん怒りでふいにしよう
とするなら、おまえもいい加減、頭の悪い男だな」
かっと頭に血が上る。掴み掛かった晃の手を、八木は、やすやすと掴み返した。
「遊んでいる暇はない、と言ったはずだ」
冷徹な声で眉ひとつ動かさず告げると、八木は、晃の手を放す。己の勢いに押された晃
は、つんのめって前の棚に体をぶつけた。
「ってえ」晃は、一番強くぶつけた右肩を擦りながら、棚に寄り掛かる。
「資料は全部、検索システムで探さないと、閲覧できない」
晃の気持ちなど全く意に介さず、八木は中に向かって進んでいく。
アンドロイドよりも機械的な表情で周囲を見回す上司に、晃は心底むかっと怒りを覚え
た。