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受付の、旧型のアンドロイドが、現在では古めかしいコンピュータの音声で外来患者が
来たことを告げた。
それを聞いて、晃は帰宅すると飯山に告げた。
「こめかみと額の他には外傷ないし」
飯山医師は優しく微笑んだ。
「そうですね。長々お引き止めしました。お大事に」
麻生が拾っておいてくれた買い物袋を受け取り、受付に向かう。治療代を聞くと、アン
ドロイドは八木宛に請求書を書くからよいと答えた。
医院のある場所を簡単に教えてもらい、晃は日暮れの南外縁に出た。
南外縁は、昼と夜とでは顔が変わる。風見通りという大通りにしても昼は人通りも少な
く、埃っぽい歩道には酔っ払いや浮浪者、果ては死体が転がっている。
南外縁公安局は一応、死体は回収する。が、後の面倒は見ない。遺体の身元調査や遺族
への通報は、全て民間ボランティア団体に任せている。ボランティア団体といえば聞こえ
がいいが、中身はマフィアである。マフィアは、人手不足を理由に公安局が丸投げした仕
事をただで引受ける代わりに、裏で身元不明の死体を臓器業者や医療会社に違法に売り付
けている。
もちろん、公安局の担当官には、たっぷり『報酬』も払っていた。
死んだような昼の顔とは一変して、南外縁の夜は活気に溢れる。
風見通り沿いのビルの中の店は、夕方から開店準備を始め、七時を回る頃に店を開ける。
店の大半は飲食店や風俗店である。晃の勤めているホワイト・ウインドも、夕方五時か
ら開店する。
夕刻を感じ取った屋外灯制御コンピュータが、路面のLEDライトを点灯させる。
開店準備に忙しい露天商の、仄かに黄色の明かりが灯る路上に広げられた品物を跨ぎ、
晃は裏路地を家路へと向かった。
入口が壊れた廃ビルの前に小さな屋台が数軒並んだ辺りに差しかかった時。急に首筋に
視線を感じた。
晃は振り返ろうとして、ふと、麻生の言葉を思い出した。
『監視されてると分かっても、無視してるほうが利口だ』
頭の悪い子供に言うような口調も蘇って、消え掛けていた怒りもぶり返す。とはいえ、
先刻、不意打ちを食らったのは事実であるし、ここは大人しく忠告を聞くことにする。
背後の視線に気を配りつつ、ゆっくりと路地を進みながら、晃は飯山医師の話と、これ
までの経緯を頭の中で整理してみた。
一週間前、店に飛び込んで来たコリンを保護した。重傷の手当をし、三日後に意識を取
り戻したコリンを、浅野の家に預けた。
そして今日、見舞いに行った晃が、帰りに見知らぬ女たちに襲われた。襲ってきた女た
ちは、麻生と浅からぬ縁があった。
麻生は十二年前のレリア・Dーiウイルス感染者で、しかも『羽化』しながら生き残っ
た一人だった。
『羽化』の生存者がいたという事実だけでも驚きなのに、何の目的かは分からないが、生
存者を捕獲しようとしている組織があり、以前その手先らしき例の女たちと争い、麻生は
右腕を失った。
不意に、風が晃の長い髪を掬った。晃は足を止めた。
女たちがこのタイミングで現れたのは、間違いなくコリンに関係している。女たちは、
恐らくコリンの怪我にも関与している。だが、コリンの件だけで、晃や浅野の周囲を探っ
ているのだろうか。もし、他に目的があるのだとすれば、それは何なのか。
「もしかして、俺たち、大変な事態に巻き込まれたのか?」
相手は、麻生の腕さえ落とす非情を持っている。コリンは致命傷になり兼ねない傷を負
わされた。
晃は、路上灯が薄闇を照らす空を見上げた。
じわじわと空恐ろしさが心中から込み上げ、思わず呟いた問いは、春の夜風が空へと聞
き届けた。