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空を飛ぶ  作者: 林来栖
第二章 風に問う
21/113

8

 結局、来る前に懸念した、浅野の父と鉢合わせるような事態も起こらず、晃は浅野の家

を辞した。

 バイトも休みで、特に行く場所もなかった晃は、南外縁の外れのマーケットで食料品を

買って帰路についた。

 晃の一家の住居である古いビルは、所得の低い者が集まる南外縁でも、特に低所得者が

住まいを求める街区にある。

 二百年前の古い土地面積建築制限法のせいで、他と比べやけに細長いビルは、旧式のコ

ンクリート造りの上に、当時の最新技術である強化クリスタルのタイルが貼られている。

しかし壁面は、年月と、工事の手抜きのためだろう、ほぼ半分のタイルが剥落して久しい。

 巨大な灰色の無骨な面にまばらに貼付いたクリスタルが春の日差しを弾くさまは、泥の

中に落ちた宝石のようだ。

 外扉へと続く三段あまりの階段は、表面を滑り止め加工をしたセラミックが貼られてい

るのだが、セラミックの中央がすり減り窪んでしまっている。禿げて変形した階段を上り、

晃は外扉の、光沢のなくなったチタンの棒状の取っ手に手を伸ばす。

 扉を引き開けようとした晃の目の端に、ちらりと人影が映った。

 このビルは、表通りから伸びた細い路地の突き当たりにある。路地を囲んでいる他のビ

ルは、表通りに向かった面にしか出入り口はない。左右を別のビルで囲まれた行き止まり

の路地上で、現在もし自分以外の人物がいるのならば、それは間違いなくこのビルの住人

か、住人を来訪して来た人間である。

 当然、晃は知り合いだろうと気楽に振り向いた。が、背後には人どころか、よくその辺

りで遊んでいる野良猫の姿もない。

 思えば足音が全くしなかった。人影を見たと直感したのは、錯覚か?

 路地の長さは十五メートル程。何らかの理由で晃に見られたくなくて、当該の人物が表

通りへと逃げたとしても、すぐに表通りへ出られる距離ではない。

 晃は、動体視力はいいほうだと自負している。見間違いではないのなら、では、自分は

何を見たのか?

 用心深く、ビルの下から上までゆっくり見回す。と、右側の屋上から、こちらを見下ろ

している人影があるのに気が付いた。

 逆光で、顔形まではわからない。細いシルエットは女性であることを示しているが、年

齢までは判別ができない。それでも晃は、その人物がコリンのように思えた。

「コリン……?」                                

 呟き声の呼び掛けか聞こえたとは思えないが、人影は晃の声に合わせたように、すっと

屋上の端から消えた。

 晃は走り出した。つい先刻、浅野の家で会ったばかりのコリンが、まさか自分の家の近

くまで来ているとは思えない。が、どうしてもコリンだという感覚が拭えない。

 目の端に見えた人影はひとまず忘れ、屋上の人物がコリンかどうかを確かめるため、表

通りへ出てビルの入口を潜った。エレベーターホールの天井照明が故障しているらしく、

古めかしいタッチパネル式のエレベーターボタンが、玄関から入る日光のみの仄暗い中に、

やけに明るい。

 けばけばしい光を放つ青いボタンを押すと、透明なボックスが上階から降りて来る。

 透明セラミック製のボックスの扉が開き、晃が乗り込もうとした時。エレベーターの左

側にある階段から、靴音がした。

 階下へと向かって来る足音に、晃は閉まりかけたエレベーターの扉を慌てて押さえる。

降りて階段へと急いだ。

 建設当時の美しい乳白色が微かに残る、かなり汚れた円筒形の手すりの端を掴もうとし

た時、階上から降りて来た人物と目が合った。

 足音の主は、女性だった。ベージュの、膝下までの丈の合皮のコートを着た、長い白髪

の女性は、赤い瞳をぴたりと晃の目に据えている。

 コリンと同じ髪と瞳の色に、晃は一瞬たじろぐ。

「……コ」リン、と続くはずの言葉を、しかし晃は最後まで発せなかった。右側頭部に鈍

い痛みを感じ、晃はその場に倒れた。

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