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その時、バックヤードの扉が開いた。入って来た人物は、昔ながらの膝まで丈のある白
いドクタースーツを着ていた。
近年の医師は、大方が動きやすさを重視した、体にフィットした上着とズボンのツーピ
ースを着ている。色も白というのは少なく、花緑青か青緑が主流である。
晃は、今時ちょっと貴重な、古めかしい出で立ちの医師を、思わずまじまじと眺めてし
まった。
麻生といい、この医師といい、八木の知り合いには妙な人間が多い。
医師は晃の不躾な視線に気づき、目を向ける。意外と若い顔が、真面目な声で尋ねた。
「怪我人は、この女の子ですか?」
「あ、はい」と、浅野が答えた。医師は黙って頷くと、少女の側に足早に寄る。
首に手を当て脈を採る。続いて傷を診るため、晃が掛けたタオルを退けた。
服の下半分を染めている血を確認し、医師は眉をひそめた。
「服を、切らなきゃならないな」
医師は、これも今時では珍しい、往診用の黒い革鞄の金具を外した。中から大きなハサ
ミを取り出す。どうするのかと見守っていた晃たちの目の前で、医師は少女の白いワンピ
ースを無造作に切り裂く。
「傷口に布が貼り付いてしまっている。すみませんが、このタオルを濡らして来て下さい」
剥いだタオルを渡されて、晃は慌てて休憩室脇のキッチンに飛び込んだ。
流しに、タオルを突っ込む。水が貴重な塔経市では、カランの切り替えが通常とミスト
になっている。タオルのような生地を濡らす場合には、普通はミストを使用する。
十分に濡らして戻ると、医師は貼り付いた服の上からタオルを当てた。乾いた血が水分
を含んだところで、ゆっくりと捲り上げる。
服の下から現れた少女の細い体は、脇腹から下腹にかけて、ざっくりと切られていた。
桃色の大腸が僅かにはみ出して見えるのに、晃は生理的嫌悪を覚え、手で口を塞ぐ。
「この傷で……。よくその場で失神しなかったものだ」
医師は内臓の損傷と、少女の意識がほとんどないのを改めて確かめると、鞄の中から今
度は手術用の手袋と、縫合用のステープラーを取り出した。
「すみませんが、どちらか助手をお願いします。思ったより裂傷の範囲が大きいので」
「あ、じゃあ、俺が」
浅野が手袋を受け取り、少女の傍らにしゃがむ。医師は浅野に傷口を摘んでいるように
指示した。
かちん、という軽い音を立てながら、医師が手早く傷を縫合していく。針に使われてい
る物質はビタミンとコラーゲンの化合物で、時間が経つと人体に吸収され、なくなってし
まう。
傷を塞ぐ作業は、ほんの十分ほどで終了した。
医師はもう他に傷がないか調べ、晃に先ほどのタオルで少女の体を拭くように言う。
場所を空けてくれた浅野に代わって、少女の側へ膝を着いた晃は、華奢な体を濡れタオ
ルで、ゆっくりと拭った。
見知らぬ女の体を触っているのに、なぜか不思議と、いやらしい気持ちにはならない。
晃も成人男子である以上、年頃の娘の裸体に反応してもおかしくない。が、この少女の
体には、性的な感情よりも、幼子に対する愛しさや懐かしさが、強く込み上げてくる。
自分の気持ちの不可思議さに惑いつつ、晃は少女の肌にこびりついていた血糊をあらか
た拭き取った。
すっかり綺麗になった少女の体を見て、晃は驚いた。
たった今、縫合した裂傷の他にも、白い体には無数の縫合の痕があった。明らかに手術
の跡と思われる、真っすぐに切られた古い傷は、胸や腹部を縦横に走っている。
「これ、は……」
「施術の痕だけど、ずいぶんと箇所が多いですね。切開の仕方から見て、多臓器移植じゃ
ないかと思いますけど」
疑問を明確に口にしなかった晃に、医師は少女の傷に接合促進剤と除菌剤付き粘着ガー
ゼを貼り付けながら、淡々と答えた。
「なにか、重篤な病気だったと?」
「こういった施術ケースですと、普通は考えられますが……。詳しくはこの娘さんを精密
検査してみないことには分かりませんね」
動けるようになるまで二、三日はかかる、と医師は言って、往診用の革鞄を持ち上げた。
「とにかく今は動かせないので、このままに。なるべくなら、誰か一人は付き添っていた
ほうがいいんですが。その辺りの話は、僕から八木さんにしておきます」
言い置いて出て行った医師の背に、晃と浅野は同時に「ありがとうございました」と頭
を下げた。