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空を飛ぶ  作者: 林来栖
第九章 空を飛ぶ
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8

 紺色の長袖のジーンズシャツを着た浅野の背に、鳥の翼のように見える巨大な羽根はな

い。本当に出し入れができると見え、普段は、着衣だと全く普通人と大差がないのだ。

 浅野の後ろには、柳原博士がいた。柳原博士は、奥平たちと同じく、羽根を隠すための

長い上着を羽織っている。

 ただし、以前のような重そうな外套ではない。このラボで開発された、植物繊維ででき

た軽くて薄い素材の上着だった。

 柳原博士や奥平たち《奇跡の羽根》のメンバーの羽根は、三ケ月前に晃の『声』によっ

て変異して以来、通常は以前と変わらない形状だが、飛ぶ時には上へ開くようになった。

 晃は、柳原博士に会釈すると、浅野の肩に手を乗せた。

「久しぶり、でもねえか。ここんとこ、忙しくて、会っても話してなかったな」

 晃の声は、喋る時はほぼ以前と変わらない。柳原博士の検査では、多重音になる理由は、

声帯膜が、通常より部分的に厚みを増し、笛状の細かい突起ができ、その突起に空気が通

るためだという。古楽器の笙に似た仕組みである。

 普段の会話程度では、笛状突起はできない。ところが、歌うと、笛状突起が形成され、

多重音となる。

 晃の言葉に、浅野は「そうだな」と、笑った。

「俺は、二週間くらい、父とG—2ポイントへ行ってたんだ。——ああそう、それで」と、

浅野は奥平に向き直る。

「兄から、G—3ポイントへ、連絡が入りました。中央は、先生の要望書を全面的に受諾

する方向で、一致したようです」

 奥平の要望書の内容とは、晃は口頭で聞いただけだが、『真樹区外縁住人への差別の撤

廃』と『免疫センターの解散』の二つだ。

 もちろん、奥平の要望書を受諾するよう中央に強力に働きかけたのは、浅野の父だ。

 奥平は浅野公安局副局長と、今回の一連の攻防の以前からずっと水面下で連絡を取り合

っていた。

 晃と、妹美鈴の件も、奥平から晃の『声』の重要性が浅野の父に伝えられ、やはり晃が

推測した通り、浅野の父が、元保安官で一番信用の置ける八木に、晃を八木の店で雇い、

身の安全を計るように指示していた。

 ただ、G—1ポイントに到着して、落ち着いた頃に麻生に訊ねたところ、晃の『声』の

重要性を具体的に把握していたのは、奥平と柳原博士だけだった、という。麻生たち《奇

跡の羽根》のメンバーには、晃のことは「妹の件で中央に不信感を抱いている、重要な協

力者」と、伝えられていた。

 晃の『声』の特殊性がメンバーに教えられなかったのは、恐らく、柳原博士にしても、

オリジナルの《尋香》という存在がどういうものなのか、まだまだ解明しきれていないの

で、明解な説明が難しく、メンバーに混乱を招き兼ねないと判断されたためだろう。

 もっとも、《羽化しても生き残った人》の大半が、晃の『声』の貴重性は察知していた

らしい。

「これで、漸く十二年前の悪夢から、皆が解放されるな」

 浅野の報告を聞いた奥平は、深く頷いた。

「兄も《YT—2》も、浮かばれますよ」

 柳原博士の、安堵とも諦めともつかないような声音に、晃は少し胸が痛んだ。

 柳原博士のクローンだった《YT—2》は、尋香と同じく、晃の『声』で死んだ。柳原

博士自身、人工子宮で誕生しているのだが、《羽化しても生き残った人》となったために

死を免れたのでは、と柳原博士は推測した。

 が、実のところは、遺伝子と細胞の詳細なデータを見なければ分からない、という。

 更に、オリジナルの《尋香》である晃の『声』が、人造人間の尋香に死をもたらしたメ

カニズムも、これからの研究課題だ。

 奥平が、穏やかな顔で、柳原博士に頷いた。

「世界は、我々の知らないところでダイナミックに変貌している。何もかも把握した積も

りで、神の代行者を気取っていた免疫センターが解体され、新しく様々な角度からの研究

が進めば、人間も少しは自然の偉大さに、本当に近付けるかもしれないね」

「この羽根も」と、奥平は、皺の多い手で、自分の背中を叩いた。

「自然と融合しようと、人が模索した結果なんだろうね」

「浅野、少し、外歩くか?」晃の誘いに、浅野は柔らかく笑んで頷いた。

 晃は、観察室の大窓の左脇の扉から、庭へと出た。

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