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空を飛ぶ  作者: 林来栖
第一章 空に歌う
10/113

10

 間もなく浅野は、バルバットを手に出てきた。

「悪い。なんだかんだ言っといて、結局、巻き込んで」

「気にすんなって。じゃ、行こうか」肩を叩かれ、晃は「おう」と小さく返した。

 晃がバンドの穴埋めをすることになったため、ミキシング・マシンの起動は別の店員が

代わった。

 今日の出演を予定していたバンドは、南外縁で人気の高いアマチュアバンドで、二十代

から三十代にかけて多くのファンがついている。ネット配信ランキングでも、アマチュア

ながら中奥区のプロを押さえ、最近ベストテン入りしていた。

 つい先刻まで、がらがらの空白だらけだった店内は、店のサイトを見てバンドが出演す

る時刻に合わせて入店した客で、ほぼ満杯である。

 客の数が多くなると、リスニング・チェアは自動でリクライニングを戻し、セラミック

・フードを背もたれに畳む。さらに客の了解を得て、八木がリスニング・チェアを、手動

で、一台ずつ右端に縦に並ぶようコンピュータを打ち込んでいく。

 客を乗せたまま静かに移動するリスニング・チェアの開いた位置に、八木は手早く丸椅

子を並べる。

 この店では、こういった作業はほとんど人力である。

 中奥区の、たとえばジェノバのような有名なミュージック・パブでは、生演奏の際邪魔

になるリスニング・チェアの片付けや配置換え、床面収納などは、店内全てを管理する学

習型のメイン・コンピュータが、全て行う。

 が、真樹区南外縁のしがない個人経営のホワイト・ウインドには、そんな設備はない。

 浅野をステージの袖に残し、晃は八木の作業を手伝う。並べられた先に客が次々と椅子

を埋めていくのを横目で見ながら、晃は自分が上がっているのに気が付いた。

「やばい……。こんな大勢の前で歌ったことなんて、俺は一度もないぞ」

 満杯の客が収まったところで、店長からバンドが事故に巻き込まれて今日の出演はなく

なった、というインフォメーションが流された。

 客のブーイングが上がる中、晃と浅野は代わりのバンドが来るまでの繋ぎだという八木

の説明に押され、ステージに上がる。

 照明を落とした店内でも、入口に近い辺りの客が出ていくのが見える。それは仕方ない

よな、と思いながら、晃はステージ脇に残っていた丸椅子を二つ持ち出し、間隔を少し開

けて、中央に設置した。

 バルバットを抱えた浅野が「ありがと」と小声で囁く。              

 大学のサークルの演奏でさすがに慣れているのか、浅野に上がっている様子はない。落

ち着いている浅野に、晃も緊張の糸が解れてきた。

 どうせ、客は自分たちに期待はしていないのだ。だったら、気楽に歌えばいい。

 腰掛けた浅野がバルバットの内蔵コンピュータを起動させる。両耳につけたミキシング

・マシンに直結しているイヤホンで、音を確認する。

 晃も声を出して確認した。

「ワン・ツー」

 浅野が歌い出しの合図を送ってくる。事前の打ち合わせなどしていない。が、曲は決ま

っている。スカイボーイの『空を飛ぶ』だ。

 晃は、ニューエイジ・ミュージックの流れを汲むスローな歌い出しを、静かに、しかし、

強い気持ちで歌う。

「『緑の蔦の海の中に、僕らは生きている……』」

 途端、客のブーイングと話し声が止んだ。

 トレモロを混ぜた浅野の柔らかいバルバットの音色に絡む晃のハスキーボイスが、清冽

な詩を刻むように流れる。

 ステージを正面にした店の左右の壁面に吊るされたカーテン状のディスプレイに、ミキ

シング・マシンが選択した映像が映し出される。青を基調にした幾何学模様の光が晃の声

とバルバットに反応し、踊りながら仄暗い室内を、微動だにせず歌に聞き入る客たちの表

情を照らす。

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