第9話 逆転の光
控訴審の法廷は、
一審とは違う空気に満ちていた。
佐伯慎一は、
弁護士の隣に座り、
緊張で手を握りしめていた。
——まだ終わっていない。
——まだ逆転できる。
弁護士は、
小声で囁いた。
「佐伯さん。
一審の“モバイルバッテリーの位置情報”は、
犯行そのものの証明にはなりません。
あれは“現場にいた可能性”を示すだけです。」
佐伯は、
その言葉にわずかな希望を感じた。
「……じゃあ……
俺は……助かる……?」
弁護士は頷いた。
「可能性はあります。
位置情報だけでは有罪にできない。
あなたが“犯行を行った”という直接証拠が必要です。」
佐伯の胸に、
久しぶりに温かいものが灯った。
——助かるかもしれない。
——俺はまだ終わっていない。
***
控訴審が始まった。
弁護士は堂々と主張した。
「位置情報は、
被告人が“現場付近にいた”ことを示すに過ぎません。
犯行を行った証拠にはなりません。」
裁判官たちは静かに聞いていた。
検察側は、
一審の証拠を淡々と並べたが、
弁護士の反論は鋭かった。
佐伯は、
胸の奥で小さく祈った。
——頼む……
——頼む……
——逆転してくれ……。
***
そして、
控訴審の後半。
検察側が、
新たな証拠を提示した。
「被告人の犯行を直接裏付ける、
決定的な証拠が見つかりました。」
佐伯の心臓が跳ねた。
——まさか……
——まだ何か……?
弁護士が眉をひそめた。
「……何ですか?」
検察官は、
机の上に一枚の紙を置いた。
それは——
佐伯の“スマートウォッチの睡眠ログ”だった。
佐伯は意味が分からず固まった。
「……え……?」
検察官は淡々と説明した。
「被告人は犯行当日、
“深夜0時〜朝6時まで睡眠”という
SNSの予約投稿を行っていました。」
佐伯は震えた。
——アリバイのために……
——予約投稿した……
——あれだ……。
検察官は続けた。
「しかし、
スマートウォッチの睡眠ログには——」
裁判官が資料を読み上げた。
「被告人は、
犯行推定時刻の22時〜23時の間、
“心拍数が急上昇し、
激しい運動を伴う覚醒状態”にあった。」
傍聴席がざわついた。
佐伯は、
椅子の上で崩れ落ちた。
——そんな……
——そんな馬鹿な……
——俺……
——時計……外してなかった……?
検察官は淡々と告げた。
「被告人は、
犯行中にスマートウォッチを外すことを忘れていました。
そのため、
犯行時刻に“激しい運動と心拍数の上昇”が記録されていた。
これは、
被告人が“睡眠中ではなかった”ことを示す
直接的な反証です。」
佐伯は、
頭を抱えた。
「……俺……
そんな……
そんなことで……?」
弁護士は青ざめていた。
「……これは……
アリバイの崩壊どころか……
犯行の裏付けになり得ます……」
佐伯の視界が揺れた。
——俺の……
半年間の準備が……
完璧だったはずの計画が……
こんな……
こんな馬鹿みたいなことで……?
裁判官は静かに言った。
「控訴を棄却します。」
佐伯の世界が、
音もなく崩れ落ちた。
——俺は……
——俺は……
——スマートウォッチを……
——外し忘れただけで……。
***
だが、
それこそが——
凡人の完全犯罪の“最後の穴”だった。




