第8話 くだらない決定打
取調室の空気が、
急に重くなった。
刑事が机の上に置いた写真。
それは——
佐伯が毎日使っていた “ある小物” の写真だった。
黒い、細長い、
どこにでもあるような——
“スマホの充電用モバイルバッテリー”。
佐伯は、
その写真を見た瞬間、
意味が分からず眉をひそめた。
「……え……?
これ……?」
刑事は淡々と頷いた。
「そうです。
あなたが昨日も持っていた“モバイルバッテリー”です。」
佐伯は混乱した。
——モバイルバッテリー?
——ただの充電器だろ?
——何の関係が……?
刑事は、
資料をめくりながら説明した。
「このモバイルバッテリー、
“落とし物防止タグ”が内蔵されているタイプなんですよ。」
佐伯の心臓が跳ねた。
「……え……?」
刑事は続けた。
「最近のモデルは、
“スマホとBluetoothで常時接続”されていて、
一定距離離れると自動で“位置情報をクラウドに送信”するんです。」
佐伯は、
椅子の上で固まった。
——そんな……
——そんな機能……知らなかった……。
刑事は淡々と告げた。
「あなた、昨日スマホの電源を切りましたね。」
「……はい……」
「でも、
モバイルバッテリーは電源を切っていなかった。
そして、
スマホの電源が切れた瞬間、
“紛失した”と判断して自動で位置情報を送信した。」
佐伯の視界が揺れた。
「……ま、待って……
そんな……
そんな馬鹿な……」
刑事は、
机の上にログを並べた。
・村井の後をつけて歩いたルート
・路地に入った時間
・犯行推定時刻
・逃走ルート
・帰宅時刻
すべてが、
モバイルバッテリーの“紛失防止機能”によって記録されていた。
佐伯は、
頭を抱えた。
「……俺……
そんな機能……知らなかった……
ただ……
充電が不安で……
持ち歩いてただけで……」
刑事は静かに言った。
「ええ。
だからこそ、
“完全な盲点”だったんでしょう。」
佐伯の肩が震えた。
——俺の……半年間の準備が……
——完璧だったはずの計画が……
——こんな……
——こんな馬鹿みたいなことで……?
涙がこぼれた。
凡人が、
凡人らしい“穴”で破綻した瞬間だった。
***
裁判は淡々と進んだ。
検察は、
動機、準備、実行の痕跡を提示した。
だが、
決定的証拠として提出されたのは——
モバイルバッテリーの“紛失防止ログ”。
裁判長は読み上げた。
「被告人は犯行当日、
スマートフォンの電源を切ったが、
携帯していたモバイルバッテリーが
“紛失した”と判断し、
自動的に位置情報を送信していた。」
傍聴席がざわつく。
佐伯は、
顔を覆った。
——そんな……
——そんなくだらない……
——そんなことで……?
裁判長は続けた。
「被告人の計画は周到であったが、
“モバイルバッテリーの自動紛失防止機能”という
極めて初歩的な盲点によって破綻した。」
佐伯の肩が震えた。
涙がこぼれた。
——俺は……
——俺は……
——こんな……
——こんな馬鹿みたいなことで……。
判決が読み上げられる。
「被告人を、懲役——」
その声は遠くに聞こえた。
佐伯の頭の中には、
ただ一つの言葉だけが響いていた。
“完全『有』欠”
完璧を求めた凡人が、
たった一つの“有る欠け”で破綻した。
それは、
あまりにもくだらない、
あまりにも凡庸な、
あまりにも“凡人らしい”決定打だった。
***
だが、
それこそが——
凡人の完全犯罪の“穴”だった。




