第11話 完全有欠
刑務所の朝は、
驚くほど静かだった。
佐伯慎一は、
薄い布団の上で目を開けた。
天井は低く、
壁は無機質で、
窓は小さく、
外の空気はほとんど入ってこない。
だが、
その静けさは、
かつての“決行前夜の静寂”とは違っていた。
あの夜の静寂は、
恐怖と緊張で胸を締め付けた。
今の静寂は、
ただ——
何もない。
佐伯は、
ゆっくりと身体を起こした。
手首には、
もう手錠の跡は残っていない。
だが、
心には深く刻まれていた。
——俺は……
何をやっていたんだろう。
半年間、
完璧を求め続けた。
恐怖に追われ、
凡人のくせに、
凡人らしくない“完璧”を夢見た。
だが、
最後に自分を裏切ったのは——
モバイルバッテリーと、
手袋の置き忘れ。
あまりにもくだらない。
あまりにも凡庸。
あまりにも“自分らしい”。
佐伯は、
小さく笑った。
「……完全『有』欠……か……」
自嘲の笑いだった。
完璧を求めた凡人が、
“有る欠け”で破綻した。
その皮肉が、
今になって胸に刺さる。
***
昼食の時間。
食堂に向かうと、
他の受刑者たちがざわざわと話していた。
「おい、あれが例の“完璧犯罪マン”か?」
「いや、完璧じゃなかったらしいぞ」
「手袋忘れたんだってよ。アホだな」
「スマートウォッチも外し忘れたらしい」
「凡ミスのオンパレードじゃねぇか」
笑い声が起きる。
佐伯は、
その声を聞きながら、
静かに席に座った。
怒りはなかった。
悔しさもなかった。
ただ——
虚しさだけが残った。
——俺は……
何を守ろうとしていたんだろう。
完璧な計画。
完璧な準備。
完璧な実行。
そのすべてが、
“凡人の盲点”で崩れた。
そして今、
自分はただの“笑い話”になっている。
それが、
何よりも痛かった。
***
夜。
独房に戻ると、
佐伯は小さな窓から空を見上げた。
星は見えない。
月も見えない。
ただ、
暗闇だけが広がっている。
だが、
その暗闇は、
もう怖くなかった。
恐怖は、
すべて終わった。
完璧を求める必要もない。
誰かに怯える必要もない。
自分を守る必要もない。
ただ——
静かに呼吸をするだけでよかった。
佐伯は、
小さく呟いた。
「……俺は……
最初から……
完璧なんかじゃなかったんだな……」
その言葉は、
独房の壁に吸い込まれた。
そして、
静寂が戻った。
完全でもなく、
無欠でもなく、
ただ——
“有る欠け”を抱えたまま。
凡人の人生は、
静かに幕を閉じていく。




