7話
包帯を取り替える。少しでも傷を清潔に保つために。
どうやら魔術の施されたナイフで刺されたものらしく、治癒魔術が効かない。
針で縫い付けて自己回復を促すしか手立てはなかった。
青白い肌に浮かぶ生々しい傷に触れる。
癪だった。
自分以外が、この肌に傷をつけたのが許せなかった。
やはり、あの時殺すべきではなかったかもしれない。
生かして、炙るように苦しめておいた方が気持ちが晴れただろうか。
ガーゼ越しの傷口に触れたとき、ロジーナの顔が僅かに歪む。
「痛いかしら」
「わざとやってるくせして。
本当に性格が悪い」
ヴェラは、すっかりと血の気の引いた頬を撫でる。
冷たい。秋の夜風に晒された肌は、陶器の人形のように冷たい。
だが、その柔らかさは間違いなく人間のそれだ。
仮面が剥がれた。
「やっと戻ってきた。
ふふ、どうして今まで強がっていたの? 本当に人形になってしまったかと思ったわ」
「貴方が喜ぶのが癪で仕方なかっただけ。
それ以上に理由がない」
「そう」
ヴェラはほくそ笑む。
この女は理解していない、そう直感したのだ。
何をしても表情一つ変えないのも、燃え上がる殺意を殺したのも、全て、全て!
私の為だったのだから。
虚空を映していると見せかけて、ずっと、ずっと、ヴェラだけを見ていた。
その事実に、感激したのだ。
「愛しくて、愛しくて仕方が無いわ、貴方のこと……」
「その『愛』とやらは、所詮愛玩動物に向けられるものでしょう。
屈辱的」
「何でもいいでしょう。
愛にレッテルを貼るだなんて、ナンセンスよ」
二人の距離が、緩やかに縮まった。
額同士をくっつけ合い、唇を傾ける。
ヴェラが柔らかな肉の間に舌を差し込んだ。その時だった。
舌先から頭まで、稲妻のような衝撃が走る。
痛み、苦み、甘み。
全ての味覚が入り交じるような、強い味。
本能的に感じる。
これは毒だ。
反射的に離れようとするが、体に力が入らない。
魔術を使うにも、この至近距離では自分自身にも被害が及ぶ。
してやられた。
ヴェラはそのまま押し倒され、今度は逆に舌を押し込まれる。
布ずれの音と、声にならない歪な呻き。
そして淫靡な水音。
初めのうちこそ、激しく重なり合っていたソレは、時間が経つにつれ徐々に静かになっていく。
「……っは」
顔を上げたのはロジーナだった。
口の端から唾液を滴らせ、組み敷いた魔女を見下ろす。
「……最高、ふ、ふふ……」
そう笑うヴェラは既に瀕死だった。
その身を侵すのは、特別に調合した即効性の毒薬だ。
あの日、この女の感情を知った日から。
ずっとずっと、ロジーナはこの瞬間を待っていたのだ。
「全部、私の為、だったのね」
「いいえ。恋人の仇のため」
「……それでもいい。
この数ヶ月、頭の中は私で一杯だったんでしょう。
それで、十分」
薄ら笑いを浮かべるヴェラの呼吸が、徐々に緩やかになっていく。
「ロジー……」
近づく今際の際。彼女は愛に手を伸ばす。
そして、その濡れた頬に触れようと試みる。
だが、指先が肌に触れる直前で、弛緩した。落ちた。
死んだ。
ロジーナは柔らかな胸部に耳を当て、消えた鼓動を確認した。
「ふふ……ふふふ……やった、やったわ! ついに、ついに!」
魔女が死んだ。
憎き魔女が死んだ!
愛した人を殺した魔女が、私を傷つけた魔女が、死んだ。死んだ、死んだ!
「はははは、あははははは!」
全身を颯爽と風が吹き抜ける。
清々しい。
今まで閉じていた窓を、全て開け放ったかのような開放感だ。
もう今の自分に敵はない。
最高の気分だ。
だが、何かがおかしい。
この女を殺せば、きっと心の溝は埋まる。
そう信じていたはずなのに。
ぽっかりと開いた空虚はそのままだ。
埋まるどころか、開くばかり。
「……これで、自由。私も、グスタフも」
自由になった。
はずなのに。
腕の中には、何一つ残ってはいない。
そうだ、きっと足りないのだ。
この女の全てをグチャグチャにして仕舞えば。
ベッド脇の果物ナイフに手を伸ばす。
冷たい感触に高揚し、強く柄を握る。
綺麗な顔を切り裂き、豊かな胸を切り取り、内臓を抉り出し。
彼がされたことを、全てこの女に仕返してやる。
だが、ナイフが白い肌に触れることはなかった。
まるで魔術の拘束を受けたときと同じだ。
ロジーナの中で抵抗する「何か」が必死に拒むのだ。
あんなに憎かったのに。
あんなに嫌いだったのに。
屍に傷ひとつ、つけることができない。
ロジーナは洋灯一つ点る小さな部屋で、静かに魔女を見下ろした。
再び動くことは決して無いと、彼女自身が一番よく解っているはずなのに。
蝶のように髪を広げ横たわるヴェラを、心底美しいと思った。




