4話
朝、食事を済ませたヴェラは装幀作業へと取りかかる。
といっても、装幀師としての免許をとうに剥奪された彼女が魔書を製作しても、売ることができない。
つまり道楽だ。
この国の装幀師は商業組合、所謂ギルドへの所属を義務づけられている。
魔書の品質と職人達の収入の保証のためだと聞いたことがある。
だが、ヴェラはそれに所属していない。
素人目から見ても、彼女の生み出す魔書は、燃やしたくなるほどに美しい。
これほどの技術があれば、引く手数多に違いないだろう。
以前、彼女にギルドに所属しない理由を尋ねたことがある。
すると、あっけらかんと答えるのだった。
「追い出されたの。他のメンバーと諍いをおこしてね。
別に私が悪いわけではないのだけど。
まあ、もとより人の集まりってのは好かなかったから、私には丁度よかったのかも知れないわね」
諍いの内容について詳しく話すことはなかったが、直感的に彼女がそのどうしようもない性格で起こしたものだとロジーナは察した。
この数ヶ月、暗殺の機会をうかがってきた。
寝込みを襲ったり、食事に毒を混ぜたり、魔術を使ってみたり。
どれもこれも、効果がない。
そして、徐々にヴェラに関することも理解してきた。
この女、恐ろしく性格が悪い。悪魔でも取り憑いているのかと疑う程だ。
ひん曲がった性根のせいでギルドを追い出されたとしても、なんら疑いを持たないだろう。
「何を見ているの? こっち来ればいいのに」
作業台に目線を落としたまま、ヴェラは言った。
「嫌」
その上に乗っているものを見れば、また気がおかしくなるに違いない。
ロジーナの予想が正しければ、今彼女が解体しているのは間違いなく、グスタフだ。
あの女は「バラバラにされた恋人を見ろ」と言っている。
本当は今すぐ彼の亡骸と共に飛び出したかったが、心の揺らぎは収まらない。
あの魔女を殺さねば、生きた心地がしない。
「来ないの。
ふぅん」
ねえ。とヴェラが言った。
「彼の事、どれくらい好きだったの」
「は」
「彼の事。
どのくらい好きだったの。
一回で聞き取って頂戴」
不意に、理性の糸がちぎれた。
感情の高ぶるまま、ヴェラの項に手を伸ばす。
紅の引かれた唇が、僅かに微笑んだ。
「あっははははは! 本当に乗ったわ!」
伸ばした右手を掴まれ、壁へと叩きつけられる。
背に伝わる衝撃で、呼吸が止まる。
「ずっと、ずっと知りたかったのよ。
思えば、初めて出会った時からおかしいって思っていたの」
ぞくり、ヴィラの神経が快感を促した。
引き込まれる。底のない、黒々とした瞳に、恍惚と笑顔がほころぶ。
「ああ……ふふふ。
やっと解ったわ」
壊れ物に触れるように、ロジーナの頬を撫でる。
抵抗を試みるも、魔術で身動きを封じられ指先一つ思い通りに動かない。
「その憎悪に塗れた瞳。なんてそそるのかしら。
甘い香水に囚われるよりも、無骨な手に身を委ねるよりも、もっともっと熱くなる」
「何を言って……」
ヴェラはロジーナの後頭部を乱暴に掴み、引き寄せる。
そして僅かに開いた唇の隙間に舌をねじ込んだ。
魔術で無抵抗となった口内を無理矢理かき回し、思うがまま侵していく。
終いにはコルセットで締め上げられた細い腰を引き寄せ、膝の間に脚を差し込んだ。
ロジーナは腕に力を入れるが、途中で押し負けてしまった。
不快だ、不快だ。彼以外の人間に触れられたくない。
舌を噛み、突き飛ばす。
口の中に広がる鉄の味と僅かな痛み。ヴェラの顔に思わず笑みがこぼれる。
物陰の、薄暗闇に浮かぶロジーナの表情は、酷いものだった。
涙と唾液で顔面をグチャグチャに汚し、羞恥と怒りで表情は歪んでいる。
極めつけは口の端に滴る一筋の血液。
ヴェラのものか、それとも彼女自身のものか解らない。
だが、どちらであろうと魔女を昂ぶらせるには十分だった。
「いい顔」
「最低。本当に、本当に最低!
一体どういう神経をしているの? 人間としてあり得ない……!」
ロジーナの放つ罵詈雑言は、たった一欠片も届くことはない。
ヴェラは、その間にも空想で自身の欲を高めるのに忙しかったのだ。
この数ヶ月、ヴェラはあの小屋で「自分を殺しに来い」といった自分を恨むほど後悔した。
毎日毎日、陰気な面を咽せつけられるのが不快で仕方が無かったのだ。
だが、ヴェラは徐々に彼女の行動に興味を持っていった。
何故、彼女は自分を殺そうとするのか。
器量だって悪くない。料理だって美味い。
狩猟に関しては実技はからきしだが、十分すぎる知識を持つ上に薬学を理解している。
あの獣ではなくとも嫁に欲しいという男は多いだろう。
さっさと新しい男を見つけて、子どもでもこさえて幸せに生きればいいのに。
ヴェラが一生享受できない幸せを得る権利を、間違いなくこの女は持っている。
なのに、何故この最も若く美しい時間を自分への復讐のために費やしているのだ。
理解できない。だが、その不可解さが、より興味を引き立てるのだった。
見たい。もっと見たい。
怒りに歪む眉間、羞恥に染まる頬、憎悪に濡れる瞳。
もっともっともっと、この女の貌を見たい。
こんな感情を抱くのは、生まれて初めてだった。
「私を見る憎悪に満ちたその瞳……今はこんなにも愛おしい」
今度はシャツのボタンを引きちぎってやろう。
彼女の体表全てに触れ、内側まで壊してやろう。
果たして、彼女はどんな顔をするのか。想像しただけで胸が高鳴る。
「何……?」
じりじりと距離を詰めるヴェラに、ロジーナは後ずさりする。
「お前に私を殺すことはできない。
どんな刃も、どんな魔術も、私に突き立てることはできないのよ」
「いいえ、絶対に殺してやる。
悪魔に魂を売ってでもね!」
「威勢がいいこと」
ヴェラの口元が、優しく緩んだ。
まるで柔らかな春の花のよう。
「今、お前の頭の中は私のことで一杯だろう。
そう、死んだ恋人なんかよりずっと。
いいや、四六時中私のことを考えて。それがどういうことか解る? お馬鹿さん」
「は……」
「私が生きている限り、お前の目には私しか映らない。
そしてお前は、私には勝てない。
その殺意を内に燻らせている間は、永遠に……死ぬその時まで、お前の瞳は私のものだよ」
ああ、また色が変わった。
憤怒や憎悪とはまた違う。
ぬかるんだ沼の中に身を落とされたかのような、脚を折られた駿馬のような。
絶望だ。
「こちらもまた、興味深いわ」
垂れ下がる手に触れた。
今度は反応がない。
いささか寂しい気もしたが、ヴィラはそのまま抱き寄せる。
薄い背だ。やはり、この家に来てから幾分か痩せたようだ。
考えれば当たり前のことだ。
恋人を殺した女の元で暮らしていれば、ろくに飯も喉を通らないだろう。
「本当に健気で、馬鹿で、かわいらしい女」
今度は頬に口づけをする。
ロジーナはピクリとも動かない。
こみ上げる愛しさを潰し込むように、ヴィラは白い首元に歯を立てた。




