ざまぁ。私を平民と嘲笑ったあなたが、今度は地に堕ちる番よ。
「ローズ・クラウディア嬢、我が婚約は今この場をもって破棄させていただく!」
パーティ会場に響き渡ったエリオット・リース男爵の声に、場の空気が一瞬にして凍りついた。
照明の下、煌びやかなドレスを纏った令嬢たちの視線が、舞踏会場の中央に立つ赤髪の少女――ローズに集中する。けれど当の本人は、まるでその言葉を聞き慣れているかのように、淡々とワイングラスを置いた。
「理由は?」
「お前が……貴族にあるまじき行動をとったからだ。平民の出であることを隠し、学園でも下品な振る舞いを繰り返し、何より……この私に恥をかかせた!」
「具体的に?」
ローズの声は静かだった。だが、その瞳の奥に宿る光は冷たい。エリオットは一瞬たじろぎ、しかし見栄を張るように顎を上げて続けた。
「この前の筆記試験、君は学年で一位だったそうだね? だが、その回答は私のものを写したと聞いている」
「その話、誰から?」
「……アンジェリカ嬢だ!」
名指しされた銀髪の令嬢が、わざとらしく悲しげに顔を伏せる。
「私、ローズさんがエリオット様のノートを盗んでいるところを……たまたま、目撃してしまって……」
会場がざわつく。誰もが、ここが“茶番の舞台”であることを悟っていた。
だが、誰もそれを口にしない。クラウディア家は平民上がり。かたやリース家は代々の貴族家系。権力と血統は、この世界においてまだまだ重く響く。
「……わかったわ」
ローズは一歩、エリオットに近づき、そして深々と礼をした。
「婚約破棄、確かに受け取りました。今後一切、あなたと関わることはありません」
「ふん。己の罪を認めたか」
「ええ。……“愚かな男を見る目のなさ”という罪を、深く反省しております」
その言葉に、一部の貴族がくすりと笑った。だが、それを正面から聞いてしまったエリオットの顔は怒りに染まる。
「お、おのれ……っ!」
「おやおや。喧嘩ですか?」
割って入ったのは、場違いなほど落ち着いた声。
会場の空気が再び凍りつく。入ってきたのは、黒の軍服をまとった青年。金の徽章が彼の地位を物語っていた。
「王太子、リュカ・エインズワース殿下……!」
誰かが呟いたその名に、誰もが膝を折りそうになる。だがローズだけは微笑みを崩さなかった。
「リュカ様、どうしてここに?」
「婚約者が恥をかかされそうになっていたので、迎えに来たまでですよ」
「えっ?」
一同が驚愕したのは当然だった。
「お待ちください、殿下。今なんと?」
「ふむ。聞き取れなかったか? 私はこのローズ・クラウディア嬢に正式に求婚を申し入れ、彼女の承諾を得た。すでに国王陛下の認可も下りている」
「な……! そ、そんなこと……っ!」
狼狽するエリオットに、リュカは冷たく告げる。
「君の証言は虚偽の可能性がある。ローズ嬢の筆記は本物の才によるものだ。証拠ならある。君とアンジェリカ嬢が事前に示し合わせた記録もな」
「なっ……!」
「王宮魔術師団の記憶再現魔法によって、事実はすべて記録されている。君たちの罪は――誣告、偽証、そして王族への侮辱だ」
アンジェリカはその場で腰を抜かし、エリオットも青ざめた顔で跪く。
「ま、待ってください! 私たちはただ、ローズが……あまりにも身の程知らずだったから……っ!」
「そうだよな。彼女は平民の出だ。それでも才と努力で貴族学園の頂点に立ち、王太子である私に見初められた。……その“身の程知らず”に、お前たちは勝てなかったのだ」
会場は静まり返っていた。誰もが、力も血統も超えた“本物”の才に圧倒されていた。
そして、そんな世界の中で、ローズは静かに微笑む。
「……ありがとう、リュカ様。でも、私はあなたの婚約者になる前に、やるべきことがあります」
「うん?」
「エリオット・リース。あなた、私に言いましたよね。“恥をかかせた”と」
「……あ、ああ」
「私も同じよ。あなたのような男の婚約者だったことが、人生で一番の汚点だわ」
その言葉に、歓声のような拍手が巻き起こった。
リュカは呆れたように肩をすくめる。
「ふふ。これは嫉妬しそうだ」
「嫉妬して?」
「もちろん。君が誰よりも輝いているからね」
数日後、リース家は爵位剥奪と国外追放の処分を受け、アンジェリカ嬢の家も連座で没落。クラウディア家は王族縁者として正式に貴族へ編入された。
そして、婚約破棄という“幕引き”の後に始まった、真の物語。
――王太子妃、ローズ・クラウディア。その名は、この国で最も知られる伝説の幕開けとなった。