第73話「福岡への決意」
1. 母のいない部屋
夜の静寂が、部屋全体を包み込んでいた。
母の葬儀を終え、空大と別れたあとも、
幸大は何をする気にもなれず、
ただ母の部屋の前に立っていた。
扉を開けると、
そこには母が最後まで過ごしていた痕跡がそのまま残っていた。
化粧台の上には、使いかけの化粧品と整えられた櫛。
机の上には、書きかけのメモ帳とペン。
そして、枕元には折りたたまれた毛布が置かれている。
(本当に……もう、いねぇんだな)
そこにいるはずだった母の姿を想像するだけで、
胸の奥が締めつけられた。
2. ここにいる意味はあるのか?
ベッドの上に腰を下ろすと、
沈黙が心を圧迫してくる。
(俺は……これから、どうするべきなんだ?)
この家にはもう、母はいない。
空大は福岡で父親と暮らしている。
もし福岡へ行けば、違う生活が待っているかもしれない。
だけど、この場所には何もない。
誰もいない。
(俺は、ここにいる意味があるのか?)
3. 福岡へ行く決意
しばらく天井を見つめていた。
そして、
ゆっくりと目を閉じ、
自分の心に問いかける。
(俺は、このままでいいのか?)
(……いや)
幸大は、静かに息を吸った。
そして、目を開いたときには、1つの答えを出していた。
「……福岡に行く」
その言葉を、誰にも聞こえないように呟いた。
4. 誰にも言わないつもりだった
次の日の朝、
幸大は、荷物を少しずつまとめ始めた。
服、筆記用具、母との思い出の写真。
(誰にも言わずに行くつもりだった)
理由は簡単だ。
“別れを惜しむ時間が、ただ面倒だったから”
(美陽にも、潤にも、誰にも言わねぇ)
(黙って消えるのが、一番楽だ)
そう思っていた。
……でも、唯一、話しておかなきゃいけないやつがいる。
5. 蓮との会話
放課後、
幸大は、蓮を呼び出した。
「なんだよ、いきなり」
蓮はいつもの軽い調子で笑っていた。
「……お前にだけ、伝えとく」
「ん?」
「俺、福岡に行く」
蓮の笑顔が、ピタッと消えた。
「……マジか」
「マジだ」
「……いつ?」
「もうすぐ」
蓮は、しばらく無言で幸大の顔を見つめた。
6. 親友の本音
「……誰にも言わずに行こうとしてただろ」
「……まあな」
「バカかよ、お前」
蓮は、少しだけ怒ったように言った。
「お前がいなくなって、一番困るの誰か分かってんの?」
「……」
「美陽だよ」
「……」
蓮の言葉に、幸大は少しだけ目を伏せた。
「……言うつもりはねぇ」
「だろうな」
蓮は、ふっとため息をついた。
「でも、お前が決めたなら……俺は止めねぇよ」
「……悪いな」
「ただ、最後に一つだけ約束しろ」
「……?」
「何があっても、絶対に後悔するな」
幸大は、蓮の目を見つめ、
しばらく黙ったあと、ゆっくりと頷いた。
7. 出発前夜、残された手紙
家に帰ると、スーツケースの準備はほとんど終わっていた。
幸大は机の引き出しを開けると、
そこには、一枚の便箋が置かれていた。
美陽に渡すつもりで書いた手紙。
……だけど、結局、渡せなかった。
(もう、手渡す機会もねぇな)
手紙を折りたたみ、
スーツケースのポケットに入れる。
(これでいい)
(……これで、いいんだ)
自分にそう言い聞かせながら、
幸大は、静かに目を閉じた。




