第17話 再び、あのアトリエで
1. 変わらない場所、変わる時間
高校1年の夏休みも終わりに近づいたある日。
美陽は静かにアトリエの扉を開けた。
子どもの頃から通っている、小さな絵画教室。
高校生になってからはあまり頻繁には来なくなったけれど、ふとしたときにここで絵を描きたくなる。
扉の向こうには、懐かしい静けさと、絵の具の香りが広がっていた。
そして――
奥の席に座り、筆を走らせる幸大の姿があった。
「……やっぱり、いた」
美陽は少し笑いながら、幸大の隣に座った。
「なんでそんな言い方」
「だって、ここに来たら絶対いると思ったし」
幸大は軽くため息をつく。
「お前の勘、当たりすぎる」
「ふふ、だって昔からそうじゃん」
幼い頃から、ここは二人にとって特別な場所だった。
他の子たちはいつの間にか辞めてしまったけれど、二人だけはこうして絵を描き続けている。
「最近、ここで会わなかったね」
「夏休み、ちょっと忙しかったからな」
「ふーん……」
美陽は絵の具を取りながら、幸大のキャンバスをちらっと覗く。
「……相変わらず、幸大の絵って雰囲気あるよね」
「そうか?」
「うん。静かで、ちょっと寂しい感じ」
「……」
幸大は何も言わず、筆を動かす。
静かな時間。
こうして隣で絵を描いていると、まるで小学生の頃に戻ったみたいだった。
2. 扉が開く音
カラン……
アトリエの扉が開く音がした。
「おはようございます……あっ」
澄んだ声が響く。
美陽が顔を上げると、そこにいたのは――
星野聖羅。
「聖羅……?」
美陽は驚いた。
聖羅は、少し恥ずかしそうに微笑んだ。
「美陽ちゃん……やっぱり、ここにいたんだね」
(なんで聖羅が、ここに……?)
頭の中が少し混乱する。
そして、美陽の視線の先で、幸大と聖羅の目が合った。
「……久しぶり」
幸大が低い声で言う。
「うん、久しぶり……」
聖羅は少し照れたように頷いた。
美陽の胸が、少し痛んだ。
(また……あの時みたい)
小学生の頃、二人が楽しそうに話していた光景が、ふと頭をよぎる。
「……なんで、ここに?」
美陽は努めて明るい声で聞いた。
「今日から、またここに通うことになったの」
聖羅は穏やかに微笑んだ。
「高校に入って、やっぱりもう一度絵を描きたいなって思って……先生に相談したら、まだ席があるって聞いて」
「そうなんだ……」
美陽はぎこちなく笑う。
(また、この場所で……聖羅と一緒になるんだ)
胸の奥が、じわっと苦しくなる。
でも、それを表に出すわけにはいかなかった。
「じゃあ、またよろしくね」
「うん!」
聖羅は嬉しそうに微笑む。
だけど――
美陽の横で、幸大は何も言わずに、ただ黙って絵を描き続けていた。
その横顔が、どこか複雑そうに見えたのは、美陽の気のせいだったのだろうか。
エピローグ:揺れる心
帰り道。
美陽は静かに歩きながら、胸の奥に広がるモヤモヤを持て余していた。
(なんで……こんな気持ちになるんだろう)
絵画教室に通うのは、聖羅の自由。
それなのに、幸大と話す彼女を見て、どうしてこんなに胸が締めつけられるんだろう。
「……」
隣で歩く幸大は、何も言わなかった。
まるで、何かを押し殺しているみたいに。
そして美陽は、まだ気づいていなかった。
幸大の中にも、言葉にできない感情があったことを――。