第一章/第五幕:『魔法』
一先ず生命の危機は去ったのだろうか?
改めて自己紹介をした葵を前に、律は密かにホッと内心で一息吐く。
しかし、葵の台詞に対する答えをしなければならない。
『――――まるで突然見知らぬ世界に放り出されたみたいだよ』
確信した表情で葵が述べたその台詞に、律はどうするべきかを迫られていた。
馬鹿正直に話しても良いのだろうか?
気がついたら知らない世界いたんです――なんて話が通じるかどうかすら不透明過ぎるのだ。
自身の身に宿っているらしい魔女因子なんぞのせいで厄介極まりない状況なのに、これ以上のトンデモ属性を盛られたら何をされるかわかったものではない。何よりも直前のように銃口を突き付けられる可能性もゼロではない――と、律は考える。
「まあ、先ほどのやり取りもあるだろうから言い難いところもあるだろう。ならば、君の答えが何であろうとも一切の危害を加えないことを天竺葵の名を持って確約しよう」
「……その確約がどれほどの効力があるんだよ? 天竺さんは確か大佐だと言っていたと思うけど、それ以上の――それこそ将官から俺の殺害を命令された場合でも有効なのか?」
「……ふむ、それはご尤もな指摘だ。確かに形だけの大佐という肩書きだけでは将官より下された命令を拒否することはできないだろうね」
その言葉に律は苦虫を噛み潰したよう顔を歪めた。
「――だが、それに関しては心配無用だ。確かに形式上は形だけの大佐ではあるが、私の本質は別のところにあるのでね。まあ、そこら辺の将官よりは権限を有していると思ってもらって構わんよ」
ケロッとそんなことを曰う葵に、律は怪訝な表情を思わず浮かべてしまう。
軍に於いて、階級が指し示すものは非常に重要だ。戦争を知らない律でもそれくらいは嫌でも理解している。
重要故に、創作物で時折登場する『臨時――』という各階級の頭に付ける文言に意味がある。
しかし、葵の大佐という階級の頭に『臨時』という文言は存在しない。更には形だけの大佐と彼女自らが名乗っていた。言葉通りであれば、『大佐ではあるが、見合った権限を有していない』と捉えるもの。
大佐ではあるが将官以上の権限を有している――それは暗に葵自身が『特別』であることを示しているとも言えるだろう。
「私の後ろ盾さえあれば、君の身は安泰なんだがどうかね?」
「……理解らない。仮にそうまでして俺を囲う理由は何だよ? さっきまでの行動との整合性が微塵も取れていないぞ。いったいどんな心変わりだよ」
語尾を強めにしながら俺は言う。
「そうだな。これは私のエゴでしかない。そして、掌返しに関しても謝罪以外の言葉はない。だが、同時に確信したよ。魔女因子を理由に早まらなくて良かったと思っている。ああ、どうやら君は――根っからの善人のようだ」
その善人を撃ち殺そうとしていたんだが――なんていう憎まれ口を飲み込んで、俺は目を細めて天竺さんを睨む。
兎にも角にも、罠云々の可能性も捨て切れないが現状として天竺さんの提案に乗るべきだろう。このまま断ったところで俺の行く末はデッドエンドだし、魔女なんて化け物に遭遇した暁には抵抗できるワケがない。
「信じろって言うのかよ?」
「ああ、差し出がましいとは思うがね」
律の問いに葵は答える。
信じるべきか、信じないべきか――どちらに天秤を傾けせるべきかを律は考えていた時だった。
耳の奥を突き抜けんとする雷鳴が轟き、煌々と紅く光を放つ火柱が天へと向かって立ち上がる。数多の氷の結晶が降り注ぐと共に気温が急激に低下するのを律は身に感じた。それはさながら天変地異と揶揄しても遜色ないものであった。
「速攻魔法による対応から切り替えたか……」
そんな光景を眺めながら葵はどこか感情を圧し殺したような声音で言う。
「速攻魔法?」
「ああ、短文詠唱の魔法をそう読んでいるのだよ。で、現状を創り上げているのは長文詠唱の魔法だ。原則、詠唱が長い程に影響範囲、魔法自体の威力が大きくなる」
そうなると律が見たリリアーナの魔法は速攻魔法だったのだろう。確かに一言唱えただけで発現していたが、あれでも十分過ぎるものはあった。まあ、それでも魔女を相手にするには足りないのだろうが……。
「直死を避けながらの戦闘は確かに神経を磨り減らすものだ。目が合えば途端に即死。一応の対策はしているとは言え、視認されるだけでも生命を削られるのは実に嫌らしい権能だ。さて、彼女たちの魔法で辺りも荒れ狂いだした。まったく火、雷、氷の信号娘どもめ、少しは加減をするべきだろうに……」
苦虫を噛み潰したような表情を顕にしながら葵は言う。
それはこの天変地異染みた光景に対してなのか、それとも別の要因に対するものなのか……。
「うっへ~、魔女だからって相変わらずじゃじゃ馬が過ぎるぜい」
「まあまあ、一先ずは押さえたのだから良しとしましょう?」
「菖蒲は楽観的過ぎるだけだと思うけど?」
今の荒れ狂った光景を生み出したであろう魔法少女三人が律の前に降り立つ。その中には律を此処まで連れて来たリリアーナの姿も在った。