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主な登場人物
川上 蒼
32歳 男性 視覚障害者 マッサージ師
佐藤 美彩
28歳 女性 蒼の務めているクリニックで受け付けをしている
深沢 彩佳
女子高校生 蒼と佐藤が務めているクリニックの患者
花岡 優奈
女子高校生 彩佳の親友
山下
蒼と佐藤の務めているクリニックの常連
彩佳が小学生低学年の頃、家のお手伝いをするとわずかながらおこづかいをもらえた。彩佳はもらったおこづかいを貯めて、自分が大好きな本を買うのが楽しみだった。その日も、貯めたおこづかいを持って近くの本屋さんに行って、前からほしかった本を買った。本屋さんを出て家に帰ろうと歩いていると、信号の向こうにお隣に住む幼なじみの美保を見つけた。美保も彩佳と同じぐらい本が好きで、よくいっしょに本を読んでいた。彩佳は買ったばかりの本を美保と早くいっしょに読みたくなった。
彩佳が信号を見上げると、青信号だった。彩佳は大きな声で
「美保ちゃーん!」と叫びながら走り出した。
彩佳が交差点に入ったその瞬間、けたたましいクラクションの音があたりに鳴り響き、キキーっとすさまじいブレーキ音が彩佳の目の前でした。びっくりした彩佳はその場に尻餅をつき泣き出してしまった。
目の前で止まった車から運転手のおじさんがあわてて降りてきて
「おいおい、大丈夫か?当たってないよな?ケガないよな?」そう言いながら彩佳を歩道まで抱きかかえて連れてきてくれた。おじさんは
「赤信号だろが!いきなり飛び出すんじゃねーよ!!」と怒りながら、車に急いで戻っていき、車を発車させた。
この後、美保と本を読んだのか覚えていない。ただ、美保に
「なんで赤信号なのに渡ろうとしたの?赤信号は止まれって習ったじゃん!」と言われたことだけは今でも覚えている。
彩佳は、ちゃんと青信号を確かめた・・・つもりだった。青信号を見て、走り出した・・・はずだった。でも、赤信号だった。
それから、彩佳はあまり美保と遊ばなくなった。いや、美保とだけではなかった。人とあまりしゃべらなくなった。しゃべれなくなったのだ。自分が見たモノが他人とは違うものだと、自分が見て感じることと、他人が見て感じることは、そもそも見えているモノが違うのだから・・・と考え出すとしゃべれなくなった。
それ以降、小学校で友達はできなかった。休み時間も一人で過ごすようになった。一人で静かに本を読んで過ごした小学生生活だった。
彩佳は中学生になった。本好きの彩佳は、その頃には本から得る知識で、自分が赤緑色覚異常であることを知っていた。色覚異常は男子に多く20人に一人といわれる一方、女子は500人に一人で、そのため色覚異常は男子のものといった偏見が、彩佳を心の殻に閉じ込めさせる要因の一つになっていた。
彩佳の中学では学年を色分けしていて、この年の1年生は赤の学年、2粘性は蒼の学年、3年生は緑の学年といった感じになっていた。それぞれの学年の色で制服のリボンの色や体操着や上履きの色も決められていた。
中学に入学したばかりの彩佳は、一人3年生の集団の中に迷い込んでしまったことがあった。周りの3年生は、奇異な目で彩佳を見るモノはいても、話しかけて来る者はいなかった。彩佳も、どうしていいのかわからなくて、ただ呆然としていた。
そのときだった
「深沢さん!こっちだよ!!」と声がした。彩佳が声のした方を見ると、ショートカットがよく似合う小柄でメガネをかけた女の子が立っていた。彼女は同じ暮らすの花岡 優奈だった。まだ、クラスメイトの多くと話したことのなかった彩佳であったが、優奈とは出席番号順ですぐ前なので、何度か話を交わしたことがあった。彩佳は、助かった、と思って、優奈のところに近づいていった。
「花岡さん、ありがとう。」彩佳は優奈にお礼を言って頭をペコリと下げた。
「ううん。でも、なんで、3年生のところにいたの?」優奈が聞いてくる。そりゃそうだろう。普通なら色でぱっと見て自分がいるべきところではないとわかるはずなのだから。
「私ね、色があんまりわからないの。特に赤と緑の区別が・・・。」彩佳は助けてくれた祐奈に、思い切って正直に言った。
「そうだったんだ。・・・だったら、私たち友達になろうよ!」優奈が思いがけないことを言ってきた。
「え・・・。でも・・・私・・・。」彩佳が戸惑っていると
「私、すんごい強度近視でこのメガネをかけてないとほとんど見えないんだよね。」と優奈はメガネを外して分厚いレンズのメガネを彩佳に見せてきた。
「なのにさ、特に男子!メガネ女ーとかヘンなあだ名付けてくるし、だからさ、なんていうか、目が悪い者同士仲良くしよってこと!」彩佳は驚いていた。自分なんかと友達になろうと言ってくれる人がいるんだな、と嬉しくなった。
「うん、ありがとう。・・・でも私、色覚異常で『女の子なのに色覚異常なんておかしい』とか言ってくる人とかいて・・・それで、私、友達もいないし・・・。」彩佳の声はだんだんと小さくなっていく。
「私だって、『何でそんなビンの底みたいなのかけてんだ?』とか『コンタクトにしたらいいのに!』とかこっちの事情もなんにも知らないクセに好き勝手言ってくる人いるよ。でも、そんなの気にしちゃダメ!自分は自分なんだから、それを受け入れるしかないし、こっちが説明してもわかんない人には、勝手に言わせておくしかないから。悲しいけどね。・・・それとも、私とじゃ、友達になりたくないとか?」優奈はちょっと寂しそうな表情になった。
「そんなことない!私、花岡さんと友達になりたい!!」彩佳は叫ぶように答えていた。彩佳はとても嬉しかった。小学生の低学年のころから色がわかりにくいことを周りの人に理解してもらえなかったり、馬鹿にされることはあっても、こんな風に言ってもらったことは初めてだった。こうして彩佳と優奈は友達になった。
この後も、彩佳と優奈は、友情を育んでいき、親友と呼べる関係になっていった。
ピピピピピピピーッアラーム音がし、彩佳は目を覚ました。
「んー。もう、朝?・・・なんかヘンな夢見てたみたい。」彩佳はそうつぶやきながら体を起こした。彩佳はたまにではあったが、自分の色覚異常を馬鹿にされたりする悪夢を見ることがあった。
彩佳が蒼の治療を受けるようになって約1ヶ月が経とうとしていた。あれから彩佳は1週間に1、2回のペースで蒼のところに通っている。
「今日も学校帰りに川上先生のところに行こうかな?」彩佳は、学校へ行く支度を始めた。
放課後、彩佳は蒼の務めるクリニックに寄ることにした。そのことを優奈に言うと
「じゃあ、私、彩佳の付き添いとして、いっしょに行くね。佐藤さんに会いたいし!佐藤さんってステキよねー。優しいしきれいだし、憧れちゃうなー」優奈はクリニックの受付の佐藤をすっかり気に入っているようだ。
「うん。じゃあ、一緒に行こう。」
彩佳と優奈がクリニックの前までやってくると、クリニックの駐車場の隅にアル花壇で、常連患者の山下が花壇の手入れをしていた。この花壇は元々クリニックの土地らしいのだが、誰も手入れをせず、クリニック開院から数年間は草ボーボーになっていた。それを山下が見かねて手入れすることを院長に願い出たところ快く承知してくれて、今では山下は花壇係としてもクリニックに通っているのだった。
「山下さん、こんにちわー。」彩佳と優奈は声をそろえて挨拶をした。
「ん?ああ、深沢さんとこの彩佳ちゃんと、花岡さんとこの優奈ちゃんか。こんにちわ。」山下は作業の手を止め二人に挨拶を返した。この前まで咲いていたお花が終わって、花壇はきれいに草が抜かれ新しい土が入れられていた。
「山下さん、次は何を植えるんですか?」優奈が問いかける。山下はよくぞ聞いてくれたとばかりに
「おお!今度はきゅうりとトマトとなすびを植えようと思ってるんだ。」山下はドヤ顔で言った。
「え?お花じゃないんですか?」彩佳が山下に問う。
「ああ、野菜だったら、院長先生やスタッフのみんなにも食べてもらえるだろ?いっぱい取れたら常連さんのアンタたちにもお裾分けできるかもしれんぞ!」と言って山下が笑った。
「わぁー、ラッキー!山下さん、楽しみにしてるねー。」優奈はそう言ったが、彩佳はちょっと浮かない顔をしていた。山下はそんな彩佳のことを見逃さなかった。
「ん?野菜はダメか?」彩佳に向かって聞いてくる。彩佳は首をぶんぶん横に振って
「いえ、そういうつもりじゃなかったんですけど、私お花が大好きだから、いつもここできれいなお花見て癒されてて、・・・だからお花がなくなっちゃうのちょっとさみしいなって・・・。」彩佳はうつむいて答えた。
「そっか。・・・それじゃあ、こうしよう!花壇を二つに分けて、こっちの道路側に野菜、奥に花ってのはどうだ?」山下が新たな案を提案してきた。
「はい。山下さん、ありがとうございます。そうしていただければお花もお野菜もどっちもあって最高だと思います。」彩佳は、にっこり笑って答えた。
「おう、了解!この作戦でいこう。わはは。おっと、それよりアンタらクリニックに来たんだろ?早く入りなよ。遅く鳴っちゃうぞ!」山下がクリニックに早く入るよう促してきた。
「あ!はい。ありがとう、山下さん。それじゃあ、またね。」彩佳と優奈は山下に手を振ってクリニックの中に入っていった。
「あ!彩佳ちゃん、優奈ちゃん、こんにちわ。」クリニックのドアが開いて彩佳と優奈が待合室に入ってくると、受付の佐藤の明るい声がした。
「彩佳ちゃん、今日も川上先生のマッサージでいいのかな?」佐藤が尋ねると
「はい!よろしくお願いします。」と言いながら彩佳は診察券を佐藤に手渡した。
「優奈ちゃんは?」佐藤が聞くと
「あはは、今日も彩佳の付き添いでーす。」優奈は嬉しそうに答えた。
「はーい!じゃあ、川上先生にカルテ回してくるから、ちょっとだけ待っててね。」佐藤はそう言うとカルテ棚からファイルを取り出し、その中からA4ぐらいの紙を引き抜くと受付机に立ててあるフォルダーに挟んで、蒼の治療室の方へパタパタ走っていった。
佐藤が受付に戻ってくると、すぐに蒼の治療室の扉が開いて
「深沢さーん」と蒼の声が待合室に響いた。
「はい。」と彩佳は返事をして、蒼の治療室に入っていった。優奈はそれを見届けると佐藤のところに近づいていって
「佐藤さん!今日もお手伝いさせてくださーい!」と言った。佐藤は
「優奈ちゃん、いつもごめんねー。助かるよー。」
「いえいえ、それじゃあ、院内の観葉植物にお水あげてきまーす。」優奈は彩佳が治療中の待っている時間は、観葉植物の水やりやウォーターサーバーの紙コップの補充などを自ら進んで手伝ってくれていた。
「優奈ちゃん、本当にありがとね。院長にバイト代請求しないとね。」
「いえいえ、私、そんなつもりじゃ・・・。佐藤さんのお手伝いしたいだけですから!」
「うん、ありがと。でも院長ケチだからゼッタイ無理だけど・・・。」
佐藤と優奈はぷぷっと笑い合った。
蒼の治療室の中では彩佳の治療が行われていた。彩佳は施術を受けながら先日、学校であったことを蒼に話していた。
「それで、ノートの提出があったんですけど、先生が『オレが黒板に書いた通り写せてない』って言うんです。その先生は赤や黄色、青、緑と、持ってるチョークすべてを駆使して黒板に書かれるんです。でも、私・・・。」
蒼は、うんうんと頷きながら聞いていた。そして
「晴眼者にとっては色分けして書いた方がわかりやすいみたいですけど、みんながみんなそうじゃないんですよね。ぼくもそうでした。」
「え?そうなんですか?」彩佳が聞き返す。
「はい。ぼくが中学生の頃なんですけど、教科書に蛍光ペンで線を引かせるのが好きな先生がいましてね、でもぼくは蛍光ペンで引いた線がよく見えない。だから、自分で考えて、先生が黄色でって言ったところは直線のアンダーライン、ピンク色でってところは波線で、オレンジ色は二重線、青色は四角く囲むみたいに黒の鉛筆一本でやってたんですよ。そしたら、それを見た先生が『あなた!私の言うことが聞けないのー!!!』とか言って怒り出しちゃって・・・あのときはまいったな。」
「それで、どうしたんですか?」彩佳が蒼に尋ねた。
「うん、『蛍光ペンみたいな薄い色は見えないんで、自分でわかるようにやってます。それとも後から見返したときによく見えない蛍光ペンで線を引いた方がいいですか?』って言ってやったんですよ。」
「え、川上先生、そんなコトおっしゃったんですか?でも、そんなこと言ったらその先生すごく怒ったんじゃないんですか?」彩佳はとても心配そうに尋ねた。
「その先生もぼくが目が悪いっていうのは知ってらしたので、怒ると言うよりもばつが悪くなったって感じだったみたいで『じゃあ、好きにしなさい』ってめっちゃトーンダウンして歩いて行っちゃったよ」
「そうなんですか。私、そんな風には言えそうにないです。」
蒼は彩佳が気づかないほど小さくフフっと笑ってから、
「深沢さんの担任の先生は、色覚異常のことをご存じなんですよね?」と彩佳に問いかけた。
「はい。私からも母からも校長先生と担任の先生にお伝えしています。」
「それならば、担任の先生から深沢さんの色覚異常のことをそれとなくその先生に言ってもらうというのはどうでしょう?」と蒼は提案した。
「川上先生みたいに、直接先生に『色覚異常だからわからなかっただけです』って言わない方がいいと思いますか?私には言えないと思うけど。」
「はい。校長と担任から、その先生も深沢さんの色覚異常のことは聞いてるはずで、それでそんなこと言うということは、色覚異常のことを忘れているか、理解できていないかでしょうから、それを生徒の深沢さんから指摘されると、場合によっては先生のプライドを傷つけたり、ヘンに目を付けられてもって思うんです。それだったら、担任の先生から、今回のこととは別件というカタチで深沢さんの色覚異常のコトそれとなくを念押ししてもらった方がいいかなと思ったんですけど。」蒼はそう思考の流れを説明した。
「そうですね。はい。担任の先生とお話してみようと思います。川上先生、ありがとうございます。」と彩佳はお礼の言葉を述べた。
「いえいえ、どういたしまして。うまくいくことを願ってます。ところでさっきの続きなんですけど、蛍光ペンとか3色ペンとか使わずに、黒の鉛筆一本で書いたぼくのノートは、黒ばっかりで、クラスメイトにそれを見られて『おまえのノートは真っ黒クロスケだな』と笑われましたよ。」
蒼と彩佳は笑い合った。
1週間後、彩佳と優奈はクリニックに来ていた。この日も彩佳が蒼の施術を受けている間、優奈は佐藤の手伝いをしていた。
「先週はありがとうございました。あれから川上先生のおっしゃられたように、担任の先生に相談したら、『もう一度、それとなく言っておく」と言ってくださいました。」と彩佳が蒼に報告をした。
「そうですか。お役に立てたのなら良かったです。」
「それから、先月にスマホのアクセシビリティのことを教えていただいたじゃないですか。あの後、私なりにいろいろ調べて見たんですけど、音声読み上げ以外にもたくさんの機能があるんですね。」と彩佳が言った。
「そうですね。視覚だけじゃなく、いろんな障害などで、そのままではスマホを使えなかったり、使いにくい人がたくさんいますから。今の製品はユニバーサルデザインとかいって、誰にでも使えるようにっていうのが、だんだん増えてきています。」蒼が説明した。
「すごくいいことですよね。それで、私も見つけたんです。今まではリンクが貼ってあるところとか、既読かどうかわからなかったりしたんですけど、アクセシビリティのカラーフィルターを使ったら、それが識別しやすくなったんです。」彩佳はちょっと興奮ぎみに放した。
「そう、それは良かったですね。昔ならば仕方がないと諦めていたことが、今ではそれを克服できるかもしれない。テクノロジーの進化でみんなが同じように情報を共有できたり、できることが増えたり、ぼくはこれから先のAIなどテクノロジーの進歩がとても楽しみなんです。」蒼も嬉しそうに言った。
「そうですね。テクノロジーの進歩が人を幸せにするって、すごく素敵ですね。」彩佳も同意した。彩佳は今までに、解説本や参考書などの書籍で、『誰でもできる』
とか『誰でもわかる』とかいう謳い文句の本を見て、「私は、その『誰でも』じゃないんだな」と悲しく感じることがあった。そういう本の多くはカラー印刷で細かく色分けされているモノが多かったからだ。安易に誰でもなんて言って欲しくない。だから、スマホのアクセシビリティのことを知って、彩佳は社会に受け入れられたような気がして嬉しかった。
彩佳は自分の見え方のことで、他の人に話してもなかなかわかってもらえなかったりすることが多い野だが、蒼に話すと、すごく共感してくれて、いろいろな話をしてくれる。逆に言えば、蒼は彩佳よりも、視覚障害のためにいろんなコトがあったんだろうなと思う。きっとそれはとてもつらくて悲しいコトモ・・・。でも、だからこそ蒼は優しいんだなとも思った。彩佳は蒼という理解者との出会いに心から感謝していた。
施術を終え、彩佳は治療室から出てきた。
「優奈、お待たせ。」
「あ、彩佳!お疲れ様ー。」
彩佳と優奈は、それぞれに心も体もスッキリした気分で クリニックを後にした。
つづく