後編
「……。よしっ! 行くぞ!」
フレンは気合をいれるように頬を両手で叩き、それからリーゼの新しい私室となる部屋のドアをノックした。
「リーゼ殿、フレンです。入っても良いですか?」
「……どうぞ……」
フレンがドアの向こうのリーゼへお伺いを立てると、少し間を開けて、リーゼの返事が返ってくる。
とりあえず拒絶されなかったことに安堵しつつ、フレンは彼女の部屋へと足を踏み入れた。
「……まだ片付けが終わっていなくて。見苦しいですが……」
「いや、そもそも急に押しかけたのはこちらですから……新しい部屋は気に入っていただけましたか?」
「ええ。それはもうーー素敵なお部屋ですわ。ありがとうございます」
まだ目をしっかりと合わせてはくれないリーゼだが、それでもフレンの言葉に返事はくれる。そのことに少し勇気を持ったフレンは、さり気なく部屋の中の従僕や侍女たちに目配せをした。
優秀な彼らは、瞬時にフレンの意図を見抜いて、音もなく部屋を去る。そうして、そこそこの広さがあるリーゼの私室には、二人だけが残された。
「あら……人払い……ですか? またどうして?」
「いや、この方がリーゼ殿は話やすいかと思いまして……もちろん護衛を兼ねてドアの前には数人控えているはずですしーー誓ってリーゼ殿の信頼を裏切るような真似はいたしません」
そう言って軽く胸に手を当てて微笑むフレン。一方リーゼはというと、
「いえ、そこは心配してませんが……」
と、言いつつ宙に視線を彷徨わせるーーそしてフレンに少し視線を戻したところで、目を見開いた。
「殿下!? それは?」
「ああーーこれはポットですよ。手持ち無沙汰もなんですから、お茶でもしながらお話を、と思いまして……」
フレンはもともと従僕にティーセットの載ったカートを用意させていたらしい。妙に手慣れた様子で茶葉をポットに淹れつつ話すフレンに、リーゼはさらに疑問符を飛ばした。
「もちろん、ポットなのはわかりますが……まさか殿下手ずからお茶を?」
「ええーー驚きましたか?」
「正直なところ……少し」
コクリと頷くリーゼにフレンは苦笑する。確かに王族が自らお茶を淹れる、というのはあまりないことだ。
「確かに珍しいことではありますね。私の場合は留学時代、ウィルフレッド殿に教えて頂いたのですよ。お茶の淹れ方くらい知ってて、損はないとーー」
「ウィルフレッド殿……つまり義兄上ですよね? そういえばフレン様と仲が良いとは……」
「ええ。年の差こそあれ、友人と呼んで頂いております」
そう言いながら、フレンは砂時計をひっくり返し、それからソファに座るリーゼの隣へ拳5つ分程開けて座る。リーゼは一瞬ビクンッとしたものの、拒みはしなかった。
「子どもの頃の私は、生真面目なだけで要領の悪い子供でしたーー正直国王が務まるか不安がられる程。そんな私に、社交術や上手な息抜きの方法などを教えてくれたのがウィルフレッド殿なのです。……まあ悪い遊びも随分教わりましたが……」
「フフッ。そういえば、義兄上は昔、相当遊んでいたとか……」
「義姉上には内緒ですよ……」
唇に人差し指を当てて、真面目な顔でそう言うフレンにこらえきれない、とばかりにリーゼが吹き出す。その様子にフレンは少し眦を下げた。
「やっと笑ってくれましたね、リーゼ殿。ーー私も最初は『何なんだ、この不良王子』と思ったものですが……でも、適度に気を抜く、というのは意外と大切だったんです。リーゼ殿もですよ?」
「へ!? わ、わたしですか?」
「最近お疲れでしょう? それでなくてもなれない場所だというのに、予定は詰まってますし……睡眠時間も段々短くなっていると聞いてます」
心配そうに眉を下げるフレン。一方リーゼは、「バレてました……」と呟きつつ、フレンを心配させまい、と微笑んで見せる。
「確かに少し疲れてはいますが、心配いりません。式を終えれば、忙しさもましになるでしょうし……」
「確かにそれはそうですが……リーゼ殿は真面目でしょう? 疲れがたたってあなたに何かあれば……想像するだけで私は自分が許せない!」
「で、殿下?」
何を想像したのか、口調が強くなるフレンにリーゼは困惑する。だが、フレンは止まれないのか、懇願の眼差しをリーゼに向け、そしてさらに声を大きくした。
「どうか御自分を大切に。あなたなしでは私は生きていけないのです!」
「ちょ、ちょっとお待ちになって、殿下? 今の言い方ですと……その……まるで殿下が私のことを好きみたいなーー」
堰を切ったように畳み掛けるフレンに、リーゼは思わずにじり寄る。一方フレンは、彼女の言葉に目を見開き、ピクリと固まった。
「え、ええ……もちろん。もちろんリーゼ殿のことは大好きです。愛しております。もしかして今まで伝わって……」
「だって! 今までそんなこと一言もーー頑張って着飾っても目を合わせてくれないし、寝室は別にしようって言うし……」
「あっ……」
思わず、といった叫び声にフレンはまた固まり、かと思うと、飛び上がるようにしてソファから降りリーゼの足元に跪いだ。
「リーゼ殿……本当に申し訳ない。確かによく考えれば私は一度も言葉にしていなかった」
「……」
「愛しています。あなたが初恋なのです。生涯離したくないーー」
「そんな! じゃあどうして……」
「目を合わせられなかったのは、あなたがあまりにも美しく直視できなかったからです。寝室を分けよう、と言ったのは……その……政略結婚の相手ですから、心の準備が必要かと……」
「もう! 殿下ったら……私がどれだけ悩んだと! ーーそれに心の準備なんてとっくに出来てますわ!」
「り、リーゼ殿?」
またしても叫んだリーゼは、勢いそのままにソファから立ち上がり、おもむろに鏡台に置かれた小物入れから1通の封書を取り出した。
「疲れも不安もあります。けど、これが……その……私を一番悩ませていたものですわ」
「それは義姉上から?」
封書を留めているのは、薔薇をかたどった封蝋。フレンも何度か見たことのある、その意匠はリーゼの姉、フィーゼ王女専用のものだった。
「ええ。私、寝室を分けるって言われて、そんなに魅力がないかしら? って悩んで、お姉様にお手紙を書いたんです。『殿方をその気にする方法を教えて?』ってーーその返事がこれです』
「それはまたーーといいますか……」
「ええ、もちろん! 私も殿下のことが大好きですわ、文通をしていた頃から……実際にあったらもっと好きになりました」
その言葉にフレンは三たび固まる。一方リーゼは封書をブンブンと振り回しつつ言葉を重ねた。
「お姉様の『とっておき』で殿下を夢中にさせてやる! って意気込んだものの、私には少し早かったみたいで……それにお姉様が、殿方が好む夜着、なんてものまで贈るから……殿下との夜が急に生々しくなってきて、気恥ずかしくて殿下を直視できなくなっちゃったんです!」
「ーーもしかして私達似たものどうしですか?」
お互い空回りして、恥ずかしくなって、相手を見れなくなって……
「もしかしなくてもそうかも知れませんわね。フフフッ」
彼の言葉にリーゼはこらえきれないとばかりに笑い出し、フレンもまた笑い出す。ひとしきり笑いあったあと、フレンはもう一度、今度は隙間を詰めてリーゼの隣に座り直した。
「リーゼ殿。不安にさせてしまい申し訳ありませんでした。これからはきちんと言葉にするように努めます、私の愛する人」
「殿下……私も抱え込まないでちゃんと殿下にお伝えするようにいたしますわ」
お互いそう言い合い、見つめ合う。どのくらいそうしていたか、ふとフレンが「ただ……」と口を開いた、
「どうされましたか?」
「いえ、寝室を分ける、という話は撤回させていただきますが……その……お姉様の『とっておき』とかはリーゼ殿の心の準備が出来てからで構いませんからねーーまたいずれ」
「え、えぇ……わかりましたわーー」
いずれはするんだ、と思いつつフレンに求められていることを嬉しくも思い、コクンと頷いて、またほんのりと頬を染めるリーゼ。
そんな彼女を可愛くてたまらない、とばかりにフレンは見つめるのだった。
「義姉上。ウィルフレッド殿。お待ちしておりました、無事の到着に心から安堵しております」
「お姉様! 義兄上もお久しぶりです。会えて嬉しいわですわ」
秋晴れのある日。ラッフェルフェン王宮にはいくつもの馬車が止まり、その1台から出てきた夫婦を王太子夫妻が歓待する。ウィルフレッドとフィーゼがラッフェルフェンに到着したのだ。
「お迎え感謝いたします、フレン殿下。リーゼも元気そうで何よりだわーー殿下とは仲良くしてる?」
そう言いつつ、フィーゼはフレンに試すような視線を送る。何か言いたげな口調にウィルフレッドが
「ちょ、ちょっと! フィー!?」
と慌てるが、フレンはいささかの動揺も見せず、リーゼの腰に手を回し、ギュッと抱き寄せた。
「ええ、もちろん。彼女は私の最愛の人ですからーーなんのご心配にも及びません」
きっぱりと言い切るフレンに若干胡乱な目をしたフィーゼだが、顔を赤くしつつもまんざらでもなさそうなリーゼと目が合い、嘆息する。そのタイミングを見計らって、ウィルフレッドが二人の間に割って入った。
「さ、フィー? 積もる話もあるだろうが、とりあえず中に入ろうか」
「そうでした。随行の皆様もお疲れでしょう。リーゼは義姉上とウィルフレッド殿をお願いできるかい?」
「ええ、もちろんですわ、フレン様」
二人はそれからテキパキとバンクレール一行を王宮の中へと導き始める。そんな彼らを見て、フィーゼとウィルフレッドは
「「ま、とりあえず一件落着かな(かしら) ?」」とそれぞれ心の中で呟き、微笑みあったのだった。