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痛みを感じた日からちょうど二週間。ハルさんの見立てではそろそろ完治するはずだ。
言われた通り、絶対に動かさないようにしていたし、スルドの練習はもちろん、バイトも体育も音楽の授業も全部我慢して休みや見学にしてもらった。
我ながらすごく頑張ったと思う。どうか、治っていて欲しい。
「痛むか?」
ハルさんがわたしの右手首を左手でつかみ支えるように固定して、右手でわたしの右の手のひらをつかみ、ゆっくりと上下に動かした。
合格発表の時のように緊張する。
付き添いの祷も、漫画やドラマだったら生唾を飲む音が足されそうな顔をしていた。
「痛くは、ないです」
痛みは、無い。
「なにか違和感は?」
「えと、そんなには……」
「がんちゃん、正直に言ってくれ」
「あ、あの……少し、引っ張られるような、引き攣るような、感じがあるような……」
ハルさんは「そうか」と言い、難しい顔をして黙ってしまった。
「全然痛くはないんです」
おずおずと言うわたしに、ハルさんは意を決したような顔で口を開いた。
「がんちゃん、イベントには出たいのは痛いほどわかる。だが、完治が条件だったはずだ」
「はい……」
ハルさんが言おうとしていることはわかる。
違和感があるということは正常ではないのだ。正常ではないということは、完治ではない。
「手と言う部分は、人間の体の中でも特に精密機械のようにできている。
さながら歯車がかみ合って正確な時を刻むトゥールビヨンのように。
手首もまた、手に連なる部位だ。医者の立場から言えば、十中八九問題なかろうと、尚残る一の為に大事を取ってもらいたい」
「……」
ハルさんの立場なら、そう言わざるを得ないだろうことはわかる。
背中に祷の手のひらの温度を感じた。
「がんちゃんは掛け値なしに若者の部類だろう。
若者の輝かしい未来を、選択ひとつで潰えてしまう可能性があるとしたら、先人はそれを避けるよう導く義務がある。
また、若者には、数多の機会と可能性があることも知ってもらいたい。
だが……若者には、大人の理屈では測れない、『今この瞬間のみに限られた輝き』というものがあることも識っている」
ハルさんの論調が少し変わってきた。
「例えば甲子園の決勝戦。
最終イニングを任されたエース。
ここを押さえれば優勝という場面で、エースの肘にわずかな痛みがあることを察した指揮官は、エースに下がるように言うだろう。
それでも、あと数球なら問題ないと、選手から食い下がられたら?
甲子園はこれで終わりでも、将来を嘱望された野球選手ならば、選手人生はこれからも続くだろう。
大人として、そのことを説くだろうか。
それでも尚、今燃え尽きても構わないと涙ながらに熱く青い情熱をぶつけられたら?
選手の将来を考え、例え優勝を逃してしまうとしても、心を鬼にして交代の判断をするのが正しいだろうか。
それとも、例え選手生命がここで終わってしまったとしても、生涯ただ一度、今しかないこの瞬間を燃やし尽くしたいと願う選手の望みに応えるのが正しいだろうか。
どちらも正しく、そして後出しの論理で批判もされるだろう」
たとえ話ほど大仰なことではなくても、当事者にとっては大事である場合もあると、ハルさんは言った。